徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

iPhoneの画面と人間性

割りたいわけじゃない。画面が、割れることを、止まない。

事の発端は大分前だ。そう、去年の晩秋だったような。家のテーブルからコトンと落ちた。すると、斜めにうすーく線が入った。これが全ての始まりだった。派手にクラッシュしたわけでもなく、静かに静かに瓦解を始めた僕のiPhone。ゴリラガラスの内側に薄く入った線は次第に画面を蝕み、今や全画面がひどく傷んだ状態となっている。

バタフライエフェクト。風吹けば桶屋が儲かる。輪廻や因果の不思議。画面に薄く入った傷から全てが崩れて行くのは、自然の摂理か。今の世の中、iPhoneの画面が人間性を表すみたいなところがある。すごくギャルっぽい出で立ちなのに、シンプルなiPhoneケースに入ったピカピカの画面をしたiPhoneわ持っていたらどうだろう。きっと見直すだろう。じゃあ、どんなに着飾って整った外見をしていたとして、iPhoneの画面がバッキバキだったら。幻滅じゃないか。

僕は誠実な人間だ。少なくとも、いいやつでいようと思っている。いいやつでいようと思っているので、十全にその努力が現れていたとしたら、僕はいいやつである。そんないいやつのiPhoneがバキバキなのだ。悲しい。僕の心はiPhoneじゃない。勘違いしないでほしい。ただあの時、あの瞬間に、コトンと机から落としてしまっただけ。それだけなのに、なんとなく人間性を疑われるようなiPhoneの画面である。悲しい。とても悲しい。

iPhoneの買い替えに資金を向けられるほどのブルジョアではない。でも、今、晩御飯が面倒くさくて大戸屋に入ってしまっている。この大戸屋を家の飯に切り替えられれば、どれだけiPhoneの買い替えに近づくのだろう。わからない。それは砂や星の粒を数えるのと等しく、果てのない道のりだ。行けるだろうか。萎えるだろうな。

バキバキの画面を叩きながら。京急蒲田の大戸屋にて。

イチローにチャンピオンリングを

50になっても現役とか、日本球界には戻って来たくないのかとか、事実上の引退とか、諸々言われてるけど、ごく個人的には、イチローがマリナーズでチャンピオンリングを手にしてくれればそれだけでいい。

2001年のマリナーズは文句なしに強くて、イチローも大活躍だった。彼の前途にはプレーオフでのドラマが沢山待っていると誰もが思ったろう。だが、現実は違った。翌年から少しずつ歯車が狂い始め、2001年にペナントで116勝したチームはあっという間に100敗する常敗球団に転落した。

そんななか、孤軍奮闘を極めたのがイチローだった。

1番でひたすら出塁し、後続が倒れても自らの仕事を全うし続ける姿。9番にベタンコートが入った時にはイチローの前で打線が繋がってワクワクしたし、ヘルナンデスが頭角を現した時にはいよいよ投手の柱ができたと歓喜したが、それまでだった。プレーオフにすら進めず、ただいたずらに時だけが過ぎた。

その間、メジャーの日本人選手は増え続け、ワールドチャンピオンになる選手も現れた。田口、井口、松井。誰よりも個人で結果を出しているイチローに、世界一の座は回ってこなかった。

ヤンキースへの移籍も世界一への渇望だったのではないだろうか。戦術的にもぐずぐずになっていくマリナーズを飛び出し、よりプレーオフ進出可能性が高い球団へ。しかし、それでも勝利の女神はイチローに微笑まなかった。

年齢を理由にした各球団の買い渋り。日本球界からのオファー。数多引く手はあったろう。しかし、イチローはクラブに残る選択肢を選んだ。何を隠そう、それはまだチャンピオンリングを手にする可能性があるということだ。

このままキャリアを終えるのはあまりにも酷すぎる。野球史上最高のリードオフマンが無冠で終わるなんて。イチローは選手を望むかもしれない。クラブはそれを望まないかもしれない。そんなことはどうでもいい。監督でも、コーチでも、選手でもどんな形だとしても、イチローがチャンピオンリングを手にしてくれれば、それでいい。それだけでいい。

