学生たちに弊社を啓蒙する仕事に携わっている。通常業務に加えて他のプロジェクトに関われるのは大変楽しいことだが、それでも「残業するな」「休め」と声を大にする弊社の可愛い無茶振りはなかなかのものだ。
降りしきる無茶振りの雨の中、少なくない数の学生と話す。
その中で、企業から見た就職活動ってなんなのかってところと、学生が何を考えればいいのかを考えることが多くなった。ので、ちょっと書く。
企業からみた就職活動
つまり採用活動である。
別に採用活動が主だった業務ではないので、それが僕の評価につながるわけでもない。だから採用活動を主たる業務としている方々がどんな数字で評価されているのかはわからない。
しかし、察するに採用活動の目的は優秀な人材を確保することに尽きる。
ではこの優秀な人材ってなんだろうか。
そんなものどこに転がっているんだろうか。
会社説明会やら採用ページやらで語られる優秀な人材像や求められる人材像。チャレンジ精神が旺盛で…既存の枠組みにとらわれない豊かな発想で…なんやかんや言ってるが、企業からしたら結局は儲けられる人間が欲しい以外に何もない。
儲けられるとは何かといえば、現在回っている儲けシステムの中に飛び込んで更に儲けられるようシステム改良することであったり、新規で利益を生むシステムを構築して新しい市場を作ることであったりする。それをデフォルメして伝えているのが求められる人材像だ。
様々な儲けシステムに組み込まれたとしても改良できそうで、儲けシステムを考え続けられる人材が優秀な人材であり、学生たちの語る自身の経験から優秀な人材を探すことこそ採用活動、こと新卒採用活動のミソだろう。
優秀な人材探しをする際、企業は門戸を開く。
「うちの会社に興味のある学生、手ぇ挙げて!」
声を大にして叫ぶと、学生たちは手をあげる。これがエントリーである。
業界の動向、会社の業績、印象、働きやすさ。それら諸々を加味したうえで、学生たちは各々の興味関心に基づき企業を見て回り、手をあげる。
企業は、この手を挙げた学生の中から優秀な人材を探す。
つまり、「手を挙げた中」という市場が決め打たれてしまう。
これまで僕が会った学生たちも「手を挙げた中」の人材で、その中でピンとくる子がいたりいなかったりする。しかし、本当に儲けられる人間が「手を挙げた中」にいないことだってザラにあるだろう。
しかし採用活動そのもので「手を挙げた中」の範囲を拡充するのは至難の業である。学生が手を挙げるか否かは日頃企業が行う商売に起因する。だから新卒採用活動の肝は「手を挙げた学生の中で優秀な人材を確保すること」と、だいぶ限定されてくる。
つまるところ、「学生たちが選んだ企業に選ばれる学生」、「企業が選びたい学生に選ばれない企業」みたいな複雑極まりない就職と採用のジレンマをお互いに抱えながら、ニーズを擦り合わせていく過程が採用活動らしい。
そんな中、僕が仰せつかっているのは「手を挙げた中」の学生たちが優秀かどうかを一つの意見として答申するとともに、学生たちが「手を挙げた中」から出ないように引き止める仕事だ。
答申するのは自分なりの儲けられそうな尺度に合うかどうかを判断してあとは人事にパスするだけ。決定権はないから気楽である。難しいのは引き止める仕事。これをするために僕は出来る限り清潔感を保ちながら賢く見せるように努力している。会社の嘘はつけない。正直なところを話し、夢を語り、就活の不安に答える。
「どんな人材が求められていると思いますか」
そんな学生からの疑問に対しては以下のように答えている。
学生からみた就職活動
儲けられて、考えられて、頑張れたうえで、社風に合う人が求められてますよ。
尋ねられたらそんなふうに話す。
福利厚生とか働きやすさとか働きがいとか甘い蜜を振りまきながら儲けることしか考えてない食虫植物のような各企業に入社するにあたり、学生たちは何をすればいいかと言えば、まず自分が儲けられる証拠を用意すればいい。
とはいえ学生の時分から強烈な証拠を用意するのはなかなか難しいと思うので、もっともらしい理屈で儲けられると述べるだけで大きく違う。憧れと理想だけで金は稼げない。儲けに目が向いているか、自分の経験や能力に立脚した証拠を持っているか。ここが大事だ。
次に考えられるというのは何か。
