徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「歩く」効能について歩きながら考えたので徒然と書く。

生来インプットされているのだろうか。歩くことが好きだ。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

幼稚園、小学校と、2キロ近い道のりを歩いて通った。幼稚園の頃は母親と一緒に歩いた。ほどほどの運動になって良かったと、母は話している。小学校に上がると、友達と登下校もしたし、一人の時もあった。2キロ。道草食いながら遊びながら、よく歩いたものだった。

社会人になった今も、変わらずに歩いている。

最寄駅が各駅しか止まらない駅であるため、隣の特急が止まる駅まで歩いてしまう。その方が時間の融通も効く。やはり、およそ2キロ。20年前と同じような距離を今だって変わらず歩いている。

 

歩いていると考えがまとまっていくなぁというのが上の記事だ。

その理由が少しだけわかった気がするので書こうと思う。

 

歩くと考えがまとまる理由は、二つ。

一つは歩く以外の行動ができないため。もう一つは、とびきり単純な反復作業であるためだ。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

テレビにスマホにBluetoothにNetflix。情報とメディアにどっぷり浸かっている現代社会の日常において、「なんでもない時間」がとにかく減っている。

三上という言葉をご存知だろうか。

宋の時代に生きた中国の政治家、欧陽脩が残した言葉。物事を考える(文章を書くだったかもしれない)には、馬上、枕上、厠上の三上が適しているという意味だそうだ。

三上に共通していたのは「他に何もできない時間」であった。移動中も、寝る間際も、トイレの中でも、ほかの行動ができないからこそ、思索が捗る。

でも今は違う。

馬上は電車の中。もれなくみんなスマホを触っている。本を読んでいる。寝る間際も充電しながらスマホ。トイレでももちろん。

「ながら」に適したデバイスの登場で、三上の環境は一変したのだった。思索の宝庫ですら、情報を得られてしまう。新しい情報に次から次へと晒され、それらを熟成させることができなくなる。

そこで、歩く。馬にも頼らず、ひたすら歩く。

片手にカバン、もう一方にお弁当を携えて、えっちらおっちら歩く。これがどうしようもなく「なんでもない時間」「他に何もできない時間」になる。ほかの行動が全く取れない。通勤だから、一目散に会社を目指し、一目散に家を目指す。

歩くしかできない中、歩く。

すると脳みそはどうなるかというと、勝手に休むか、勝手に何かを考え出す。情報にまみれた日々のパーツをつなぎ合わせて、なんらかの形を作り出そうとする。考えが煮詰まっているということなのだろう。三上の本来の効能だ。

 

さらに、「歩く」は単純作業。

以前、ひたすらシールを貼り続ける作業に従事したことがあるのだが、その時も猛烈に思索が捗った記憶がある。シールを剥がして貼る。剥がして貼る。剥がして貼る。延々と繰り返す単純作業はいつしか何も考えないで半ば機械的に行えるようになる。

作業に割かれていた頭の容量。それが機械化された瞬間から、頭の容量は空き、思索が回り出す。

「歩く」もそうだ。

1歳ごろに習得するであろう人間ならではの作業、「歩く」。幾度となく繰り返す中で、作業だと思わないほどに当たり前になっていく(あたりまえ体操でネタにされているところからも明らか)。

ひたすら歩く行為は、ことにとびきり機械化された単純作業なのである。

行動のど真ん中が単純作業だと、頭が暇になる。そして、周辺視野に目が行く。

掃除をする時、古いアルバムに手を伸ばすように。食器を洗わなきゃいけないのにこうやってブログを書くように。奥さんがいるのに浮気をするように。周辺視野は常に魅力的だ。

日頃は注目が行かない場所に光が当たる。掃除時のアルバムが、「歩く」時には思索のタネになって現れる。普段考えていなかったけれど気になっていたことが、ビューンと頭の中に飛んできて、気になって仕方なくなる。

 

単純作業としての「歩く」が思索のタネを呼び起こし、「歩く」しかできない環境が考えを煮詰めて行く。

これが「歩く」の効能だ。

 

通勤でひたすら歩くおかげで、最近はとりとめもない考えを浮かび消すことが多くなった。生産性に欠ける行為かもしれないが、考えること自体、嫌いではないようで、実学とはかけ離れたところに思索を飛ばすこともあれば、目の前の商売を考えたりもする。

別に自分の頭だから何を考えようが自由なのだ。

また明日も往復4キロ歩く。

何を考えようか、何が頭に浮かぶのか、楽しみだ。

「チーン」「五階です。」

会社のエレベーターに乗り、何の気なしに点滅する表示を眺める。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