仙川へ

ごくごく親しくしている友人同士が結婚する。このパターン、実は2組目なのだが、なんというか心のコミット具合でいったら今回の方が大きい。違和感とか、不安定さとか、ぐらついた部分をほとんど感じない、素敵な夫婦である。僕の感性とも大変近いところに2人の感性もあり、個人的にも居心地がとてもいい。

さて、そんな2人が仙川に越した。

仙川とはどこかといえば、調布市と世田谷区の間に設置された駅で、リトル自由が丘と囁かれている場所でもある。街並みがそれは綺麗で整いまくっている割に、惜しくも調布市である。23区を愛撫するかのような立ち位置。愛おしいのか、憎らしいのか、わからない。

そして何より、僕が上京してきて初めて住んだ街だ。

はじめてのおつかいが印象深いものになるように、初めての一人暮らしも印象深い。しかも思春期を脱出して、やっと人格が定まってきた頃に吸った空気、見た景色は、いつまでたっても焼き付いて離れない。思い出がゴロゴロと転がり落ちてくる。部屋決めは母と巡った。吉祥寺の住宅情報屋さんで紹介されて、仙川とかつつじヶ丘あたりに家を定めた。内見に向かう途中に大家さんに電話した時に、大家さんの声色に惹かれた。聞いたら北海道出身であるという。何か縁を感じて、ほぼ迷わず決めた。そこが仙川だった。安い定食屋はなかったけど、落ち着いた雰囲気が全体を包んでいて、まじめに部活に打ち込む人間には大変ふさわしい環境だったように思う。四年。四年は大きい。変わらないようで少しずつ変わって、仙川を出る時には一人で出ていった。

それからさらに四年。

初めて故郷じゃない、故郷になった街へ。

奇遇にも二人の新居は僕の旧居の目と鼻の先にある。いつもの道だった道を歩いて、いつもの二人に、これから会いに行く。

火種のパイプ化問題

これが最近めっちゃ面倒くさい。

自分がやりたいっていってぶち上げた企画があり、時間と熱意を捧げて成功へと邁進している。いよいよ形になってきて、さて蓋を開けてどこまで人が集まるやら、商売が繁盛するやらとワクワク半分、ドキドキ半分の大変生産的な気持ちでいる。

今回、火種は僕である。

なんか面白いことやってって偉い人から仕事を振られたのだが、それ以後、企画立案から取引先引っ張ってきて話を詰めて形にして広報に至るまで、火種として周りを延焼させてきた。火種が燃えているとある程度周りも応えてくれる。やりたいことやりたいといって周りが動く幸せさと言うのを感じつつ、動いていただけるような仕事をしなければならないなと褌を締め直している。

さて、この火種であるが、取引先を焚きつけ、当社の関係各所に延焼が広がったあたりからはどうも調整役になる傾向があるらしい。

僕は下っ端だ。どうしようもなく。

だから僕のやりたいは上司のダメに掻き消される。会社的な判断の際、僕に与えられた裁量はあまりに小さい。それでもやりたいことはやりたいで踏ん張るんだけど、決定権がない以上適当なことも言えず、自分の思いをちょこっと乗っけた伝令に成り下がる。

これが切ない。

昨日は裁量がないことによる気楽さを綴ったが、本件に関しては真逆だ。裁量がなくて苦しい。悲しい。会社的な価値観を養成していると言われればそれまでなのだが、僕の正義は僕の正義だ。絶対に儲かる道が開いているように見えるのに石橋を叩くのは辛い。渡ってみて怪我したらそれまででいいんじゃないか。怪我をたくさんしてきた人間が危機を察知しているのだから沿った方がいいのか。どうなんだ。

 

結論、偉くならないと何もできない。裁量を与えられないと判断もできない。判断ができないから決められず、怪我もできず、怪我しそうだけど儲かりそうな道も歩けない。

いいんですけどね、まぁ。

就活を採用する側から考える

学生たちに弊社を啓蒙する仕事に携わっている。通常業務に加えて他のプロジェクトに関われるのは大変楽しいことだが、それでも「残業するな」「休め」と声を大にする弊社の可愛い無茶振りはなかなかのものだ。

 

