徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

遅刻する夢を見たが、これほど恐ろしいものはないだろう

遅刻する夢を見た。

夢をものすごくみる時期と全く見ない時期があるのだが、ここのところはしばらく見ない時期が続いていた。記憶が飛んだらすぐ次の朝。健康そのもののライフスタイルだろう。

方や見る時期となると毎晩のように夢を見出す。それもいい夢じゃない。ムカデに巻きつかれる夢の翌晩に地震で倒壊した家屋の下敷きになる夢を見た時にはフロイトの手を借りたくもなった。僕に何が潜んでいるのでしょうか。

まぁそんなこんなで最近は安眠できていた。しかし昨晩爆弾が落ちてきた。

よく遅刻する夢を見た話は聞くが、実際に体験したことはなかった。遅刻した夢体験者はこぞって生きた心地がしなかった旨を異口同音にする。話を聞いている側としたら心中お察ししますの姿勢を取るしかない。本当の恐怖と焦りは体験者にしかわからないのだ。ほら、ノロウイルスを考えてみてほしい。ノロウイルスを体験した人は地獄を見たと言うが、未体験人間は「辛そうだねー。」くらいなものである。本当の苦しみを知らないからだ。

昨晩も遅く帰ってきて床に就いた。気持ちいいくらいに酒も入り、よく眠れそうな感じであった。目覚ましはあらかじめかけてある。朝に自信があるので、起きられない心配はこれっぽっちもせずに寝入った。

一度起きた。これが夢なのか、現実なのかは把握していない。5時半だった。3時間ちょっとしか寝ていないじゃないかと。もう一回寝ようと、目を瞑った。次に気が付いたら、どことなく世の中が明るい。カーテンから陽が注いできている。さらに暖かい。これは7時台の気温じゃない。昼間の気温だ…!と時計を見たら13時を指していた。

肝が冷えるとはこのことだろう。一瞬パニクりそうになったが、すぐ諦念が頭をもたげてきた。どんなに焦ってもどうしようもない時間である。後悔と反省の往来。うーともあーともつかない呻き声が出る。薄めを開けてから6時間も寝ていたと言うのか。のうのうと。信じられない。自分に限ってこんなことないと思っていた。異動したばかりの職場で遅刻なんて印象が悪すぎる。言い訳を見渡すも、始業から何時間も経っている今、何を言ったところでスズメの涙にもならないはずだ。腹をくくるか。言い訳ごねるか。腹をくくった方が印象はいいな…。どうせ大寝坊の時点で崩れている信頼と印象である。今更何を守ろうというのか。

自己嫌悪が心拍数を上げる。とても息苦しくなってきたところに、ふと、本当の朝が来た。なんでもない、7時だった。極限状態からの突然の解放。放心である。すーっと意識が遠くなる。寝入る瞬間に持ちこたえた。ここで気を失ったら本当に13時になってしまう気がした。

そうして始まった1日に生きています。

親父の携帯電話の思い出

特別お題「おもいでのケータイ」

僕の実家は自営業を営んでいる。社員2人。兄弟で社長と専務を務める零細企業。弟の専務が僕の親父に当たる。

仕事の都合からであろう、黎明期から父は携帯電話を持っていた。当時の携帯電話なんて本当に読んで字のごとく、携帯する電話でしかない。記憶にある親父の最古の携帯は、手のひらくらいの大きさで真っ黒なボディの大半がボタン。その上に修正テープの幅くらいの液晶画面が申し訳程度に付いていた。

それを数年使っていたように思う。不意に親父が携帯を変えた。買い換えた時、親父は興奮気味に家に帰ってきた。

「新しい携帯電話は玉子くらいの大きさなんだわ!ちっちゃいんだわ!」

見てみると確かに小さかった。それもそのはず、折りたたみ式になっていたのである。ボディは銀色。携帯を開いたら上半分が液晶画面になっていた。広大だったボタンゾーンも小さくなり、途端に近未来的なデザインへと変貌を遂げた。