うちの建物の構造上、五階によく止まる。理由はさておき、五階での停止率は圧倒的に高いのである。

エレベーターが機械的に告げる。

「チーン」「五階です。」

これを聞くたび、僕は寸劇をしたくてたまらなくなる。

 

「なぁ、盗ったんだろ?盗ったんだよな?え?盗ってない?どの口が言ってるんだよ。じゃあなんでお前のカバンからうちの商品がこんなに出て来るんだ?レジ通してないだろ?これ。なぁ、こじれないうちに話した方が身のためだぞ?」

「チーン」「誤解です。」

 

みたいな。

 

「ねぇ、昨日は職場の飲み会って言ってなかった?女の子と二人でイルミネーション見てるあなたを見かけたって友達から連絡来たんだけど。写真まで送られてきてる。このカバンあなたのよね?この帽子も。この手袋は私が編んだやつ。ねえ、なんとか言いなさいよ。なんとか言いなさいって言ってるでしょ。」

「チーン」「誤解です。」

 

みたいな。

 

大抵、エレベーターには他人がいるし、仮に誰もいなかったとしても気の置けない人と乗っている確率なんてそんなに高くなくて、仮の仮に誰もいないエレベーターに気の置けない人と乗っていたとしても、このシチュエーションコントを理解してもらえるかは甚だ疑問である。

だから、現実世界でこのショートコントをすることはまずない。

まずないのに、いや、まずないからか、エレベーターで五階に停止するたびに頭の中ではコントが始まる。様々な誤解のシチュエーションが頭を駆け巡って、ニヤニヤする。

 

こんなことを、毎日毎日ずっと考えている人生が、僕の人生です。

ライフイズビューティフル!

突っ張り棒を過信するな。繰り返す。突っ張り棒を過信するな。

引っ越しして2週間とちょっと。

めちゃくちゃな繁忙期に引っ越して、昼夜に渡る多忙により体調がドドンパしたところからやっと持ち直してきた新年4日目。新年早々から休まず勤労デイズだったところ、やっと休んだ新年4日目。生活にも若干の落ち着きが出てきました。

部屋の片付けもひと段落したため、喫緊でやることは少ない。ゴロゴロして、洗濯して、あとは掃除でも…と思いながら、日頃拝見している様々なブログの新年・年末の記事を読んだり、頭良さそうな人の頭良さそうな記事を読んだりしていた。

 

不意に、台所から、破滅的な音がした。

それとなしに閻魔が通り過ぎたような。北の将軍の出来心のような。激しい音。

 

僕の部屋はいわゆる1Kである。

玄関入ったら、右手にすぐトイレ。左側には通路。

通路に沿って左手に台所と冷蔵庫と洗濯機が並んでいる。そして突き当りが浴室。

浴室を正面にして右手のドアを開けると居住スペースが広がっている。東京の一人暮らし用マンションの定番間取りだろう。

そんなに物持ちだった覚えもないが、旧居の収納が案外広かったため、そこそこ大量な物と共に引っ越してきた。しかし、新居の1Kは収納が少なかった。溢れに溢れた物物物。

なんとか収納をしようと、買ってきたが突っ張り棒。

 

平安伸銅工業 突っ張り棚 強力伸縮タイプ ホワイト 耐荷重30~13kg 幅63~93cm KB-63

平安伸銅工業 突っ張り棚 強力伸縮タイプ ホワイト 耐荷重30~13kg 幅63~93cm KB-63

 

 

こんなようなやつ。

デッドスペースとでもいうのだろうか。中空には使い用のないスペースがたくさんあった。そこに物置けばいいんじゃね?と、所狭しと張り巡らせた突っ張り棒網…いや、突っ張り網。ものを乗せるものを乗せる。キャリーオーバーしまくる。

物に溢れていた1Kは、見た感じ非常にスタイリッシュに収まった。中空のフル活用である。

 

さて、先刻の閻魔のおさんぽ、将軍の出来心の正体は、キッチン上部に張っていた突っ張り棒の落下であった。

食器、調味料、キッチンペーパーやサランラップが乗っかりまくった突っ張り棒が責務に耐えかねたのか落下。真下に置いてあった水切りラックに直撃した。

食器の断末魔。水切りラックの四肢が引きちぎれる音。調味料の雨。

明らかな非常事態がのんびりを体現していた僕の脳天を直撃した。

 