降りしきる無茶振りの雨の中、少なくない数の学生と話す。

その中で、企業から見た就職活動ってなんなのかってところと、学生が何を考えればいいのかを考えることが多くなった。ので、ちょっと書く。

 

企業からみた就職活動

つまり採用活動である。

別に採用活動が主だった業務ではないので、それが僕の評価につながるわけでもない。だから採用活動を主たる業務としている方々がどんな数字で評価されているのかはわからない。

しかし、察するに採用活動の目的は優秀な人材を確保することに尽きる。

ではこの優秀な人材ってなんだろうか。

そんなものどこに転がっているんだろうか。

会社説明会やら採用ページやらで語られる優秀な人材像や求められる人材像。チャレンジ精神が旺盛で…既存の枠組みにとらわれない豊かな発想で…なんやかんや言ってるが、企業からしたら結局は儲けられる人間が欲しい以外に何もない。

儲けられるとは何かといえば、現在回っている儲けシステムの中に飛び込んで更に儲けられるようシステム改良することであったり、新規で利益を生むシステムを構築して新しい市場を作ることであったりする。それをデフォルメして伝えているのが求められる人材像だ。

様々な儲けシステムに組み込まれたとしても改良できそうで、儲けシステムを考え続けられる人材が優秀な人材であり、学生たちの語る自身の経験から優秀な人材を探すことこそ採用活動、こと新卒採用活動のミソだろう。

 

優秀な人材探しをする際、企業は門戸を開く。

「うちの会社に興味のある学生、手ぇ挙げて!」

声を大にして叫ぶと、学生たちは手をあげる。これがエントリーである。

業界の動向、会社の業績、印象、働きやすさ。それら諸々を加味したうえで、学生たちは各々の興味関心に基づき企業を見て回り、手をあげる。

企業は、この手を挙げた学生の中から優秀な人材を探す。

つまり、「手を挙げた中」という市場が決め打たれてしまう。

これまで僕が会った学生たちも「手を挙げた中」の人材で、その中でピンとくる子がいたりいなかったりする。しかし、本当に儲けられる人間が「手を挙げた中」にいないことだってザラにあるだろう。

しかし採用活動そのもので「手を挙げた中」の範囲を拡充するのは至難の業である。学生が手を挙げるか否かは日頃企業が行う商売に起因する。だから新卒採用活動の肝は「手を挙げた学生の中で優秀な人材を確保すること」と、だいぶ限定されてくる。

つまるところ、「学生たちが選んだ企業に選ばれる学生」、「企業が選びたい学生に選ばれない企業」みたいな複雑極まりない就職と採用のジレンマをお互いに抱えながら、ニーズを擦り合わせていく過程が採用活動らしい。

 

そんな中、僕が仰せつかっているのは「手を挙げた中」の学生たちが優秀かどうかを一つの意見として答申するとともに、学生たちが「手を挙げた中」から出ないように引き止める仕事だ。

答申するのは自分なりの儲けられそうな尺度に合うかどうかを判断してあとは人事にパスするだけ。決定権はないから気楽である。難しいのは引き止める仕事。これをするために僕は出来る限り清潔感を保ちながら賢く見せるように努力している。会社の嘘はつけない。正直なところを話し、夢を語り、就活の不安に答える。

「どんな人材が求められていると思いますか」

そんな学生からの疑問に対しては以下のように答えている。

 

学生からみた就職活動

儲けられて、考えられて、頑張れたうえで、社風に合う人が求められてますよ。

尋ねられたらそんなふうに話す。

 

福利厚生とか働きやすさとか働きがいとか甘い蜜を振りまきながら儲けることしか考えてない食虫植物のような各企業に入社するにあたり、学生たちは何をすればいいかと言えば、まず自分が儲けられる証拠を用意すればいい。

とはいえ学生の時分から強烈な証拠を用意するのはなかなか難しいと思うので、もっともらしい理屈で儲けられると述べるだけで大きく違う。憧れと理想だけで金は稼げない。儲けに目が向いているか、自分の経験や能力に立脚した証拠を持っているか。ここが大事だ。

