徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ひとりで食事をすることにひとり飯なんていう名前をつけるんじゃあない

Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」

古くはひとり旅、最近ではひとりカラオケが急先鋒となってメジャーな存在となっていった「ひとり〇〇」。「ひとり焼肉」、「ひとりファミレス」に「ひとりディズニー」。ひとりで行っちゃうほどに好きアピールと、友達が少ないアピールを同時多発的に可能とする誰得言語である。がしかし、僕も多用する。現代に生きる若者共通の辞書があるとすれば、間違いなく多数の「ひとり〇〇」が収録されているに違いない。

ひとり飯。

ひとり暮らしが今年で7年目を迎える。気付けば人生における相当の時間をひとりで暮らしてきた。友人はいたが、家に帰ればひとり。咳をしてもくしゃみしてもタンスの角に小指ぶつけてもひとり。ひとり暮らしだもの、当たり前じゃない。おっしゃるとおり。で、あるからして、僕は飯を食うときもひとりが多い。というか、ひとり以外の飯が「ふたり飯」、「さんにん飯」なのであって、飯=ひとりを指す。今更飯にひとりをつける必要なんてないのだ。まさに僕にとって「ひとり飯」は「前に前進」や「筋肉痛が痛い」、「疲労で疲れた」と同義の重複ワードなのである。安いからって腐るほど作った焼うどんや焼きそば。自炊初めの頃の気合いが見受けられたカレーやシチュー。況してやミネストローネ。最近の鍋や野菜炒めに至るまで全て、僕の食事には1人の意が含まれてきた。今更何が「ひとり飯」だろう。ちゃんちゃら可笑しい。

寂しくはない。切なさもない。「飯」の瞬間、僕は限りなく静謐な時を過ごしている。ひとりで食欲と向き合い、舌で戯れる。別に微塵もグルメではなく、大抵のものが美味しいと感じられるバカ舌であるからこそ、無邪気に味を知れる。どうだ素敵だろう。その時「飯」は会話を弾ませるクッションではなく、「飯」そのもので、「飯」なのだ。

日々、いわゆる「ひとり飯」を繰り返す。淡々と、淡々と。

でもたまに、母の作る日本食研の八宝菜が食べたくなる。父と母との「さんにん飯」が、たまに、本当にたまに、恋しくなる。

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脳ストップ

見方によっては肉体労働ではなかろうかという職業についている。少なくとも頭脳労働に全振りした職業ではない。体を使いながら頭を使いましょう。じゃないとあんぽんたんのまま生きていくことになるわよ。会社に入った頃、人事の物腰柔らかそうなおばちゃんが鋭い口調で訓示を述べていたことを今でも先月のことのように思い出す。

こうしてブログを書こうとしているわけだが、身体と頭がなかなかに疲れていると、全くもって意味のない行動を親指がする。ホーム画面で無意味なスワイプを繰り返したり、Yahooを開けて閉じて開けて閉じて繰り返したり、いざ執筆ページにたどり着いてもほぼ何も書けず仕舞いで明日を迎える。でも変に抵抗して書こうとするからやはり無為に時間が過ぎていく。

寝りゃあいいのだ。さっさと休みゃあいいのだ。だが仕事がそうはさせない。400メートルを全力疾走した時のあの脳みそがストップしてるのに達成感が滲み出る疲労感とはまったく異質の疲れ、酷く舌触りの悪い疲れを仕事がじんわりと蓄積していく。なんとか吐き出そうと親指やら人差し指やらを動かすも、おなじみの無意味ムーブを繰り返す。メリハリのないのっぺりした疲労回復になんの意味があろうか。いや、ない。

3分だけ、目でもつぶろうと思う。

iMacをいよいよ買いました

ついに買いました。iMac

 

Apple iMac 21.5インチ 1.6GHz Corei5 8GB 1TB MK142J/A

Apple iMac 21.5インチ 1.6GHz Corei5 8GB 1TB MK142J/A

 