現場は混迷を極めていた。

あまりに大きい災害に直面した時、第一報では被害の様子がはっきりわからない。被災者が指数関数のごとく増えていく。まさに、その状態。

引っ越し時に選別されてきたはずの食器が無残にも横たわる。買ったばかりの調味料は床に味付けをしている。僕は床を食べはしない。使えると思って拾い上げたコップは、半身が砕け散っていた。

あぁ…あぁ…

あまりの事態を飲み込めずに、今僕はこれを書いている。

検察が来るまで現場は動かしてはいけないというしなぁ…とぼんやり思いながら、検察来るのか?これ、検察来るのか?と、そもそも検察来ないかもしれない可能性を考えている。そう、多分、検察は来ない。現場と対峙しなければいけないのは、僕だ。

左を向くと、キッチンが口を開けて待っている。

カレー粉の脳漿が飛び散っているのが見える。

戦いに、向かう。

www.youtube.com

勇気をください。インディー・ジョーンズ。

「川内優輝氏、-17度の中で2時間20分を切って世界記録樹立。」の底知れなさ

このニュースに度肝を抜かれた。

川内優輝、-17度で世界記録! 76度目の2時間20分切り 米仰天「極寒最速ランナー」 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト


要するに、

76度目の2時間20分切りという世界記録を達成したレースが−17度のレースだった。川内とかいう日本人ヤバい。

っつー話。

 

ニュースを形作る情報がどれもぶっ飛んでいる。

-17度の世界を知る人が日本国民にどれだけいるだろうか。

フルマラソンの苦しさを知る人がどれほどいるのだろうか。

その中で、2時間20分を出すことが難しいことを知っている人がどれだけいるか。

ありえないコンディションでのありえない記録。ありえなさが極まりすぎて、荒唐無稽が極まりすぎて、ただのギャグニュースみたいになっている。

さらに拍車をかけるような、川内氏のコメント。

「これまでたくさんマラソンを走ってきて、天気に関して比べるのは難しいけど、一つだけ言えるのは、歴代のマラソンの中で最も寒かったということ」

 そりゃそうだろうな。そりゃ一番寒かったろうな。

書道の達人が技術の極地にたどり着いた末に、

「直線を書くのが、最も難しく、最も奥深い。」

なーんてコメントを残したら、僕らはなるほど…と頷くしかない。

今回の川内氏のコメントは単純な分、そういった類の趣深さすら感じる。

 

で、どれだけすごいのか。以下を見て欲しい。

www.data.jma.go.jp

気象庁がまとめた、世界主要地点の月別平均気温である。

見てみると、−17度とは、中央シベリアのイルクーツクにおける一月の平均気温と同程度の寒さ。寒さ界で言ったら横綱を張れるシベリアの、真冬の気温と同じ。

ちなみに我が故郷である北見市も真冬絶好調時には−25度やら30度になる。したがって僕も−17度の世界を知っているのだが、正直、生命活動を2時間維持するだけで精一杯の寒さである。というか2時間外に放っとかれたら大概死ねる。走るなんてもってのほか。

寒そうだなって思う箱根駅伝復路のスタートでさえ、せいぜい0度とかのものだ。あれよりまだ20度寒い。しかも。20キロ長い。

 

一方のフルマラソン2時間20分を切るとは、どういうことか。

今井正人選手を、ご存知だろうか。

順天堂大学時代に箱根駅伝で山の神として君臨した元祖5区のスペシャリスト。2005年の箱根では、11人抜きかつ区間記録を2分17秒更新。漫画でも描かないような偉業を成し遂げている。

その今井正人選手の初マラソンのタイムが、2時間18分1秒。

山道をゴリゴリ押していける力と、42キロを走破する力は一概に同じとは言えない。だとしてもである。学生トップと謳われたランナーでも、2時間20分を切っていくのは容易ではない。

それを76回やるのも変態だし、ましてシベリアの真冬の空気を切り裂きながらときた。参ってしまう。

 

業界人であればあるほど、そのぶっ飛び具合に衝撃を受けるニュースであろう。短距離しか知らない氏がない選手だったが、書かずにはいられなかった。

川内さんには、暖かいおしるこでも飲んで、栄養とって、ゆっくりして欲しい気持ちである。

月よりも街灯が明るいことについて

昨日今日とスーパームーンだったらしい。今朝のJ-WABEで別所さんが話していた。

スーパームーンの名残は今夜の空にもあった。満月から少し欠けた形をしていたけれど、確かに昨日の夜であればスーパームーンだったんだろうと思わせるには十分の大きさと明瞭さ。月を見上げながら新しい通勤ロードである川沿いを歩いて帰ってきた。

