徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

家にいるときにたいていパソコンつけてyoutubeとか垂れ流している人は今すぐヘッドホンを買ったほうが良い

今すぐだ。

生活の質向上施策を推し進めている昨今の私ではあるが、パソコンを買い換えるにあたり、旧パソコンに眠っていたデータを外付けハードディスクに移す作業を行うこととなった。これまでハードディスクを持っていなかったため、買いに行ったのであるが、ついでにヘッドホンも買い換えようと思い至り、物色をした。これまで使ってきたモニターヘッドホンは、15年位前に父がエレアコを買った際に付属品でついてきた、おもちゃに5本くらい毛が生えた程度のヘッドホンであった。それはそれでそれらしく使っていたのだが、せっかくこれだけ環境大改造をするわけだし、ここに来て1万とかケチってどうすると自らに発破をかけて購入したのが以下である。


このオーディオテクニカのMシリーズには、20x、30x、40x、50xの4機種があり、数字が大きくなるほどに機能が上がり、お値段も上がる仕組みになっていた。ヨドバシのお兄ちゃんに言われるがまま勧められ、視聴を繰り返し、予算を抑えながらもそこそこなものを…と考えた結果、20xだとあまりにもちゃちい感じ(高音のシャリシャリ感)がしたので、30xにした。下から2番目の機種を購入するというありがちな結論。


以下は中途半端に公開した記事の追記である。


弊社の弊部門長が、今季の移動者に向けての訓示を授けてくださったとき、このような言葉を語った。

「泥水しかないところに行ったとして、しばらくは、こんなん飲めるか!って腹とか下しながら生きていくんやけど、三ヶ月経ったら慣れる。その三ヶ月が勝負や。より良い職場をつくり、より効率の良い仕事をするには、最初の三ヶ月の気づきを大事にせなあかん。」

おっしゃる通りでして、15年間もペロッペロの音に慣れ続けた僕は、ペロッペロの音こそがその音だと勘違いをしていた。

同じような例として、映画「ショーシャンクの空に」におけるブルックスが挙げられる。

ショーシャンクの空に」は底なしに有名な人気作で、ご覧になった方も多いだろう。映画を見ない僕でさえ3回観た。面白かった。

ショーシャンク刑務所におけるドラマを映した「ショーシャンクの空に」の中の登場人物の1人、ブルックスは、ショーシャンク刑務所に50年以上(記憶は曖昧だが確かそれくらい長い間)服役している囚人であった。仮釈放の審査にことごとく落ち続けるも、ショーシャンク刑務所の中ではしっかりとした地位を築き上げている老囚人。彼が劇中で不意に仮釈放を認められる。「俺はこの中に慣れすぎた…」(記憶は曖昧だが確かそんなセリフ)と呟きながら檻の外に出たブルックスは、懸命に娑婆に慣れようとするも、娑婆の空気に慣れず、苦しみ、果てに自ら命を絶つ。ブルックスにとってショーシャンク刑務所の中の泥水こそ清く、娑婆の清水が苦しかったのだ。

何が言いたかったか。慣れは怖いということだ。

僕が散々聴き続けたモニターヘッドホン。それが泥水とも清水とも知らぬまま聴き続け、改めてきちっとしたヘッドホンをつけた時の衝撃たるや。筆舌に尽くせない。ブルックスが命を絶つのもわかる。いや、言いすぎた。でも、本当に凄い。初めてメガネをかけた時のような、初めてコロンブスがアメリカ大陸を発見した時のような、圧倒的な世界の広がりを感じた。

日頃のyoutubeでさえ雲泥の差なのだ。楽曲制作になってみろ。考えただけで垂涎である。

13日にiMacが届く。新章の始まりである。

尊敬しないマン

ここ最近たて続いて、周囲の人間から「尊敬できる人がいない問題」を投げかけられた。生きていくにあたり、尊敬できる人がいるかいないかと言うのは非常に重要なファクターになるらしい。分からないでもない。尊敬できる人の存在は人生における先導であったり、仕事をすすめるに当たる一先ずのヘッドライトになっていく存在だ。