次に考えられるというのは何か。

これがよく就活で言われる「エピソード」である。バイトで売上をどれだけ拡大させた、部活でタイムをどれだけ短縮した、サークルのリーダーとしてこんな風に組織を引っ張った。手を替え品を替えでいいのだけれど、なにを見たいかといえば「現状を把握、目標を設定、問題を発見、課題の把握・解決、目標の達成、さらに現状を…」っていう基本的な考え方があるかどうかを見たい。別に話の題材がなんだろうといい。この考え方のサイクルに、他者との調整とかの板挟みファクターが絡まった上で、それもクリアしたとかって話になると、尚のことご苦労様って気持ちになる。

でも多分大抵の学生がこの考え方してるんでしょうね。ノウハウとして見についてんだろうかしら。

さらに、頑張れなきゃ意味ない。

めっちゃ優秀な人材でもすぐ辞めちゃったら嫌だし朝起きられなくても嫌だ。でも就活頑張って手を挙げている人間はだいたい頑張り屋さんだって通念があるから特に問題はないかなって思う。

以上3点がなるほど納得出来る証拠に基づいて提示されたうえで、初めて社風とかの話になる。企業メッセージとかの話が出てくる。

別に社風が好き好き言われても300万払って300万ちょぼちょぼの働きしかしない人にお金は払わない。投資効率である。ペイバックが大きいって勝算が見えたうえで、企業は買い物をする。

美人やイケメンが両手に華状態になるように、優秀な人材もそうなる。自分を顧みた上で儲けシステムにコミット出来る側面を見せつつ頑張れる人間は誰もが欲しい。「そんな君がなぜうちの会社に…?」と問うてみたくなる。そこでまたもっともらしい理由でうちの会社に合うっぽいことを言うと、買い物する気になっていくのだ。

 

なーんてもっともらしい話を僕も学生たちにしている。なにしろ採用屋さんじゃないから何言っても信憑性はないのだけれど、「手を挙げた中」から出ないように、複数社から声がかかった時にうちに来てくれるように、小賢しくいるのである。

 

 

実際現場では…

企業は儲けるためにある。すなわち、儲けられる人材を第一に確保せねばならない。

これほど分かりやすいロジックもないだろうに、いざ人間同士顔と顔を突き合わせてみると、儲けられる力に目がいかない場合がある。

僕らがコミュニケーションをとる上で必要なのは言葉であり、声であり、表情である。話の中身以上に、雰囲気から物事を読み取ってしまうことが非常に多い。ものすごく精悍でキリッとした人間だったり、理知的な喋り方(内容は別として)をする人間だったりすると、内容までたどり着く前になんとなく誤魔化されてしまうのだ。

清純そう、素直そう、話の聴き方がいい。

「人間力」とかっていうわかったようなわからないような部分に左右されながら、本質を見極める。やりだしてみると楽しく、難しく、疲れる。

だったら画一的な試験とかで判断すればいいじゃんって話にはならない。

現場は人間と人間とのやりとりで動いているのだ。

どんなに紙面上は儲けられる人間だからといっても、対人上で儲けられなければ全く意味がない。僕らは選手だ。バットにボールを当てる技術で2万字のレポートが出せても実際にヒットが打てなきゃ意味がないのである。だから話の中で、商売でありそうなシチュエーションの中で、どれだけの能力を発揮できるか。表情や声色など全てを包括した上で儲けられそうかどうなのか。それを見たくて、面接をする。僕は学生と会う。

ガシガシと人間を掘っていって鉱脈にあったった時にどんな話が溢れてくるかが聴きたい。溢れ出る話の中に、儲けられる力も対人スキルも、あらゆる能力の証左が入っているはずなのだ。それを見せてくれないと判断のしようがないし、さすがに雰囲気だけでは掴みようがない。暖簾にならないで欲しいっす。

 

でも僕は結局無責任

書いてはみたものの、結局僕はこの分野においては無責任である。責任がないということは裁量がないということだ。本業じゃ絶対にできないであろうスーパーラフスタンスで仕事している。無責任にあーだこーだ言える立場は楽なのだが、それが学生にとってどうなのかがなんともわからない。

今の思考ロジックをそのままうちの会社に持ち込んだらマジで即戦力であろう学生に感嘆し、因果関係がぶっ壊れているけどバイタリティだけは漲りまくっている学生に夢を見る。どちらも素敵で、どちらも儲かりそうだなと思いながら、やんややんや言う。最後の最後で、僕は何もできないのだけれど。