川沿いの住宅街とはいえ、街灯はポツポツと置いてある。川を照らし、住宅を照らす。均等に配置されたそれは、僕の影をリレーするかのごとく伸ばしては縮ませる。

月を見上げながら、街灯に照らされる。

どちらが明るいかといえば、街灯だった。

街灯という近くにあるわかりやすい光と、月という遠くにある光。距離も鑑みたら、圧倒的に月の方が明るいはずなのに、目の前の街灯にとりあえずは照らされている。街灯の光を頼って歩く。

月が偉いわけでも、街灯が浅ましいわけでもないが、得てしてこういうことはよくある。本質的に最も重要で大きな出来事が遠くに燦然と輝いているのに、手前の分かりやすい物事に惹かれてしまうようなことが。

 

月の実態を掴んで、月までの道を引いて、ひた走る。

最もやらなければならないことはそういうことだ。だけど、月はすぐ雲に隠れて見えなくなる。満ちては、欠ける。その上、手前にはもっと輝く街灯がたくさんあって、月の姿を見えなくさせる。

でも、定めなきゃならない。走らなきゃならない。

 

メタファーばっかり浮かんでは消える。喩え話はもうわかったら、そろそろ具体的に走って行かねば。ぼんやり思っては浮かぶスーパームーン。いつかたどり着くのだろうか。それに向かって進んでいるのか、はたまた流されているのか。

2018年の未来感

年が明けました。本年もひたすらパタパタキーボードを打っていく所存です。90名を超えた読者ですが、アクティブユーザーは片手で収まるくらいのものだと把握しております。読んでいただける方々のために、やれるだけ、書けるだけ、思いの丈を綴ってまいります。別に賢くも何ともない文章ですが、そんなもんなんだと思って読んでいただければ幸いです。

 

さて。

 

2018年となった。

例年通り、会社のお姉様方とカラオケにて年を越した。酒と歌とタバコに塗れて、退廃的とも言える年越し。一応年は跨いでいるけど、別に毎日繰り返す一日と変わらない気持ちでニューイヤー。

ボロボロになりながら家に帰り、旧年中の汚れを新年に落とし、うとうとして、僕の新年が始まった。本読んだり部屋掃除したり初詣に行ったり、一人暮らし独身男性のお手本のような正月を過ごしたと思う。世の中の回転が一年で最もゆっくりになる日。自転車で初詣に向かいながら、シャッターが閉まりまくって人が少ない商店街に独特の気持ちよさを感じた。

 

これから一年間、2018年を生きていくのだが、2018年をまさか生きていくとは思わなかった。圧倒的な未来感。2018年。

子供の頃、2012年に世界が終わるような気で生きていた。1999年の予言の時には幼すぎて、世界の終わりに想いを馳せることはできなかった。しかし、そのあと出てきた何とかって人の予言の上で2012年で世界が終わるとされていたものだから、北海道の片田舎で育ったピュアな少年はそいつを間に受けてしまった。

案の定、世界は終わるわけもなく、ズルズルとやってきたが2018年。

人間の想像しうることは何でもできるとは、手塚治虫が言っていたんだったろうか、藤子不二雄だったか。しかし、いよいよそういう時代になりつつある。技術がすごい。

技術がどんどんどんどんと世界を塗り替えていく。いつだって世の中を変えるのは技術。技術を広めるのは文系の仕事っぽいと思うけど、今や唯の文系じゃ理解し得ないところまで技術が進んできてしまっている。商売がうまい技術者に、文系人間は絶対に敵わない。

手に職もないサラリーマン商売人。これだけじゃ生きていけないよなと考える2018年元日。手の伸ばせる範囲で、未来をやっていく。

今年書いた中でもう一度読んでもいいかも知れない記事を振り返る

ファン待望の企画。

本年も残す所わずか10数時間。抱負と振り返りが交錯する世相。

僕は今年260の記事を積み上げた。おおよそ月に20記事。週休2日制をブログにも導入した形。

260もあると何書いたんだかわからなくなる。ので、振り返ってみようと思う。月ごとに一つか二つ、面白そうな記事をピックアップした。奇特な方の年末暇つぶしに役立てばいいと思う。

 

一月

ktaroootnk.hatenablog.com

横目で映画を見ていた時に書き上げた記事。

愛は世界を救うが、愛は頭のネジをぶっ飛ばす。

 

二月

ktaroootnk.hatenablog.com

しばらく作り続けている弁当についての記事。

熱い想いがほとばしっている。

これから弁当を作ろうとしている人の一助になったら嬉しい。

 