この、僕の記憶の中にある二代目の父の携帯が、おもいでのケータイとなる。

二代目の携帯電話はただの電話ではなくなっていた。メールも打てたし、なによりも、ゲームができた。

モグラ叩きゲームだった。画面には12個の穴が並んでいる。1から9に*と0と#を足した12のボタンがそれぞれの穴に対応しており、モグラがランダムに出てきたところをボタンを押して叩いていく。非常に初歩的なゲームである。当時小学生の僕はこれに真剣に取り組んだ。親父の隙をみてはモグラ叩きに勤しんだ。

モグラ叩きは難易度が4つ選択できた。easy、normal、hard、blizzard。簡単、普通、難しい、暴風雪。度合いの単語が続いたと思ったら、突然の暴風雪。どういうことか。

easy、normal、hardまでは、非常に緩やかに難易度が上がっていく。hardなんかは、集中してプレイすればなんとかパーフェクトを取れるくらいの難易度で、完璧と言っていいゲームバランスを誇っていたように思う。

しかしblizzardは違った。段違いとはこういうことを言うんだなと、子供ながらに世の厳しさを学んだ。

12個の穴から、モグラが山中慎介のジャブの如き速さで飛び出しては引っ込む。それも一つの穴からではない。同時に4箇所はザラである。目にも留まらぬ数とスピードの暴力。さながら最大瞬間風速30メートルの暴風に乗った雪の礫。そう、暴風雪。blizzardである。

僕は躍起になって攻略にかかったが、全くもって反射神経が追いつかなかったというか、反射神経がどうとかいう問題のゲームではなかったので攻略できなかった。一匹でも当てずっぽうで叩ければラッキーだった。親父の手を借りても、ボタンの面が何しろ小さかったので、指が混雑して太刀打ちならず。

四苦八苦しているうちに時が経ち、僕も趣向が複雑になり、モグラ叩きでは満足できなくなった。そして静かに、親父は新しい携帯電話に乗り換え、もうゲームができなくなった。

あの気の抜けた顔のモグラをまた見たくなることがたまにある。技術が伴っていなかった頃の携帯ゲーム。娯楽が多角化し切っていなかった頃に絞り出して遊んだ経験。今はセピアになり、美しい記憶となっている。

まぁ、たかがモグラ叩きなんだけど。

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終電

何度お世話になったかわからない。「この電車、〇〇行きの最終電車となります…」耳にイカができるほど聞いた文句である。たいていこの文句のあとには、「この電車、車庫に入る回送電車となりまーす」みたいな文句がセットで付いてきて、車掌さんが血眼になって残留顧客を探しては摘発して匿うとか放り出すとかしているらしい。ご苦労様です。

「終電だから帰りなさい」「終電だから帰ろうか」「終電だけど…」現代日本史において、終電がアシストしたドラマがどれだけあったことか。終電なら…と思わせるだけの魔力と辻褄が終電に秘められている。それは偏に、今までの僕らの生活がどれだけ終電に支配されていたかの逆説でもある。

首都圏四方八方に張り巡らされた路線と駅。今夜のうちに最寄りの拠り所にたどり着けないことには即ち夜を明かすことを意味する。緊張と緩和が笑いを産むように、家に帰れるか帰れないかのデッドオアアライブも同じく緊張と緩和を産む。終電が迫り行くヒリヒリ加減と、逃してからのパッパラパー加減の差異は自明のことだろう。

逃してほしい夜もあれば、逃したくない夜もある。極めて我儘で身勝手な理由たちに彩られ、様々な夜は明けていく。

今宵、明けていい夜が明けていく。でも、酔いのせいで少しだけ切なくもある。明日の夜も、明後日の夜も、そのまた向こうも酒が待っているのは知っているのに、目の前の今日この時が恋しくて仕方なくなる。なぜだ。わかっているんだ。酒の魔術、酔いのまやかし。日本語の達人に今宵を託したらなんと表わそうか。伺いたいものである。