 

アップルストア銀座店。日本のAppleの総本山にて、やはりサーファーのようなラッパーのようなお兄ちゃんの接客を受けること30分。徐々に自分の意思が固まり、人生で一番高い買い物へと足を向けていった。

スペックは以下である。

2.8GHzクアッドコアIntel Core i5プロセッサ

16GBオンボードメモリ

1TB Fusion Drive

メモリを8GBから16GBに、ストレージをFusion Driveに変更した。最後の最後までRetinaディスプレイにするか否かを思案したが、この先の人生で写真とか動画に凝り出す未来が全く描けなかったため、Retinaは妥協した。その代わりにメモリをしっかり16GBに増設することとした。logic pro Xもプリインストールしてもらい、税込195,303円にてのフィニッシュとなった。

妥協のない買い物ができたのではないかと思う。メモリも妥協しようかとか、Fusion Driveもやめとこうかとか、様々脳裏をよぎった。しかし、パソコンの中身部分の能力で妥協をしてしまうと今後後悔してもしきれないだろう。増設ができないメモリの不足を嘆けど、後の祭りである。聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥よろしく、一瞬気合い入れて出費して以後の満足を得られるのであればそれのほうがよほどいいではないか。特別な贅沢品を買う必要はないが、必要だと思う能力を買う分ではケチらないほうがいい。

配送にしたので、後一週間もすれば我が家にiMacが届く。一週間後の未来、おそらく僕はiMacのネット環境を整えたりするのに苦心するだろう。届いてから何日で現在の環境を超えていくだろうか。仕様も何もかも変わったデスクトップ。大きな買い物をしたのにドキドキ感が少ないのは、自分がiMacを使いこなせるかがはっきりしないからである。現PCに詰まったデータをどうするか。移すのか、ハードディスクを買ってくるのか。作曲うまくいくだろうか。どうだろうか。色々不安だ。でもこの一歩は大きい。入社のときのような、転校のときのような、ドキドキとモヤモヤがないまぜの気持ち。飛躍するか萎むかは自分次第だ。

バランスを崩して、ダッシュである。

 

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合コンに行ってきました

楽しかったです。

見ず知らずの人と会話を交わすという行為。レジのおばちゃんとの会話のような無機質かつ業務上の付き合いではなく、プライベートとプライベート・私と私をぶつけ合うハジメマシテカンバセッションは、全細胞を耳と口に集中させる稀有な体験を生んだ。そこにアルコールが入った結果、ある一定のところまでは滑らかになり、途中からはむしろ虚ろに、最終的には華麗に酩酊し、合コンじゃなくてもできる飲酒大会となっていった。

花を見ながら酒を飲み、月を見ながら酒を飲み、人が死んでも酒を飲む僕らはもちろん人と出会うためにも酒を飲む。酒と泪と男と女とは河島英五もよく言ったものである。人生あらかたそれで解決だ。

まぁいい。

今回、あーでもないこーでもないとぶうぶう言いながら参加した合コンであったが、大変に刺激を受けた。それは他人の人生を少しだけずつ垣間見るような体験であるためでもあり、自らの会話の力や引き出しを試す体験でもあったからである。もしかすると合コンを重ねるほどに人間が豊かになっていくのではないだろうか。いろんな人生を知り、言葉を知る。それらを血肉としながら、新たな戦さ場に向かう様は、さながら経験値を得ながら次の敵を倒しに向かう古風なRPGのようである。

人に会い、人と喋ることによって研ぎ澄まされていく刀を、いつか振るう日は来るのだろうか。

合コンに行ってきます

合コンであるらしいそれに参加することとなった。今からおよそ1時間後の話である。

合コン。出会いの場だという。図書館にて同じ本を不意に手に取った美男美女が恋に落ちていく物語は、とても現実に起きはしない。曲がり角でぶつかった男女が実は同じ職場だったり、行きつけのバーに新入りで入ってきたバーテンと恋に落ちたり。大概全て夢物語である。