三月

ktaroootnk.hatenablog.com

貴重な体験の感想文。修学旅行でも見られなかったであろう、目の前での国会答弁。安倍首相の半ギレ答弁が見られた。しかしあれだけヤジられたらキレもするだろう。場外から大声出すだけの議員の情けなさよ。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

今の相棒を買う時に学んだいくつかのこと。

Intel入ってるの意味がやっとわかった。

 

四月

ktaroootnk.hatenablog.com

他人の人生を聞くのは本当に面白い。十人十色の喜びと十人十色の修羅場がある。

居酒屋のマスターが居酒屋のマスターになるまでのお話。

 

五月

ktaroootnk.hatenablog.com

不作の五月だったけど、強いて言えば。

一長一短。育てたようにしか育たない。環境が性格に及ぼす力はそこそこに大きい。

そんな中で、一人っ子とはという。

 

六月

ktaroootnk.hatenablog.com

しちじしちじしっちじ〜〜♪

についての考察。真剣な文章。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

のんびり読んでもらえればそれでいい文章。

 

七月

該当なし

面白くなかった。

 

八月

ktaroootnk.hatenablog.com

悲しいことが起こると、筆が進む。

卵をダメにした時、僕はどうしたか。

 

九月

ktaroootnk.hatenablog.com

読んでくださればそれで結構です。

ヤバいで片付く気持ちが腹立たしかった。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

衝撃的な体験談を目の前にして、書かざるを得なかった。

日本の闇なのかも知れないが、闇を知ったものだけが突入できる漆黒もまた、存在する。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

中学時代の思い出を綴った。

 

十月

ktaroootnk.hatenablog.com

ばあちゃんが亡くなり、生とは、死とは、何だろうかと考えた。

たくさんの縁を残すこと。それこそが生の意味だろう。今も、そう思う。

 

十一月

ktaroootnk.hatenablog.com

ktaroootnk.hatenablog.com

音楽について。

ピロカルピンについて書けたのは本当に良かったと思う。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

ktaroootnk.hatenablog.com

仕事寄りの話。

考え事を書くことが多くなってきた。

 

十二月

ktaroootnk.hatenablog.com

僕の、僕による、錦糸町のための文章。

 

 

今年も一年間、お世話になりました。

もう仕事に行かねばならないので、行ってきます。

では、ごきげんよう。

東京駅、京葉線、地下通路

都心に張り巡らされた電車網。私鉄とJRが入り乱れた超複雑な組紐が展開されている。

山手線のように4番サード的立ち位置の路線もあれば、世田谷線のようなローカル局の町歩き番組にこそ映える路線もある。みんな違って、みんないい。

そんな東京でひときわ異彩を放つ路線が、京葉線である。

東京と千葉を結ぶから、京葉線。わかりやすいネーミングだが、東京ー千葉間には総武線や総武快速線、東西線という怪物路線が強大なパイプを引いており、京葉線に大きな存在感があるかといえば、そこまでではない。

がしかし、おそらく大多数の国民がこの京葉線の世話になっていると思われる。

舞浜駅、ディズニーランドの存在だ。

京葉線は東京と千葉を結ぶパイプの役割以上に、東京駅とディズニーランドを結ぶ路線としての役割が大きい。武蔵野線と京葉線が交錯している舞浜駅だが、東京駅と接続されている京葉線はやはり無類の強さを誇っている。圧倒的使用率。

この、ディズニーランド輸送というワンポイントで利用されがちという特徴以外にも、京葉線が異彩をぬらつかせる要因がある。

それが、立地だ。

新宿、渋谷、池袋と沢山のモンスターステーションが存在する東京ではあるが、その殆どにおいて、JR線はある程度固まって配置されている。路線同士の乗り換えをスムーズにさせるための措置だろう。

しかし、東京駅における京葉線の立地は法則を全く無視する。

めっちゃ歩く。超遠い。

歩く歩道に次ぐ歩く歩道。エスカレーターに次ぐエスカレーター。ほぼ別の駅に向かう規模の大移動をしなければならない。

来たるディズニーにワクワクドキドキしながら脳みそストップ状態で歩む人人人。夢への行軍。京葉線が遠いことなんて頭の片隅にも無い。一心不乱に歩みを進める。

夢につながる廻廊を彩るのが、所狭しと並んだ広告達。

廻廊を歩く人々は、間も無く訪れる至福の時間を脳裏に浮かべているものだから、どれほど広告に目を向けているのか知れない。

しかし、広告達は輝く。したたかに輝き放つ。


千葉、千葉、千葉。

これから千葉に行くよね!だから、千葉の魅力を教えてあげるよ!