転んだ奴じゃないと転ばぬ先の杖なんて言葉は出てこない

痛いことばかりである。世の中。傷だらけ血まみれになって、かさぶたを何度も剥がしてはタコになる。痛みに慣れた頃に痛みを忘れる。

誰しもが転びたくはなくて、誰しもが痛い思いはしたくない。だけど初めて通る道だと、何が凸凹なのか全くわからない。注意深く歩いていても足を置いたところが不意にヘコんでいるのが常だ。転びまくる。

タコができたやつが老婆心ながらに杖を用意してくる。転んだことのないこちらからしたらありがたみをわからないし、なんならちょっと邪魔に感じる。そして杖をかなぐり捨てて走り出して二歩くらいで大転倒をかます。そういう奴が後悔先に立たずとかいってる。愚かなのかと。そうです、愚かなのです。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。宰相ビスマルクの御言葉。よく言ったものである。さも自分が賢者で歴史に学んでますとでも言いたげだ。転ばないままに痛みを察して杖を用意する人間だったのだろう。彼は。人間出来すぎじゃあないか。そんなことできたらほとんど未来人と変わらないじゃないか。

一方通行の道を目下駆けている。せめてなんで転んでどこが痛いのかくらいははっきりさせておきたい。愚者が出来る精一杯の努力だ。

ミンティアのコピーを見て思うこと

ミンティアって、あるじゃない。


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何気なく電車の中の広告に目をやると、爽やかさを両手に掲げてミンティアが私を見ろと言っていた。白と青。清涼感溢るる色彩をバックに、綾野剛が階段を駆け上がっているシーンが写真で切り取られていた。その横に一言。

「寝坊は、あきらめなければ運動になる。」

なるほどなぁ。確かにそうだなぁ。寝坊したら駅まで走るなぁ。構内でも走るなぁ。運動に、なるなぁ。

さも盲点を突いたかのようなコピーだ。印象に残るコピーだ。このコピーは実際のところ何を言っているのだろう。何を表しているのだろう。

「寝坊は、あきらめなければ運動になる。」

文を噛み砕くと、「AはBしなければCになる」だ。これは暗に「Aは普通にしていればDである」だが、「BしなければCになる」ことを意味している。よく考えてみてほしい。あたりまえである。

いくらなんでも、既定路線を飛び越えたABCは成立しない。

「ジョンレノンはメガネをとるとオノヨーコになる。」

これはならない。まずならない。

だがしかし、

「洗い物は片付けないと邪魔になる。」

これはどうだろう。ふーん、そう。邪魔だよね。あらかたそんな感想しか出てこないのではないか。

違う。大ヒット商品ミンティアのコピーに選ばれるコピーはただのコピーではない。このコピーの秀逸さは、「AはBしなければCになる。」の構図を日常によくあるシーンに落とし込み、「Aは普通にしていればDであるシーンとの落差をはっきり示している点と、もうちょっと心持ちを変えればほんの少し上の結果がもたらされる事象にフォーカスしている点。この2点に秀逸さが凝縮されていると思う。

例えばこんな文。

「雪かきは真剣にやれば筋トレになる。」

を考えてみたい。「雪かきは普通にしていれば面倒臭い。」のだが、そこを「真剣にやる」と心を入れ替えることによって「筋トレ」にすることができる。Bを媒介してのCと、Bを媒介させなかった時のD。この差が著しい。

文章を成立させる上でのキーマン「B」。ミンティアが何を言いたいかと言えば、Bの瞬間に、ミンティアを寄り添わせてほしいということだろう。「寝坊は、あきらめなければ運動になる。」の、「あきらめなければ」であり、「雪かきは真剣にやれば筋トレになる。」の、「真剣にやれば」。気持ち次第だが、気持ちを入れるのは至難の技だ。だらけようと思えばいくらでもだらけられるし、諦める方がたやすい。でも、そこで歯を食い縛るきっかけがミンティアであってほしい。「あきらめない」きっかけが、ミンティアであってほしい。そう思っているのだ。アサヒグループは。