奇跡の出会いを封じられた僕たちはどうするかというと、懇々とコンコンしまくる。お見合いであり、コンパであり、合コンであり、街コンである。初めましての男女。友達の友達同士が友達になり、あわよくば一歩先んじた関係を築く。そうなればいいと男性側も女性側も考えていて、どんな人が出てくるのか課金ガチャのような気持ちを温めている。

この剥き出しの出会い欲。震えがくる。

恋人と人前で手を繋ぐのが苦手だ。あれは即ち公衆の面前にて「私たちカップルです!付き合っています!」と大声よりも雄弁に語っているのと同義であり、そんなもの自分たちの中に密かにとっておけばいい話だろう。何を顕示したくて手を繋ぐのか。誰に見て欲しいのか。その割J-POP界隈の歌詞では男女が手を繋ぎまくるので、手を繋ぐのがマジョリティらしい。恥ずかしくないのか。

まぁこのように、僕は、自らの状況というか欲というか、そういうのを行動に起こすのが非常に難しいタチを抱えて生きている。合コンも同じだ。出会いたいです!出会わせてください!ひり出したシャウト。しかし、片一方では夢物語が現実にならない事を知っている。出会いに行かねば出会いはないこともわかっている。羞恥と欲望の板挟みに捻じ切れそうになりながら、友達に誘われたからっていう最も汚い理由を掲げて僕は合コンに繰り出す。恥も外聞もかなぐり捨てて、前がかりになり、声を枯らす。

冷たい、雨の中。

薄暮

朝と昼の境目はいつなのだろうか。10時はまだ朝。11時だと昼な気がする。10時半はどうだろう。

朝焼けと夕暮れ。

暗から明になる境と、明から暗になる境はとてもわかりやすくドラマチックだ。真っ暗闇の漆黒がじわじわと綻んで、薄墨の色になってきたと思ったら遠くの空にオレンジが差す。黒は紺になり、オレンジと溶け合って青に変わる。毎日当たり前のように天体は動くため、当たり前のように境を迎えていく。

久々に残業がなく、早くに上がることができた。空はまだ薄明かりを灯していた。

電車に乗り、小一時間の帰路に着く。発車してすぐ高架になり、街を舐めるように弧を描きながら走る。薄暮の空と明かりの灯り出した街。明暗が混ざり合う美しさを改めて感じた。

この間仕事で鎌倉の少し奥の方に行った。そこは人工と自然とがうまく調和していて、人の手によって全てを手なづけた気でいる都会とは全く違う環境であった。土の上で走り、原っぱの上でストレッチをし、雪の上に這いつくばった現役時代、自然はすぐそこにあった。夕暮れも朝焼けも走って迎えた。

今や、薄明かりを綺麗だと思うほどに僕は都会の人になっているようである。知らぬ間に。嬉しくもあり、切なくもある。

思えば蟻も最近見ていない。元気にしているだろうか。

カラオケで履歴を見る現象

歌本から曲のコードを探し出し、めちゃくちゃ反応の悪いリモコンを駆使して曲を入れていた頃から早数十年。世の中のカラオケはデンモクなる液晶パネルのリモコンに支配され、採点やらなにやらが多彩に選べるようになった。

その中の機能として、履歴というものがある。デンモクから送信された曲を1000曲くらいデンモクが記憶していて、僕たちはそれを見ることができるのだが。

何を参考にしたくて見るのかわからない。どうしても見てしまう。

履歴を見てわかるのは以前この部屋を使っていた人がどんな趣向の曲を歌っていたかくらいなものである。歌謡曲の塊、アニソンの塊、EXILEの塊、SMAPの塊。ゴソゴソと登場する部屋の使用人の趣味趣向。あ、ここから人変わった。ってのが一目瞭然だ。