尊敬希求者の話を聴きながら、我が身を考えてみた。果たして自分は今まで誰を尊敬して生きてきたのだろうか。

進学や就職の折、何度か尋ねられた覚えがある。「尊敬する人は誰ですか。」

高校入試の頃、坂本龍馬と答えた。教科書に乗れる人になりたいと言った。教科書に乗っている人であれば誰でも良かったのだろう。宮沢賢治でも、安重根でも。大学に入るときの面接練習みたいなのでも不意に尊敬する人を訊かれ、とっさに父親と答えた。朝早く起きて仕事に行って云々。ありがちで面白みにかける返答だが、とっさに出てきたのであるから、父よ、自信を持ってください。就職活動に関しては色々訊かれすぎて果たして尊敬する人について聞かれたか覚えていない。聞かれていない気がする。

こうして何分か逡巡してたどり着いた結論が、僕はいまだかつて誰かのことを心より尊敬したことがないのではなかろうかということであった。

目標はあるし、目標となる人もいる。しかし、それは必ずや抜き去る前提の物体であって、尊敬の対象ではない。というかむしろ、尊敬の念が出てきた時点で勝てないんじゃないのくらいのことを考えている。尊び、敬う。字面からすると別に目上の人に対して尊敬の念を持たねばならないわけでもなさそうだ。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、尊敬しているんだ。これでも全くおかしな話ではない。しかし世間ではとかく「尊敬」の念は自分より社会的地位とか年功とかにおいて、自分よりも上の人間に対して抱くもののように定義されている。また、尊敬する人を追い続けて研鑽に研鑽を重ね、追いついていくストーリーは素敵ではあるが、尊敬する人に追いつくまでにおそらく幾つもの目標をクリアしてきているはずであり、追いついた時点で尊敬する人はすでに目標となっている。

僕から見た坂東玉三郎のような、全くの異業種かつ勲章をもらってしまうような人が語る哲学に対しては尊敬の念を禁じ得ないが、僕が玉三郎を追うことはおそらくこの先ないだろう。彼の生き方、考え方を糧としながら自らを律していくことは大いにあれど。

「すごい!」でもなければ、「立派だ」でもない。強いていえば、「はぁぁぁぁ。」って声にならない叫びを上げるような心情が一番近いように感じる、「尊敬」。はるか先だとしても、すぐそこだとしても、同じレールに乗っている人に対してはどうも尊敬の前に悔しさが募る質を患っているらしい。極端な負けず嫌いだったわけじゃなかったと思うのだが。悔しい悔しい言いながら何もしない人間にはならんように、自らの見聞見識の醸造に精を出そうとは思うのだが、Amazonプライムとブログを行ったり来たりしているだけの情けない時を過ごしている。尊敬云々言える資格なんてなかった。

iMac早く届け。

遠のく意識と液晶の文字ー着席時の眠気との戦い方を教えてー

ドラえもんのび太の!遠のく意識と液晶の文字!」とか、「ハリーポッターと遠のく意識と液晶の文字」とか。「劇場版!名探偵コナン~遠のく意識と液晶の文字(すくりーんれたー)~」とか。ありがちな日本語の組み合わせを歴代名アニメ映画の勢いで叫び散らかすと割りと説得力が生まれるらしい。

そんなことはどうでもいい。

眠気というのは抗いようがないものなのかもしれない。デスクワーカーは一体どうやって眠気と戦っているのだろうか。この3月に部署が変わった僕は、半肉体労働者から半デスクワーカーへと変貌を遂げた。圧倒的に立ち上がっている時間よりも座っている時間のほうが長くなった。生活リズムの大きな変化である。

寝不足は必ずやってくる。それはただ眠れない夜が来て…みたいな風情あふるるものではなく、乱痴気騒ぎの成れの果てに訪れる至上の苦しみ。息をするように眠気が押し寄せてくる。これに時折吐き気と頭痛が乗っかってくるものだから向かうところ敵しかいない四面八面十六面楚歌。楚歌が輪唱のごとく聞こえる状況下だって、立ち仕事メインでこなしているとごまかしが効く。勢いで持っていける。速く走らせるためにお尻に火をつける描写を幼児向けの絵本とかで見たことはなかろうか。あれと一緒で、眠気吐き気(主に二日酔いによる)を制圧するためには半ば強制的なシャッキリが必要であり、緊張感の伴う立ち仕事は格好の材料なのである。