「寝坊は、あきらめなければ運動になる。」

あけすけなポジティブの隣に、ミンティア。やる気スイッチ僕のはミンティア

BiSH「プロミスザスター」を聴いて売れ線を儚む気持ちとは

文句なしにキャッチーな曲である。

www.youtube.com

 

昨晩公開されたBiSHの新曲、「プロミスザスター」である。「F→G→C」的コード進行を存分に堪能できるわかりやすさ満点の新曲になっている。引っかかりなどない。全生命を代表して清々しく、全生命を持ってしてわかりやすい。

パンクロックを深く重く話せるような知識は持ち合わせてやいないが、これこそがパンクないしはメロコアの流れをひしひし感じている。もしBiSHが「楽器を持たないパンクバンド」を標榜するのであれば、全く持って納得の新曲だと感じる。この曲に大してパンクじゃないじゃん!と言えるほどのパンクへの造形と知識と熱量を残念ながら持ち合わせてはいない。なんとなく「ドンダンドドダン!ドンダンドドダン!」に乗れるリズムで、首が振れればパンクとかメロコアの一派であると信じている節があるからして。

前シングルの「オーケストラ」に引き続き、オケも入ったロックバラードになっている。歌詞の意味なんて追わなくたって勝手に耳に入ってきてくれる心地よさを追求しているのではないだろうか。作曲を担当しているはずの松隈氏の技量に感服である。わかりやすさを求めている需要を鷲掴みにしている。しかしその一方で、わかりにくいまま、市場に火がつくような曲を出さないままで半地下アイドルとして生きていくBiSHを観ていたい一派はこの曲に対して異論を放つ。守りに入っているのではないか。どうなのか。その気持もわかる。メジャーデビューが90秒程度の「DEADMAN」である。「オーケストラ」、「プロミスザスター」と続いたら保守に走ったと考えられても不思議じゃない。

でもどうだ、なんと聞きやすい曲ではないか。なんの毒気もないメロディーに、彼女らのデビュー後の心境に程よく沿った歌詞が乗っている。ハグ・ミィ脱退に寄せたかのような「オーケストラ」から一歩先んじて、全国を相手にツアーを周回するBiSHの新しいキャパシティに見合った歌詞を、誰にでも受け入れられるであろうキャッチーにくるめて我々に提供してくれている。わかりやすさをわかりやすく飲み込んで踊ればいいではないか。僕は少なくともそう思う。

BiSHらしさ、BiSHたるもの。僕はたかがYOUTUBEの前で体育座りをしながら曲を聴き、通勤の間にふわっと耳を借りるくらいのリスナーである。清掃員の風上にも置けない。でも聴いている限り、その時その時の彼女らに感情を輸入できる楽曲がここのところ並んでいっている。ファン冥利なのではないだろうかなと思う。それがプロデューサーの手のひらの上だとしても、素直に踊るし、頑張れと思う。

どれだけ話せばわかってくれる?

don't you think everytime.

あの空を染めてけ

プロミスザスター 

敵も味方も増え続ける世界にどんどんと足を踏み入れていくであろう。知名度と悪評はバッチリ比例していく。負けるなと思う。頑張れと思う。

何しろ好きなアイドルグループである。重ね重ね、頑張れと思う。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

三島由紀夫とであった

本屋の息子に産まれたくせに申し訳ない程度の読書しかしてこなかった。世の中の読書かの方々であればもっとこの境遇を生かして博識高い人間になれていたのだろうが、僕は出来なかった。山のような本に囲まれながら必死にゲームをしていた。本に手を伸ばしたと思えば攻略本だった。

大学生になって実家を離れてもたいして本は読まなかった…というか、読書量は増えることはなく読んだり読まなかったり、ぼんやりした読書体制を敷いていた。

そういうわけで、この間三島由紀夫と初めて出会った。潮騒を読んだ。


潮騒 (新潮文庫)