京葉線に乗ろうとするあなたに、千葉の耳寄り情報を教えちゃう!

ディズニーランドを目指す浮かれポンチな行軍を他所に、ど真面目極まりなく千葉のPRを続ける広告達の群れ。夢と現実の錯綜に、心を乱される。 

京葉線。

半分は東京だが、半分は千葉。

総武線や東西線では表されなかった、「葉」の文字。千葉県民のアイデンティティを標榜した路線だからこそ、千葉千葉しい廻廊を用意したのかもしれない。


初めて聞くようなお祭りやレジャー施設がさりげなく僕らの目を奪う。東京ディズニーランドがたとえ千葉にあろうとも、ディズニーに頼らずに生きていく覚悟が、京葉線にはあるのだ。

男気を、京葉線に見た。

言葉の力と言葉が伝えること

みんながみんないろんなことを考えて生きている。十人十色の考え方があるし、考えていることがある。

それを伝える手段として、人間は言葉を発達させてきた。

今のコミュニケーション手段を考えてみても、会話にチャットにビデオ通話にラインにメール。どれもこれも言葉。言葉でしか僕たちは仔細に考えを伝えることができない。

だから言葉をうまく使えるようにならなければならないと思っているし、逆に言葉が自在に使えさえすれば十全に考えを伝えられる。

 

一のことを言葉で伝える時にどう伝えるか。

その時に選ぶ言葉や言葉の数によって、人間の色が出てくるように思う。

一のことを伝えるために本当に一しか伝えなければ、人物像はぶっきらぼうなものになっていくだろうし、一を伝えるのに十を伝えるけれど朴訥と話せば実直な印象に、逆にリズミカルに話せば調子がいい印象に。言葉の選び方と使い方で全く印象が変わるということから、人間としての営業戦略の最たるものとなり得る。

 

印象操作の術としての言葉。それ以前に、考え方を、情報を伝える機能としての言葉。

言葉で伝わり方がいくらでも操作できてしまう以上、言葉に落とし込んだ時点で、もうそれは自分の考えではない気がしてきた。

伝え方に人間性が出るというのはわかる。でも、伝えたいことは人間性よりも考えとか、情報なのだ。

 

こうやってブログを書いている奇特な人間は大抵、日常でも伝え方が上手いようで下手だ。一を伝えるために十も百も言葉を並べて結局何が言いたいのかが伝わらない。

でも直球は投げられない。それが人間性と言われ、優しさとか狡さとか言われるならそれでもいい。伝えたいのはそこじゃないのに、伝わるのは大抵そこ。

 

そのうち脳みそを丸ごと取り出して、考えてることをビジュアル化できるようになるかもしれない。余計なコミュニケーションを取っ払って、ダイレクトにコミュニケートする手段。伝えたいことを的確に伝えられる。いいことだと思う。百の言葉を並べながら、百の言葉に隠された一がわからなくなることもない。伝え方で守ることも責めることもできる煩わしさもない。

 

ただ、それができないから、僕たちはまだ言葉を並べる。言葉で話して、伝える。

育ってきたような、考え方の通りの、伝え方に則りながら。

錦糸町に3年間住んだ感想 端的に言うととてもよかった

何から伝えればいいのか わからないまま時は流れて

浮かんでは消えてゆく ありふれた言葉だけ

 小田和正「ラブストーリーは突然に」の、歌い出しの一節。

 

散らかりすぎた部屋を片付ける時どこから始めたらいいのかわからないように、積もりすぎた思いを伝える時、僕たちは何から伝えればいいのかわからない。

 

先般、錦糸町を離れた。

三年足らずの生活だったが、僕が住んで感じた錦糸町を表そうとしたとき、何から伝えればいいのか…と、そんな気持ちになる。部屋は片付けて引っ越したものの、住んでみてどうだったのか、何を感じたのかといったところは、全く片付いちゃいない。

住んだ期間の割に寂しい気持ちがむくむくともたげているので、錦糸町のことを僕は好きだったのだと思う。いや、好きだった。とても住みやすく、生活しやすい街だった。

何がよかったのだろう。街の持つ顔、僕の考えと生活のスタイル、周りの環境。それぞれの相性が良く、住みやすさと心地よさを感じていたのだろう。どれが特別だったというわけでは、きっとない。

少しずつ、綴れるところから綴って行く。

 