でも僕らはそんなもの見たくてカラオケに入ったのではない。歌いたくて入っているはずなのだ。しかし見てしまう履歴。

どうせ無難な選曲を他人のセンスに頼っているだけだ。自分では開けられない曲の引き出しを、誰かが入れているという安心感を持ってして入れたい。ただそれだけなのだ。1人じゃ入れないような歌を履歴に引っ張られるようにして歌う。どうせうる覚えでグダグダになる。わかりきった挑戦をして砕けちってもなお、履歴を見続ける。結果、それまでの履歴がミックスされたような履歴が残っていく。趣味趣向の全く見えない、のっぺらぼうの履歴を参考にする人はなく、履歴の海に沈んでいくのであった。

PCド素人がDTMを作りたいが故にiMacを買おうとして学んだ、PC選びに見るべきポイント

たくさんの知識を得たよ!頭パンクしそうだよ!

さて。

かねてより部屋の大改造兼創作環境の改革に取り組んでいた僕であるが、とてもいい勢いで家具や服を片付け、部屋の外枠は昨日の段階でほぼほぼ決定した。後は中身を育てていくだけである。

そもそも何をしたかったか。話を戻そう。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

 

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以上2つの記事を読んでいただけるとお分かりいただけるかと思うのだが、要約すると、単調なサラリーマン生活がこのまま続いていくことに危機感を覚えたため気合を入れて趣味だった音楽制作に本腰を入れて取り組める環境を整えたくなった。ということである。ギターが少しばかり弾けて、歌詞を書くのが好きだったもので、古くから曲を作ることはしていた。知恵がついてからは、パソコンを使って音を重ねて撮ってというDTM(デスクトップミュージックの略です)の真似事に手を出した。だが、そこまでであった。本格的な曲とは程遠い、子供の遊びに毛がポヨポヨと生えたくらいの曲しか作れなかった。が、それで満足していた。

電車の中、耳元でミック・ジャガーが囁いた。

I can't get no satisfaction.

うぁぁぁぁ!満足はダメだ!ぬるま湯に浸かるな!奮い立ったが吉日、お金をフルバーストさせて現環境を総入れ替えする覚悟を決めた。改革を、革命を起こすんだ。

それから数日。冒頭にも述べたように、家具の処分は終わり、もはや僕の部屋に残されたのはテーブルの類のみ。DTM作成にはiMacがいいと入れ知恵をGoogleにいただき、素直に購入する気で出かけたのが今日の話である。

 

Apple iMac (Retina 4K Display 21.5 /3.1GHz Quad Core i5/8GB/1TB/Intel Iris Pro 6200) MK452J/A

Apple iMac (Retina 4K Display 21.5 /3.1GHz Quad Core i5/8GB/1TB/Intel Iris Pro 6200) MK452J/A

 

 

渋谷のApple store。初めて入るApple store

iPhoneを使ってこそいるものの、携帯ショップで購入したため、これまでApple storeにはお世話にならないまま生きてきた。低気圧が押し寄せた土砂降りの中、どうせ空いているんだろうと思って入った店内は何が楽しくてこんなにも人がいるのかもわからないくらいの満員で、皆懸命にApple製品をいじくり倒している。店内にはパラパラと店員が散らばっていたのだが、どの店員もクラブとかサーフィンとかが似合いそうな雰囲気の、おしゃれと体育会系とインテリジェンスをブレンドしたハイスペック人間の風貌である。なぜみんなして堀が深い顔をして、こんがり日に焼けているのだろう。肌はApplePieの色をしている。銀色のApple製品によく映える肌にしろとでもお達しが来るのだろうか。

丸腰で出かけたため、「作曲にピッタリのiMacをみたい」以外の希望は持っていなかった。どの店員さんに話しかけていいやらわからずにそれらしい顔で佇んでいると、やはりサーフィンが上手そうなお兄さんが話しかけてきてくれた。