潮騒 (新潮文庫)


人里離れた離島での恋物語を耽美な筆致で描いた作品だという。言うが易し。読んでみて、文章の上手いことに驚いた。冗長な表現もほぼなく、必要な心情と情報を過不足なく伝える言葉たち。そして何よりエロい。どことなくなんとなくエロい。こういう恋がしたい。したかった。不器用が恋にほころぶ瞬間がこんなに美しいとは。美しく描くとは。なんでしょう、感服だった。

逆説的にこれまでの読書に乏しい日々を嘆いた。恵まれた環境にいながらなんという体たらく。A5ランクの牛肉しか取れない牧場主の息子が牛肉嫌いだった…みたいな話である。万死に値する。

僕はこれから読書をしようと心に決めた。名作、名作家に浸ってみようと思った。悲しいかな、近所の図書館の品揃えはひどい。しかし、手に届く範囲でいい。娯楽として言葉の流れに身を任せてみようと思う。

どうしても、三島由紀夫の日本語は美しかった。

僕は多分小沢健二のお話を一生できない

幾つかこのブログにも小沢健二についての記事がある。一時期貪り食うように2つのアルバムを聴いていたので、その頃に書いた。

 

LIFE

LIFE

 

 

 

刹那

刹那

 

 

この度19年ぶりに活動を本格再開させるらしい。ライブは時たまそこかしこでやっていたようなので、新曲という形を取っての活動が19年ぶりと言うことでいいのだと思う。

小沢健二が売れだした時期に人生をスタートさせ、ニューヨークへと去っていたときに小学生に上がるくらいだった僕は、今一生懸命に小沢健二の音楽を聴くし、歌詞を読むんだけれど、理解しきれていないんだろうなと感じている。どことなくフェミニンで苦しそうなハイトーンがなんとも言えずに魅力的で、公園通りや教会通りを歩きながら銀河の彼方に思いを馳せてさよならを告げる歌詞が蜃気楼の如き儚さを思わせて素敵である。

魅力を感じるのと理解をするのは違う。これはいい!と良さに気がつくのは容易いが、何がいいのかを理解していく過程は茨の道だ。もっと言ってしまえば、同時代を生きてリアルタイムで体験してみないことには、歌が生まれた文脈がわからない。それでも書籍を読み漁り、周辺知識を埋め立てまくることで相当まともな理解ができるようになるのだろう。「理論武装をする」と言うは容易いが至難の業である。

 

小沢健二復活に際して各所各方面で待ち焦がれていた声が上がっている。小沢健二の歌に共感し、救われ、数年に一回無性に聞きたくなってアルバムを聴き直しているような、オザケンラバーがカラフルな声を上げている。平易な言葉の組み合わせなのにどういう解釈にだってできてしまう歌を聴き、我が身に自然と重ねては、勇気と感傷をもらったリアルタイムオザケンラバーたち。雪がつもるように、少しずつ少しずつ小沢健二の曲と出会い、少しずつ少しずつ小沢健二を理解し、ずっしりと蓄えられた雪の壁の如き知識と理解。後追いのゆとり連中には近づき得ない遥かな思いがそこにはあるのだと感じている。羨ましくて仕方がない。

だから僕は多分小沢健二の話を一生できない。何を話しても浅はかでしかなくなってしまうから。いつまでたっても何がいいのか伝えられないまま、ゆっくり聴き続けることとする。

異動と筋肉痛の類似性について

異動先へ初出勤である。この先何年か生きることとなるであろう職場に入り込んでいく。同じ会社、同じ部なのだが、異なるタイプの課である。同じサッカー部内でもフォワードかディフェンスかくらいに違う。