だがどうだ、一度座ってみろ。両手両足を後ろ手に縛られ、猿ぐつわをされた上で、中学生の頃に書いたポエムとかを公衆の面前で朗読されるような、アイル・ビー・バックできやしなさそうな苦しみが襲ってくる。正確には苦しみではない。眠気である。この眠気が強烈で、小刻みに意識が途切れる。瞬間、頭が前後に振れ、バランスを取ろうと無意識のうちに頭の位置を修正する。と同時に目が覚める。2分に一回位眠気に負けてしまおうかと思う。でも戦う。お仕事だから。

僕は社会に出てからと言うもの、誘われたら決して断らないで生きてきた。のっぴきならないサムシングがぶつかってきたなら別だが、面倒くさいとか、休みたいとか、甘っちょろい事情でお誘いを回避するなんてことはしなかった。それでも翌日は元気に出社していたし、元気を装って仕事をしていた。バレることはなかった。だがこの座り仕事。苦しい。このまま行くと生活の袖をまた別の方向に振っていかねばならないかもしれない。1日くらいの大寝不足なら何でもないが、2日3日重なるとまずまずしんどい。

デスクワーカーたちののすべてを参考にしたい。何をして、眠気と戦っているのか。

ひとつの時代の終わり

祖母が認知症を患ってから久しい。6,7年前から前兆に似た違和感を周囲の人は感じていたように思う。彼女はゆっくりゆっくり物を忘れ、所作を忘れ、人を忘れて、ついに先々月、床に根が生えた。

僕は何も介護をしていない。電車に乗って一時間ちょっとの場所に住んでいるが、特別な何をするわけではない。孫として、たまに愛嬌を振りまきに行くくらいなものである。だから、祖母の症状についてどうこう言うつもりもないし、祖母がどうなったらいいとか、どうなるべきだとかって言う筋合いもない。祖母含め、周りの家族友人たちが一番幸せに楽に生きていける道が見つかればいいなぁと、他力も他力の本願をするに過ぎない。

ちょっと周りに目をやると、元気なおじいちゃんやおばあちゃんも目につくが、それと同じくらい、弱ってきたおじいちゃんおばあちゃんも多く目につく。祖母の周りでもそうだ。認知症然り、内蔵の不全、四肢の萎え。四方八方から不調が襲ってきて、抗いようもなく蝕まれていってしまう。そりゃあ80幾年も身体と頭を使っていたらいくらでも不具合が発見されるのだろう。僕が今叩いているパソコンはまる6年でなかなかの悲鳴を上げているのだ。人間は優秀だ。

僕は元気な頃の祖母やその友人を知っている。彼ら彼女らがどんどんと弱っていく今日このごろ。一つの時代が大きく息を吐きながら終わりに向かっている感覚を強く覚える。

昭和一桁生まれ。戦争を物心ついて覚えている最後の世代。

「私達の時代は良かったわよぉ」会社の食堂とかで50歳そこそこのお姉さまと話しているとよく聞くセリフだ。バブルに沸いて、課長ともなれば相当裕福な生活ができたことや、夜な夜なディスコに踊りに行ったこと。2日は寝ないで遊んでいたこと。景気が良かったのだろう。僕は羨望の眼差しで彼女らを見る。懐かしむように愛しむように昔話をするけれど、彼女らの時代はまだ終わっていない。「私達の時代は良かった」と語る相手も、共感する相手も、たくさんいる。でも祖母の時代は、いよいよもって語り合う相手がいなくなってきている。例えば、語り部としてとびきり元気なおじいちゃんとかが戦争体験を公演して回っているかもしれない。文筆達者なおばあちゃんが思い出を何処かの雑誌に寄稿しているかもしれない。そうして気がつけば、「自分の時代」について語る事がとっても特別なことになって行く。「こんな貴重な話をしてくれるなんて。」「なかなか聞けないお話をありがとうございました。」食堂で語られる何気ない光景は失われ、特別になり、絶滅危惧種となって、息絶えていく。