「どのようなご用件でしょうか?」「DTMにピッタリのiMacをみたいです」「かしこまりました。店内非常に混み合っておりますので、少々お待ちいただいてもよろしいですか。係りの者が案内にまいりますので。」

うまく自分の希望を伝えられて嬉しかった。かしこまりましたの声が聞けてよかった。整然と並ぶ機器に圧倒されながら噛まなくてよかった。今日一番の仕事を果たして安堵に包まれる僕に、係りのお兄さんがやってきた。大して待たなかったぞ。嬉しいぞ。

iMacのスペックについてのご質問と伺ったのですが」

僕は驚いた。戸惑った。僕のチャチでかわいい質問があまりにスマートに翻訳されて投げ返されてきた。私、空気を読みたがる日本人ですから、知ったふりして話を合わせました。「そうです、どのくらいのスペックが合ったらいいのかなって思って」するとお兄さんはスマートに頷くとスマートに歩き、スマートにiMacまでたどり着いてスマートにマウスに触ったと思ったら、スマートにiMacのカスタマイズ画面を出してくれた。

DTMとなりますとおそらく相当作業が複雑になると思いますので、クアッドコアでメモリは16合ったほうがいいと思います。多分アプリを多用しますよね?プラグインが立ち上がるのにSSDとHDDが組み合わさったこのfusion driveというストレージを組み込むとすごく速くて作業し易いですよ。ディスプレイもこのRetinaにするとデスクトップが効率的に使えるのでおすすめです。で、最初からlogicを入れるとすると大体見積もりがこれくらいになると思います。」

あれよあれよと巻き込まれている間に気づけば見積もられていた。数Ⅱの授業を一時間寝てしまったせいでその後全くついて行けなくなった高校の日を思い出した。何が何故どのようにおすすめなのか。それは僕のしたいことにどう関係してくるのか。見えないまま突きつけられた見積もり。でも本当にお兄さんの笑顔が爽やかで僕はにっちもさっちも行かなくなり、「分かりました!検討してみます!」って全くわけわからないままわかったふりをした。上司に一番叱られる行為である。

しばらくiMacの前で意味深な顔をしながら佇んだ後、颯爽とApplestoreを飛び出した一人のちんぷんかんぷん。知識の露頭に迷った。僕は今何が知りたいんだろう。何がわからなくて、こんなにモヤモヤしているんだろう。変わらず降りしきる雨の中、うろつくこと十数分。ぶち当たったのが楽器屋さんだった。

 

本日はその楽器屋さんで教わった、”DTMを作るためにはパソコンのどの部分が重要なのか”をまとめたいと思います。
 

パソコンを見る時に重要な点は主に3つ。CPUメモリストレージである。それぞれクソ真面目に理解に挑むよりも、簡単に例えてしまったほうが理解が進んだので、そうしたい。

厨房をイメージしてほしい。その厨房で料理人が、出されたキャベツをひたすらみじん切りにする。意味はないが、イメージしてほしい。

そうした時にだ。

CPU

料理人本人がCPUである。料理人の腕、料理人の数によってみじん切りの速度はまるで変わってくる。見習いより一人前、一人前より鉄人。また、一人より二人、二人より四人。作業効率は段違いに向上する。同じように、パソコンの能力そのものを決定づけるのはCPUだ。今僕が使っているパソコンは料理の専門学校を出た調理師を二人突っ込んだのと同じ位の能力値(インテル Pentium P6200 プロセッサー)で、スマートなAppleお兄さんに進められたパソコンは有名レストランのシェフ四人突っ込んだのと同じ位の能力値(3.1GHzクアッドコアIntel Core i5プロセッサ)だそうだ。圧倒的な実力差である。