一年半、昨日までの職場で働いていた。10年選手が何人もいる中で、たった1年半である。何を覚えた気になってんだと思われても仕方ない短期間だ。例えばもし後1年半いたとする。石の上にも3年。当たり前だが、日々の仕事はパターン化されていく。経験がそうさせる。

さて、筋肉の話だが。

同じ部位の筋肉をいじめ抜くと、そこの部位だけ肥大化していくのはなんとなくお分かりいただけるかと思う。水泳選手の肩幅とか、競輪選手の太ももとかを見ると、驚異の肥大を遂げている。

毎日毎日同じ部位に同じ負荷だけをかけていても、一定のところで筋肉の成長は止まる。強くしなやかな筋肉を作るためには、昨日より今日、今日より明日と負荷を強めていかなければならない。

筋トレではそれができるが、仕事だと難しい。

日々の負荷は大抵変わらないもので、ある程度まで行くと後は作業になっていく。引き出しが増えていけども、ある一定の数でそれも止まる。何しろ同じ仕事しかしていないのだ。同じ筋肉だけを淡々と維持しているのと同義。

そこで、異動である。別の部位の筋肉を鍛える。

めちゃくちゃ強い太ももとかめちゃくちゃ強い上腕ではなく、バランスを鍛えていく。3年程の期間で異動し、テンポよく別の筋肉を鍛え続け、バランスのいい体を作り上げる。


だいたい異動前は尻込む。それは同じ筋肉をある程度の負荷でポイポイ鍛えている方が楽だからだ。無意識にそいつを把握してしまっている。本当の蛇の道はきっと大転職人生にある。未知を突き詰め、全身筋肉痛になりながら全身を鍛え続ける。なんとバランスのいい仕事ボディが出来上がることだろう。

まずは皆様の名前を覚えて顔を把握するところから始めようと思います。

鼻をほじらないことが何よりの健康法ではないだろうか

僕は鼻をほじるのが好きだった。鼻くそ(以下、例のそれ)はホコリを吸い込むたびに溜まる。鼻の粘膜を塞ぐ例のそれを取り除いたときの清涼感と爽快感はフリスクスーパーハードを大量摂取した感覚に酷似している。やみつきになる。

そういうわけで幼い頃から鼻をほじりたがった。人目をはばからなかった頃も合ったし、自我が芽生えて人目をはばかる様になってからも誰もいない廊下をとかを歩きながら鼻をほじった。そして生まれ変わった鼻腔にて最初に吸い込む息の清々しさに心を震わせた。世の中にこんなに美味い空気があるのか!遠足の写真かなんかで決定的瞬間を激写され、全校規模で極めてプライベートな鼻ほじりタイムを晒し上げられたことも合った。誰よりも親が悲しんだ。

時を同じくして、僕は毎年2回3回と風邪を引いては学校を休む子だった。休むほどでもない体調不良は非常に多かった。身体は大きかったが、強い子ではなかったと思う。

その原因が鼻をほじる行為によるものではなかったろうかと、今本気で思っている。

鼻の穴。即ち粘膜である。喉にウイルスが付着したら風邪をひく。これは自明だ。だが喉の奥に直接何かが触れることはまずない。口呼吸とかをして、飛沫状の菌が喉にやってくる。しかし、鼻の穴は触れられる粘膜である。泥だらけの手、菌だらけの手。これらで鼻をほじってみろ。毒の侵入を快く許しているようなもんである。素手でなくとも、ティッシュを一枚噛ませていても大して差はない。風邪待ったなし。

僕は大人になり、ある程度鼻をほじるタイミングをコントロールできるようになった。相変わらず鼻をほじった直後の清涼感・開通感は大好きであるが、TPOはもちろん衛生状態も加味して鼻ほじタイムを設けるようになった。それからと言うもの、劇的に風邪を引く回数が減ったように思う。粘膜が守られている。そんな感じがする。

ホントはこんな恥ずかし告白をブログなんていうパブリックスペースでしたくはなかった。が、衝動は止められない。思い立ったら書かざるをえない。

穴があったら入りたい。