しかしまぁ、こんなこと考えながらやっている。

引き続きやっていく。

頑張れ学生。頑張ろうぜ学生。

RIP SLYMEが好きだったから

そういえばRIP SLYMEが好きだった。

出会いはいつだったろう。そうだ、小学生の頃だ。当時、ゴルフを習っていた。北海道の大地、余りまくった土地には、たくさんのカントリークラブや打ちっ放しがある。男気ある打ちっ放しの社長が毎週土曜日に子供ゴルフ教室を開講してくれていた。我が家の家業が本屋で、打ちっ放しにも本を卸していた事情から付き合いがあり、伯父もよく打ちっ放しに行っていたのも助長して僕はその教室に通い出した。

そこで出会ったのがヒロッチだった。ヒロッチは二個上のお兄さんだった。出会ったのが、僕が小三、彼が小五の時。ゴルフ教室入校初日、ヒロッチが僕に声をかけてくれたのだった。彼はゴルフがうまかった。小学五年生でありながら、多分相当にやれる口だったろう。素人目に見てもゴルフが上手い彼が、初めてやってきた人間に声をかけてくれた。教室終わったら遊びにおいでよと、家にまで招いてくれたのだった。ヒロッチの友達も交えてゲームやったり鬼ごっこをした。初めての人間に対する懐の深さに感激したのを今でもよく覚えている。ゴルフが上手いだけではなかった。優しかった。小学生の頃の年齢差において、二個学年が上だと感性の成熟仕方が全く違う。僕は体が大きかったから、遊びまわったりする分には負けなかった。けど、音楽に関しては全くわからなかった。ヒロッチは大人に見える音楽を聴いていた。Dragon Ashがいいと言って聞かせてくれたけど、よくわからなかった。KICK THE CAN CREWもいいと言われた。やはりわからなかった。僕の中の音楽は学校の授業中に歌う童謡に毛が生えたような曲や、カーステレオから流れるスピッツとサザンが全てだった。

月日が経った。僕は小学五年生に、ヒロッチは中学生になった。ヒロッチは部活に入らずにゴルフを頑張る道を選んだ。僕は二年間打ちっ放しに通ったが、当時のヒロッチよりもだいぶ下手だった。その頃、ヒロッチに勧められたのがRIP SLIMEだった。ちょうど楽園ベイベーが流行った頃である。ようやっと自主的な感性が育ってきた僕は、RIP SLYMEに衝撃を受けた。KICK THE CAN CREWがわからなかった僕は、RIP SLYMEに感嘆した。でも、追うことはなかった。好きなアーティストを一生懸命聴くとか、昔の曲を聴くとかっていう発想がなかったらしい。僕は楽園ベイベーがいい曲だという認識だけを抱えてまたしばらくの月日を過ごす。

その間、ORANGE RANGEに出会い、ミクスチャーロックを知る。大衆がORANGE RANGE向いていることもあり、僕もORANGE RANGEの方を向いた。今でも向き続けている。そしてまた2年。中学生に上がった僕はRIP SLYMEと再会を果たす。そう、グッジョブである。

 

グッジョブ! (初回生産限定盤)(DVD付)

グッジョブ! (初回生産限定盤)(DVD付)

  • アーティスト: RIP SLYME,RYO-Z,ILMARI,PES,大槻一人,DJ FUMIYA,田中知之
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2005/08/31
  • メディア: CD
  • 購入: 1人 クリック: 21回
  • この商品を含むブログ (186件) を見る
 

 

中学の先輩にCDを貸してもらった。僕はMDにそれを焼いた。

余りにも格好良かった。ベストアルバムなだけはある。全曲キャッチーで、全曲語感が良くて、歌おうと必死に歌詞を追った。CDを返してしまった後、歌詞カードがなかったから一生懸命耳コピした。パワプロ12をやりながら、テレビの音量は消してコンポからグッジョブをかけた。だから今でもRIPSLYMEの曲を聴くと思い出す風景は僕の部屋の窓きわでパワプロのサクセスをやっている風景である。

 