メモリ

メモリはまな板ないしは作業場の広さだ。どんなに腕利きの料理人がいたって、まな板がハガキサイズであれば全く作業がはかどらない。然るべき広さのまな板・作業場があってこそ、作業が捗る。普段使いでも、ネット見ながら音楽聞いて文章書く位の同時作業はするだろう。その程度だとまだ小さなまな板(4GB)でもなんとかなるのだが、ギターを歪ませてベースに圧をかけてドラムは3種類入れてパッド叩いてオケ入れてシンセ入れてなんていうDTMあるある作業をすると、圧倒的なまな板(16GB)がないとみじん切りができなくなってしまうらしい。

ストレージ

最後のストレージ。これはみじん切りをしたキャベツを溜め込む水切りボウルである。最強の料理人が8人集まった大厨房で、みじん切りを超スピードにて行なったとする。すごい勢いで刻まれるキャベツ。集める先のボウルがヤマザキ春のパン祭りでもらえるボウル(320GB)くらいの大きさだったらどうだろう。瞬時に容量オーバーである。だが、例えば琵琶湖に匹敵する巨大なボウルが作業台のすぐとなりに広がっていたとしたら(2TB)。いくらでもみじん切りができてしまう。際限なくキャベツを溜められる。しかも最近は水切りスピナーの回転速度も選べるようになってきて、琵琶湖位容量はあるけど水切りの速度は速くない(HDD)ものと、サロマ湖位しか容量はないけどものすごく水を切る(SSD)ものがあったりする。スマートなお兄さんが熱弁を奮ったのが、霞ヶ浦くらいの大きさでそこそこ水を切る(Fusion Drive)ボウルだったようで、速さと容量とをうまく両立したものだという。

これらを加味すると、やりたい作業に応じてパソコンが選びやすくなる。

用途:本格的にDTMをやりたい!本格的に映像とか作りたい!→スペック:Quad CoreのCPU、16GBのメモリ、FusionDriveのストレージを用意する

意訳:ものすごい量のキャベツのみじん切りをものすごい速さで作らせたい!→四人の鉄人料理人をとんでもなく広い作業場で霞ヶ浦レベルの容量とめっちゃ水を切るスピナーを用意する

なるほど!って感じである。

当たり前だが、いいスペックを求めれば求めるほど価格は上がる。場合によっては、ちっちゃめのまな板(8GB)を用意しておいて、後から拡張するなんてこともできるらしいが、そうも行かない機種もありで、価格と性能との二重らせん構造は混迷の様相を呈している。

 

そういうわけで、本日買おうと思ったiMacはお預けだ。本当に必要なスペックはどれほどのものなのか、様々な知見を加味して見極めねばならない。その代わりに、いずれ必要となるであろうオーディオインターフェイスを買った。

 

 

パソコンと楽器とを直接つなぐ、音楽界の坂本龍馬のような機器である。楽器屋さんで色々教えてもらったし…と思って買った来たが、インターフェイスを通すとギターの音が右からしか流れなかったり、キーボードの鍵盤を叩いた一秒後に音がなるなど、こっちはこっちで課題山積である。設定の問題なのか、何なのか。どうせ課題が山になるなら、iMacも買ってきて一緒に片付けてしまったほうがいい気もする。しかしスペックをどうするか。

部屋は片付いたが頭の中は散らかるばかりである。

稀勢の里が勝てた理由とは

稀勢の里が13日目に負った怪我を押して土俵に上がり続け、優勝を果たすというなんともドラマチックな出来事が起きた。それも横綱になりたての場所でである。事実は小説よりも奇なり。籠池も言っていたから間違いないだろう。

13日目の取組後、誰もがこれはダメだと思った。痛がり方が尋常じゃなかった。稀勢の里はなんとも無骨な力士である。彼は場所前の稽古中に眉の上を12針だか縫う怪我をしているのだが、「こんなん怪我のうちに入らん」って、いつもの不敵な笑みを浮かべ続けていた。その稀勢の里がのたうちまわって動けないほどの痛みとはなんぞやと。筋肉か腱かが昇天してでもいないとあんなに痛がらんぞと。それまで優勝戦線の戦闘を走っていた稀勢の里だったが、大関時代の惜しい流れを彷彿とさせる嫌な負け方であった。案の定14日目も鶴竜にあっさり寄り切られ、千秋楽も気迫で土俵入りするけど負けるだろうムードが場所中を包んでいたはずである。