僕が住んでいた地域

錦糸町駅は、北口と南口がある。両者は表と裏のようなもので、全く文化が違う。どっちが表でどっちが裏かは、何とも言えない。

北口には、スカイツリーへ続く道が整備されている。下町っぽさと最近開発された道とが折衷して、上品さと無骨さが混ざり合った独特の風情を作っている。古くからあるお店とスカイツリーバブルで湧いて出てきたお店、そしてチェーン店。整備が行き届いた石畳の道から枝分かれした、整備できてない路地。下町が開発されたらこうなりました!って姿だろう。

一方の南口は性と金と酒とギャンブルを全部足したら出来上がる町。

ランドマークはマルイとJRA。休日は競馬をしにどこからともなくおっさんたちがうじゃうじゃと湧いてくる。もれなく片手には競馬新聞。ダフ屋やら予想屋も軒を連ねて築きあげるは一大ギャンブル文化圏。JRAを取り巻くようにパチンコ屋も整備されている。夢はあるが、儚い。

転じて、毎晩夜になると飲み屋が暖簾をあげる。性風俗屋さんだらけの雑居ビルが乱立しており、その下でキャッチのにいちゃんたちがせめぎ合う。おっぱい、飲み、抜き。酒と金と性が螺旋をなし、仕事に疲れた野郎どもの溜まり場を生んでいる。

強面のにいちゃんだらけで、治安が悪いのかといえば、そうではない。喧嘩の類はほとんどないのがいいところだ。絶妙なパワーバランスの上に成り立っているのであろう、怖い思いはほとんどしない。冷戦時のソ連とアメリカみたいなものである。側からしたら怖いが、実害はさしてない。

文章の熱量からも分かるだろうが、僕は南口に住んでいた。徒歩10分かからないくらいのマンションである。性風俗に難ありの地帯から少し離れ、首都高の超えた先のマンション。

無数のキャッチに声をかけられながら歩いた家路だった。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

友達もできた。

疲れ果てた帰り道に話し相手がいる。煩わしいと思う日もあれば、救われる日もある。うっとおしいだけのキャッチではなかった。

飲み屋飲み屋キャッチキャッチといえど、怪しい飲み屋だけではなく、ちゃんとした居酒屋もたくさんある。錦糸町で飲み会を開いて、泥のように飲んでも、そこに家がある。終電を無視できる安心感が凄い。繁華街の近くに居を構える利点であろう。色んな人を泊めたものである。

 

交通の便

錦糸町に住んでいて最も便利だった点が、交通。

東京は墨田区。JR総武線、JR総武快速線、東京メトロ半蔵門線が交錯する街である。23区内では千葉に寄りで、江戸川区や葛飾区と並んで千葉っぽい東京とされているところがあるが、千葉にいくにも都心に出るにも、何なら埼玉にも神奈川にも出やすい万能都市である。

東京であれば、「新宿・渋谷圏」には総武線や半蔵門線で。「西東京圏(吉祥寺とか)」には総武線と乗り入れている中央線で。「東京・銀座圏(新橋・品川も含め)」には総武快速線か半蔵門線で。あらかたの文化圏に乗り換えなしでアプローチしていける。難点があるとすれば六本木・赤坂界隈だとか、池袋のあたり。でもテレビ局や広告屋さんに用事がなければたいして困らないし、サンシャインには年一くらいしか行かなかった。通う人は考えたほうがいい。

神奈川にはふた通りのアプローチ。総武快速線が乗り入れている横須賀線で横浜を通って鎌倉や逗子や久里浜の方に誘われる方法と、半蔵門線が乗り入れている田園都市線で世田谷(二子玉川)を通り、長津田や中央林間の方まで誘われる方法。風光明媚な神奈川と生活圏の神奈川、どちらにも行けるのは何かと便利。

埼玉に関しては半蔵門線押上の奥、スカイツリーラインで北千住を通りながら越谷や春日部、久喜の方まで。池袋に弱いくせに埼玉には強いのが錦糸町である。

言わずもがな、千葉には総武線が無類の強さ。押上まで出れば京成線も走っているし、気合い入れて東西線の東陽町まで出れば、葛西の方にも行ける。

JRと東京メトロが交差している駅は他にもあるだろうが、ここまでどこまでも行ける駅はあるのだろうか。「乗り入れ」というマジックワードが全てを便利にしてくれている。感謝。しかし、乗り入れちゃっているがために、埼玉の彼方での事故によって錦糸町のダイヤがぐちゃぐちゃに乱れることは多々ある。要注意。

 