音楽に対する言葉の当て方が、たまらなく好きだ。

www.youtube.com

黄昏サラウンドを乗っけてみる。2:20から始まるRYO-Zのパート。

Hold me tightにDon't be shy
Real love空回るLoneliness
静まり出す喧騒
Sunset beachヘナビゲートYeah
抜け出し二人きり乗る (Highway)
二度とこないOriginalな (Friday)
Night溶けてくTonight the night
君といたいだけWatching you
さぁ まくっちまうぜ
(イージュー)ドライバー気取っちまって
夜風になったらいつだって
流れてくるMy sound

多分、普通に聴いていたら何を言っているのかわかったもんじゃないと思う。シンコペーションを駆使して言葉を単語ごとに区切っていないためである。

例えば、

Hold me tightにDon't be shy
Real love空回るLoneliness

で2小節。

普通に聴いていたら

「ほーみったいとにどんびっっしゃいりるらっからまっわるろんりねす」

としか聴こえない。

Hold me tightにDon't be shy」までで一小節かと思いきや、小節の最後に「Real love」を突っ込む。「リルラッ」としか聴こえないけど、「Real love」である。結果、「Real love」の「love」を次の一拍目に当てていて、「空回る」の「からま」部分で韻を踏んでいる。また、文章のつながりでいえば「Real love空回るLoneliness」で一文なのに、「Real love」をシンコペーションにすることによって文脈をぶっ壊している。言葉が言葉に聞こえないけど心地いい。

これだけギチギチにリズムに言葉を詰め込んだかと思ったら、次の小説の一拍目は歌わない。使わないのである。そして始まるのが、

静まり出す喧騒
Sunset beachヘナビゲートYeah

「しーずまーりだすけんそうさんせっびーちになーびげいっ」だ。

一拍開けて、さらに「しーずまーり」と音を伸ばす。贅沢な拍の使い方をした後に、この部分の白眉である「だすけんそうさんせっ」が現れる。緊張と緩和で笑いが生まれたり、ジェットコースターで恋が芽生えるのと同様に、リズムでも緩急を用いられるとクラッとくる。ここでも「Sunset beachヘナビゲートYeah」が文脈だというのに「Sunset」が前に食っている。

 

全部やってたら疲れるので説明しないけど、とにかくリズムに対する言葉のアプローチが多彩でおしゃれだ。特にRYO-Z。で、黄昏サラウンドにおいてのSUさんパートのように、たいていの曲で転調をする。DJ FUMIYAの仕業である。hip-hopだとループで済ませがちなビートを、転調部分でデフォルメしてくれている。さらに、どう転んだってイケメンなILMARIとどう転んだってサビで主役とるPES。みんなラップが上手くて声が立っていて言葉遊びが上手。時勢もあり、聴いて聴いて虜になった。

 

RIP SLYMEを知ってから2年の年月が経っていた。僕は中一で、その後10年間の付き合いとなる陸上競技に出逢う。それと同時に、ゴルフから足が遠くなった。毎週土曜日のゴルフ教室は部活に塗り替えられ、そこで今でも付き合いのある友人と出会った。代わりに、ヒロッチとは会わなくなった。彼はそのままゴルフを続けていると話では聞いたのだが、僕がめっきり打ちっ放しに行かなくなってしまった。携帯も持っていなかった当時、連絡を取る方法もなく、取る必要もなく、ヒロッチとは疎遠になったまま今日を迎えている。

「アレクサ、RIP SLYMEかけて」

風呂上がりに不意に聴きたくなってAmazon echoに声をかけた。するとechoは賢く、RIP SLYMEのシャッフル再生を始めてくれた。何気ない一言から流れてきた何気ない曲に引きずられて、懐かしい思い出が転がり出てきた。ヒロッチは何しているだろうか。パワプロのデータはまだ残っているだろうか。ヒロッチに会いたいかといえばわからないし、中学生当時の部活とパワプロとウイイレに塗れた生活が恋しいかと言われても、なんともいえない。