でも勝った。

一敗の照ノ富士に土をつけて2敗で並び、優勝決定戦で再び照ノ富士を叩きのめした。仕事で見られなかった。悔しい。

稀勢の里は勝利後の優勝インタビューで、自分の力以上のものが出た。見えない力が働いた。と、やはり籠池じみたことを言っていたのだが、こればっかりはそう感じる人が多いと思う。政治力でも八百長でもない、何か不思議な見えない力が勝たせてくれたと。

でも僕は思う。稀勢の里は多分照ノ富士を蹴散らせるくらいに強いのではないか。段違いの力を持ってして、ねじ伏せたのではないか。

大したレベルで競技をしていたわけでもないし、まして格闘技とはかけ離れた横並びかけっこの世界で生きてきた。10年間の競技生活では奇跡の優勝の場面に出くわすことも度々あり、その度口々に、「気持ちが強い」「気迫で走った」と評したものだった。

気持ちを強く持てるのはそもそも強いからである。そのレース、その相手に、怪我している状態では勝てないかもしれないと一瞬でもよぎった時点であっさり負ける。万全の状態だと一蹴できる相手と手負いで闘って五分五分で、そこに気持ちが乗っかって押し切るのだ。気持ちの勝利のように見えて、まごう事なき実力をもってしての勝利。メンタルも強いが、比ぶべくもなく圧倒的なフィジカルが存在している。


稀勢の里は本当に強い。多分ものすごく。早く怪我を治して、憎まれ役にまで駆け上がってみて欲しい。でもきっもそうは簡単にいかないのが稀勢の里で、それが魅力なんだ。

日経一面にHIPHOPを見た

今日の日経夕刊。

あの宝飾メーカーTASAKIMBOを行うという。MBOとは何か。それは会社経営人が自らの会社の株を買い漁り、株主の元から株をぶんどる事を言う。上場するメリットでもある資金調達力を捨て、株主の機嫌伺い経営から脱却するのが目的とかなんとか。これから攻めます!私、これから攻めの経営に本腰を入れるんで配当とか払っている場合じゃないです!ってことらしい。

なるほど勉強になった。しかしそこじゃない。記事のタイトルである。

www.nikkei.com

 

ネットの記事を貼ってみたが、これじゃ伝わりにくい。

新聞を開いた瞬間に「TASAKIMBO」とデカデカ掲げられている衝撃。それが日経新聞の一面であるという衝撃。「SHAZNAのIZAM」とか、「GLAYのTERU」と同じ字面が日本の経済を移す一大新聞である日経紙面を飾っているのだ。目を疑う。いや、目を見張る。

新聞の見出しには日本語の粋が詰まりがちである。美しい七五調の見出しは声に出して読んでみたい衝動に駆られる。今日は「TASAKIMBO」に持って行かれてしまっているが、一面の小見出しには「シェール増産 高炉後押し」とある。伝説のHIPHOPユニットであるLAMP EYEの楽曲「証言」より3人目の証言者GK MARYANのバースの冒頭部である、「敵は我なり とどけカミナリ」を彷彿とさせる言葉遣いである。しかも紙面上だと「高炉後押し」に続いて、「鋼管2年ぶり値上がり」と続く。「2年ぶり」と「値上がり」で脚韻をバシバシに踏んでいる。

「シェール増産 高炉後押し 鋼管2年ぶり値上がり」

美しい流れだ。言葉の運び方が美しい。舌が持っていきやすい。これはひとえに記者の遊び心によるものであろう。文章のみで巧みなフロウと固い韻を踏みつけていくその筆さばきは、プロの所業以外の何物でもない。

これからももっと楽しませてください。