これがよく就活で言われる「エピソード」である。バイトで売上をどれだけ拡大させた、部活でタイムをどれだけ短縮した、サークルのリーダーとしてこんな風に組織を引っ張った。手を替え品を替えでいいのだけれど、なにを見たいかといえば「現状を把握、目標を設定、問題を発見、課題の把握・解決、目標の達成、さらに現状を…」っていう基本的な考え方があるかどうかを見たい。別に話の題材がなんだろうといい。この考え方のサイクルに、他者との調整とかの板挟みファクターが絡まった上で、それもクリアしたとかって話になると、尚のことご苦労様って気持ちになる。
でも多分大抵の学生がこの考え方してるんでしょうね。ノウハウとして見についてんだろうかしら。
さらに、頑張れなきゃ意味ない。
めっちゃ優秀な人材でもすぐ辞めちゃったら嫌だし朝起きられなくても嫌だ。でも就活頑張って手を挙げている人間はだいたい頑張り屋さんだって通念があるから特に問題はないかなって思う。
以上3点がなるほど納得出来る証拠に基づいて提示されたうえで、初めて社風とかの話になる。企業メッセージとかの話が出てくる。
別に社風が好き好き言われても300万払って300万ちょぼちょぼの働きしかしない人にお金は払わない。投資効率である。ペイバックが大きいって勝算が見えたうえで、企業は買い物をする。
美人やイケメンが両手に華状態になるように、優秀な人材もそうなる。自分を顧みた上で儲けシステムにコミット出来る側面を見せつつ頑張れる人間は誰もが欲しい。「そんな君がなぜうちの会社に…?」と問うてみたくなる。そこでまたもっともらしい理由でうちの会社に合うっぽいことを言うと、買い物する気になっていくのだ。
なーんてもっともらしい話を僕も学生たちにしている。なにしろ採用屋さんじゃないから何言っても信憑性はないのだけれど、「手を挙げた中」から出ないように、複数社から声がかかった時にうちに来てくれるように、小賢しくいるのである。
実際現場では…
企業は儲けるためにある。すなわち、儲けられる人材を第一に確保せねばならない。
これほど分かりやすいロジックもないだろうに、いざ人間同士顔と顔を突き合わせてみると、儲けられる力に目がいかない場合がある。
僕らがコミュニケーションをとる上で必要なのは言葉であり、声であり、表情である。話の中身以上に、雰囲気から物事を読み取ってしまうことが非常に多い。ものすごく精悍でキリッとした人間だったり、理知的な喋り方(内容は別として)をする人間だったりすると、内容までたどり着く前になんとなく誤魔化されてしまうのだ。
清純そう、素直そう、話の聴き方がいい。
「人間力」とかっていうわかったようなわからないような部分に左右されながら、本質を見極める。やりだしてみると楽しく、難しく、疲れる。
だったら画一的な試験とかで判断すればいいじゃんって話にはならない。
現場は人間と人間とのやりとりで動いているのだ。
どんなに紙面上は儲けられる人間だからといっても、対人上で儲けられなければ全く意味がない。僕らは選手だ。バットにボールを当てる技術で2万字のレポートが出せても実際にヒットが打てなきゃ意味がないのである。だから話の中で、商売でありそうなシチュエーションの中で、どれだけの能力を発揮できるか。表情や声色など全てを包括した上で儲けられそうかどうなのか。それを見たくて、面接をする。僕は学生と会う。
ガシガシと人間を掘っていって鉱脈にあったった時にどんな話が溢れてくるかが聴きたい。溢れ出る話の中に、儲けられる力も対人スキルも、あらゆる能力の証左が入っているはずなのだ。それを見せてくれないと判断のしようがないし、さすがに雰囲気だけでは掴みようがない。暖簾にならないで欲しいっす。
でも僕は結局無責任
書いてはみたものの、結局僕はこの分野においては無責任である。責任がないということは裁量がないということだ。本業じゃ絶対にできないであろうスーパーラフスタンスで仕事している。無責任にあーだこーだ言える立場は楽なのだが、それが学生にとってどうなのかがなんともわからない。
今の思考ロジックをそのままうちの会社に持ち込んだらマジで即戦力であろう学生に感嘆し、因果関係がぶっ壊れているけどバイタリティだけは漲りまくっている学生に夢を見る。どちらも素敵で、どちらも儲かりそうだなと思いながら、やんややんや言う。最後の最後で、僕は何もできないのだけれど。
しかしまぁ、こんなこと考えながらやっている。
引き続きやっていく。
頑張れ学生。頑張ろうぜ学生。