生まれて初めてこうした時代の終焉を眼前にしているように感じている。寂しいなぁとか、悲しいなぁとかの感情ではなく、もはやそれは恐怖だ。今まで何千回と繰り返されてきたであろう時代の終わり。乳歯が生え変わるように、ボロボロと時代の担い手が抜けていく様を目撃している。また一方で一つの時代の終わりは、一つの時代の始まり、つまり、僕達の時代の始まりを意味しているのもわかる。平成初期によって語られる時代がこれから始まり、いつか終わる。

語られることのなくなっていく時代に、思い出すらも手の中から滑り落ちて行ってしまう祖母。反芻されない歴史は薄れる。母が生まれて、僕が生まれている事実が何よりの祖母が生きた証左であるけれど、次第に血のつながりと存在しか証拠が無くなっていく。当然だ。誰もが認める当然のことだ。でもそれを眼前に突きつけられると、やはり怖い。

半ば逆説的に、頑張って生きようと思った。嫌でも語られなくなっていく時代と人生なら、せめて生きているうちにでも、いい時代だったと、いい人生だったと言えるように生きていこう。祖母の激烈な生き様や時代が僕の中で収斂していった結果が「頑張って生きよう」なのが甚だ苦しいが、どうしてもそれ以外でてこなかった。

ひとりで食事をすることにひとり飯なんていう名前をつけるんじゃあない

Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」

古くはひとり旅、最近ではひとりカラオケが急先鋒となってメジャーな存在となっていった「ひとり〇〇」。「ひとり焼肉」、「ひとりファミレス」に「ひとりディズニー」。ひとりで行っちゃうほどに好きアピールと、友達が少ないアピールを同時多発的に可能とする誰得言語である。がしかし、僕も多用する。現代に生きる若者共通の辞書があるとすれば、間違いなく多数の「ひとり〇〇」が収録されているに違いない。

ひとり飯。

ひとり暮らしが今年で7年目を迎える。気付けば人生における相当の時間をひとりで暮らしてきた。友人はいたが、家に帰ればひとり。咳をしてもくしゃみしてもタンスの角に小指ぶつけてもひとり。ひとり暮らしだもの、当たり前じゃない。おっしゃるとおり。で、あるからして、僕は飯を食うときもひとりが多い。というか、ひとり以外の飯が「ふたり飯」、「さんにん飯」なのであって、飯=ひとりを指す。今更飯にひとりをつける必要なんてないのだ。まさに僕にとって「ひとり飯」は「前に前進」や「筋肉痛が痛い」、「疲労で疲れた」と同義の重複ワードなのである。安いからって腐るほど作った焼うどんや焼きそば。自炊初めの頃の気合いが見受けられたカレーやシチュー。況してやミネストローネ。最近の鍋や野菜炒めに至るまで全て、僕の食事には1人の意が含まれてきた。今更何が「ひとり飯」だろう。ちゃんちゃら可笑しい。

寂しくはない。切なさもない。「飯」の瞬間、僕は限りなく静謐な時を過ごしている。ひとりで食欲と向き合い、舌で戯れる。別に微塵もグルメではなく、大抵のものが美味しいと感じられるバカ舌であるからこそ、無邪気に味を知れる。どうだ素敵だろう。その時「飯」は会話を弾ませるクッションではなく、「飯」そのもので、「飯」なのだ。

日々、いわゆる「ひとり飯」を繰り返す。淡々と、淡々と。

でもたまに、母の作る日本食研の八宝菜が食べたくなる。父と母との「さんにん飯」が、たまに、本当にたまに、恋しくなる。

Sponsored by Netflix

脳ストップ

見方によっては肉体労働ではなかろうかという職業についている。少なくとも頭脳労働に全振りした職業ではない。体を使いながら頭を使いましょう。じゃないとあんぽんたんのまま生きていくことになるわよ。会社に入った頃、人事の物腰柔らかそうなおばちゃんが鋭い口調で訓示を述べていたことを今でも先月のことのように思い出す。