日々の暮らし

どんなに飲めたって、どんなに風俗が軒を連ねていたって、どんなに交通の弁がよくたって、生活ができなければ意味がない。衣食住が基本なのである。

衣に関していえば、アルカキットとオリナスで大抵が解決される。

アルカキット錦糸町

錦糸町ショッピングモール オリナス :::olinas:::

ユニクロと無印とセレクトショップ。もはや服なんてそんなもんで事足りてしまう。

もしちょっとちゃんとしたもの買いたいのであればマルイに行けばいいし、多分そうなったら新宿とか銀座に出る。出なさい。

食はどうなのと言われると、亀戸の方が便利。何が便利って、商店街と業務スーパー。

安い!おいしい!楽しい!亀戸中央通り商店街

酒の河内屋 亀戸店のチラシ・店舗情報 | トクバイ

錦糸町~亀戸間はチャリで5分ほどだから、全くもって苦にならない。毎日の弁当の材料はほぼ全て商店街内の八百関商店と業務スーパーで済ませていた。下町だからか何なのか、物価は安い。

さて、住環境である。ネックはここだ。

驚異の交通の便、繁華街、スカイツリー。そこそこな土地の価値があるのだろう。

家賃が高い。

錦糸町駅(東京都)の家賃相場:賃貸物件サイト【CHINTAI】

僕はやっとやっと会社から補助をいただきつつ住み長らえてきたものの、体一つ生身で生きて行けと言われたら全くもって住めない街だった。同じマンションに住んでいた人たちの所得とかどうなってんだろうと思う。めっちゃいい給料もらっている中に紛れ込んだ弱小年収ボーイ。滑稽ですらある。

逆に、家賃の問題さえ解決されたのなら錦糸町は猛烈に住みやすい。お金持っている人、是非どうぞ。

 

お世話になったお店

三軒、あげたい。

tabelog.com

インドカレー居酒屋。夜は月に何回かライブバーになる。

不意にランチで寄ったらマスターに捕まり、そこからちょくちょく行くようになった。

ナンがそもそも好きだったのと、音楽がそもそも好きだったので、渡りに船なお店だった。集まる人たちがみんな大人。分かりやすく大学に進学して就職した人生では知れないような人生をたくさん見たお店だった。

如何せん北口にあったので足繁く…とほどまでは行かなかったが、錦糸町の生活を思い出すときには必ずセットで想起すると思う。

 

tabelog.com

音楽酒場。ギターベースドラムキーボード完備。オープンマイク。楽器が弾ける人が集まり、歌を歌いたい人が集まり、酒飲みながら歌いたい曲をリクエストしたら楽器弾ける陣が精一杯弾く。楽器弾ける人にしたら堪らないお店である。

大抵行ったら朝までコースになり、朝までコースになると無限にお酒を飲んでしまうので、節度を守りながら通った。

人前で演奏する楽しさったらない。ビートルズのような共通言語となっている音楽を、初めてセッションする人たちと演奏する時の緊張感とワクワクといったら。

このお店に行けなくなってしまうのが、錦糸町を離れる寂しさの片棒を担いでいる。

もっと行けばよかったと思った時には遅い。

 

tabelog.com

後輩が行きつけにしているお店。釣られて僕もフラフラと行くようになった。

無限に焼き鳥が美味い。特にレバー。じっくり火を通して、ほぼレアな状態で食べる鳥レバーは絶品。絶品のくせして一本130円とか。鳥貴族も別にいいけど、松っちゃんの焼き鳥を食べてしまったら鳥貴族の焼き鳥のコスパにがっかりしてしまう。

全席で10席もない。2,3人の友人と、美味しいご飯を食べながら語らいたい時には圧倒的にオススメのお店。食べログしか貼れないけど食べログの評価なんかアテにならないいい例だ。

 

この三軒には本当にお世話になった。

忙殺されながらの引っ越しで、最後挨拶もしないで引っ越してしまったのが心残りだ。改めていつか行かなきゃ行けない。時間作って。

 

まだ何か書きたい気がする

だけど、今のところ何を書きたいのかわからない。

旧居も完全に引き上げてしまったものだから、僕と錦糸町を結びつけるものは何一つなくなってしまった。

一つ一つ、思い出にしていく。思い出が増えるたび歳をとる。人生は豊かになる。

引っ越して、やや2週間。新しい街はまだ外様の街。今の街もいつかは豊かな思い出に彩られた街になると信じている。いつか引っ越す時、タラタラと書き出したくなるようになればいい。

また、思い出したら書くようにする。

年が明ける前に書けてよかった。