こうしてブログを書こうとしているわけだが、身体と頭がなかなかに疲れていると、全くもって意味のない行動を親指がする。ホーム画面で無意味なスワイプを繰り返したり、Yahooを開けて閉じて開けて閉じて繰り返したり、いざ執筆ページにたどり着いてもほぼ何も書けず仕舞いで明日を迎える。でも変に抵抗して書こうとするからやはり無為に時間が過ぎていく。

寝りゃあいいのだ。さっさと休みゃあいいのだ。だが仕事がそうはさせない。400メートルを全力疾走した時のあの脳みそがストップしてるのに達成感が滲み出る疲労感とはまったく異質の疲れ、酷く舌触りの悪い疲れを仕事がじんわりと蓄積していく。なんとか吐き出そうと親指やら人差し指やらを動かすも、おなじみの無意味ムーブを繰り返す。メリハリのないのっぺりした疲労回復になんの意味があろうか。いや、ない。

3分だけ、目でもつぶろうと思う。

iMacをいよいよ買いました

ついに買いました。iMac

 

Apple iMac 21.5インチ 1.6GHz Corei5 8GB 1TB MK142J/A

Apple iMac 21.5インチ 1.6GHz Corei5 8GB 1TB MK142J/A

 

 

アップルストア銀座店。日本のAppleの総本山にて、やはりサーファーのようなラッパーのようなお兄ちゃんの接客を受けること30分。徐々に自分の意思が固まり、人生で一番高い買い物へと足を向けていった。

スペックは以下である。

2.8GHzクアッドコアIntel Core i5プロセッサ

16GBオンボードメモリ

1TB Fusion Drive

メモリを8GBから16GBに、ストレージをFusion Driveに変更した。最後の最後までRetinaディスプレイにするか否かを思案したが、この先の人生で写真とか動画に凝り出す未来が全く描けなかったため、Retinaは妥協した。その代わりにメモリをしっかり16GBに増設することとした。logic pro Xもプリインストールしてもらい、税込195,303円にてのフィニッシュとなった。

妥協のない買い物ができたのではないかと思う。メモリも妥協しようかとか、Fusion Driveもやめとこうかとか、様々脳裏をよぎった。しかし、パソコンの中身部分の能力で妥協をしてしまうと今後後悔してもしきれないだろう。増設ができないメモリの不足を嘆けど、後の祭りである。聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥よろしく、一瞬気合い入れて出費して以後の満足を得られるのであればそれのほうがよほどいいではないか。特別な贅沢品を買う必要はないが、必要だと思う能力を買う分ではケチらないほうがいい。

配送にしたので、後一週間もすれば我が家にiMacが届く。一週間後の未来、おそらく僕はiMacのネット環境を整えたりするのに苦心するだろう。届いてから何日で現在の環境を超えていくだろうか。仕様も何もかも変わったデスクトップ。大きな買い物をしたのにドキドキ感が少ないのは、自分がiMacを使いこなせるかがはっきりしないからである。現PCに詰まったデータをどうするか。移すのか、ハードディスクを買ってくるのか。作曲うまくいくだろうか。どうだろうか。色々不安だ。でもこの一歩は大きい。入社のときのような、転校のときのような、ドキドキとモヤモヤがないまぜの気持ち。飛躍するか萎むかは自分次第だ。

バランスを崩して、ダッシュである。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

 

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合コンに行ってきました

楽しかったです。

見ず知らずの人と会話を交わすという行為。レジのおばちゃんとの会話のような無機質かつ業務上の付き合いではなく、プライベートとプライベート・私と私をぶつけ合うハジメマシテカンバセッションは、全細胞を耳と口に集中させる稀有な体験を生んだ。そこにアルコールが入った結果、ある一定のところまでは滑らかになり、途中からはむしろ虚ろに、最終的には華麗に酩酊し、合コンじゃなくてもできる飲酒大会となっていった。

花を見ながら酒を飲み、月を見ながら酒を飲み、人が死んでも酒を飲む僕らはもちろん人と出会うためにも酒を飲む。酒と泪と男と女とは河島英五もよく言ったものである。人生あらかたそれで解決だ。

まぁいい。

今回、あーでもないこーでもないとぶうぶう言いながら参加した合コンであったが、大変に刺激を受けた。それは他人の人生を少しだけずつ垣間見るような体験であるためでもあり、自らの会話の力や引き出しを試す体験でもあったからである。もしかすると合コンを重ねるほどに人間が豊かになっていくのではないだろうか。いろんな人生を知り、言葉を知る。それらを血肉としながら、新たな戦さ場に向かう様は、さながら経験値を得ながら次の敵を倒しに向かう古風なRPGのようである。

人に会い、人と喋ることによって研ぎ澄まされていく刀を、いつか振るう日は来るのだろうか。

合コンに行ってきます

合コンであるらしいそれに参加することとなった。今からおよそ1時間後の話である。

合コン。出会いの場だという。図書館にて同じ本を不意に手に取った美男美女が恋に落ちていく物語は、とても現実に起きはしない。曲がり角でぶつかった男女が実は同じ職場だったり、行きつけのバーに新入りで入ってきたバーテンと恋に落ちたり。大概全て夢物語である。

奇跡の出会いを封じられた僕たちはどうするかというと、懇々とコンコンしまくる。お見合いであり、コンパであり、合コンであり、街コンである。初めましての男女。友達の友達同士が友達になり、あわよくば一歩先んじた関係を築く。そうなればいいと男性側も女性側も考えていて、どんな人が出てくるのか課金ガチャのような気持ちを温めている。

この剥き出しの出会い欲。震えがくる。

恋人と人前で手を繋ぐのが苦手だ。あれは即ち公衆の面前にて「私たちカップルです!付き合っています!」と大声よりも雄弁に語っているのと同義であり、そんなもの自分たちの中に密かにとっておけばいい話だろう。何を顕示したくて手を繋ぐのか。誰に見て欲しいのか。その割J-POP界隈の歌詞では男女が手を繋ぎまくるので、手を繋ぐのがマジョリティらしい。恥ずかしくないのか。

まぁこのように、僕は、自らの状況というか欲というか、そういうのを行動に起こすのが非常に難しいタチを抱えて生きている。合コンも同じだ。出会いたいです!出会わせてください!ひり出したシャウト。しかし、片一方では夢物語が現実にならない事を知っている。出会いに行かねば出会いはないこともわかっている。羞恥と欲望の板挟みに捻じ切れそうになりながら、友達に誘われたからっていう最も汚い理由を掲げて僕は合コンに繰り出す。恥も外聞もかなぐり捨てて、前がかりになり、声を枯らす。

冷たい、雨の中。

薄暮

朝と昼の境目はいつなのだろうか。10時はまだ朝。11時だと昼な気がする。10時半はどうだろう。

朝焼けと夕暮れ。

暗から明になる境と、明から暗になる境はとてもわかりやすくドラマチックだ。真っ暗闇の漆黒がじわじわと綻んで、薄墨の色になってきたと思ったら遠くの空にオレンジが差す。黒は紺になり、オレンジと溶け合って青に変わる。毎日当たり前のように天体は動くため、当たり前のように境を迎えていく。

久々に残業がなく、早くに上がることができた。空はまだ薄明かりを灯していた。

電車に乗り、小一時間の帰路に着く。発車してすぐ高架になり、街を舐めるように弧を描きながら走る。薄暮の空と明かりの灯り出した街。明暗が混ざり合う美しさを改めて感じた。

この間仕事で鎌倉の少し奥の方に行った。そこは人工と自然とがうまく調和していて、人の手によって全てを手なづけた気でいる都会とは全く違う環境であった。土の上で走り、原っぱの上でストレッチをし、雪の上に這いつくばった現役時代、自然はすぐそこにあった。夕暮れも朝焼けも走って迎えた。

今や、薄明かりを綺麗だと思うほどに僕は都会の人になっているようである。知らぬ間に。嬉しくもあり、切なくもある。

思えば蟻も最近見ていない。元気にしているだろうか。