ただ、時が隔てた記憶は綺麗だった。

そんなお話。

ヤマモトヨウジのコートを貰った

ヤマモトヨウジといえば落合陽一しか出てこない世の中になりつつある。さておき、前職場で一緒に働いていた敬愛すべきおしゃれおじちゃんからヨウジヤマモトの春コートを貰った。「いらない服あるからやるよ」って、着払いで沢山のスーツが送られてきた中の一着。確かにかっこいい。かっこよさは伝わってくるのだが、使いこなせる気がしない。

高校生、大学生も成人してしばらくするまで、僕はファッションにからっきし無頓着であった。大学で同じ部活だった面々が中々おしゃれさんだらけだったこともあり、徐々に方向修正していき、現在はある程度人並みの服の感性を持っていると感じている。

しかし、ヤマモトヨウジ。

普通の感性を育てて育てて、成った実が落ちて、また芽が出て、雨風にさらされながらすくすくと育った芽は小さな枝になり、木になり、さらに実ができて…とこんな感じで感性をフルスロットルで回していかないとたどり着けない感性の境地がヨウジヤマモトだ。

Gパンに白のTシャツとか、黒いスキニーパンツに白のシャツとか、誰が着てもそこそこ綺麗に見える類のそれじゃない。しかも一点をヤマモトヨウジにしてしまうと他の大部分もそれに習って整えて行かねばならない。TシャツGパンにヤマモトヨウジなんて組合せは言語道断であり、ヤマモトヨウジを着るからにはアサシンのような格好をしなければならない。

100歩譲ってアサシンになれたとしよう。アサシンになれたとして、どこへアサシンで行くというのだ。職場にアサシンで行ったらきっと保安に止められるだろう。田舎にアサシンで帰ったら地元の広報誌・経済の伝書鳩の一面を飾るかもしれない。

着る人を選べば、着る服も選び、着て行く場所も選ばなければならない。複雑極まる選択の末、ヤマモトヨウジは存在しているのだ。


さて、僕は今渋谷に向かっている。着ているのはそう、ヤマモトヨウジだ。沢山貰ったスーツの中に入っていた3タックの黒いスラックス。40年前に流行ったらしきダボダボルックのスラックスを履き、なんとなく合いそうだから白いシャツに合わせて、カジュアルアサシンと化している。コスプレをしている気分とはこういう感じか。普段は確実にしない格好だけど、毎日こんな格好してますよ的な顔で街に溶け込む。今着ているアサシンルックが正しいのか間違っているのかもわからないが、日本屈指の雑多さを誇るスクランブル交差点である。多少のミスは許されよう。

生まれてからこれまでで、多分今一番ファッションしている。楽しい。楽しいぞ。


今日、渋谷の居酒屋で少し間違ってそうなアサシンがいたら、それが僕だ。ファッションに詳しい方、ぜひご指導願いたい。

経営者と労働者と

最近、サッカーをあまり観ていないのだけれど、ハリルホジッチの解任騒動に乗じて色々な記事を読んだ。サッカーにおいて監督がどれだけ大切かって話から、戦術の変遷まで。

現代サッカーにおいて、守備はフォワードから始まるらしい。ハイプレスをかけて高い位置でボールを奪うことこそが最高の守備であると。最早、攻めも守りも一緒くたになりつつあると。

幾ばくかの記事を読んで、仕事もそうだと改めて実感した。

現場と経営という区別がある。

現場は日日、現場のロジックで動き、苦しむ。人員欠乏、売上未達。売上未達の末の人員削減。仕事量が減らないまま人だけ引っこ抜かれ、経営マインドを持てと言われてもそんな余裕がある人なんてどこにもいない。

しかし経営は経営で必死だ。数字を見て、不採算を何だかしようとする。利益を求め、経費を削減する。新規事業に人が必要なら有能な人材をそっちに当てなければならない。時には現場から引き抜く。現場は苦しいかもしれないが、利益を見たら圧倒的にそれが正義だったりする。

どっちがフォワードでどっちがディフェンスか知ったこっちゃないが、現場と経営も垣根がなくなって行くべきなんだろう。経営は現場から始まり、現場に経営が入り込む。こう書いたら当たり前だけど、できない。

なにしろ労働を動機付けているロジックが全く違う。

会社を潰さないために仕事している連中と、人生を潰さないために仕事している連中。帰結する行動は一緒でも動機が相入れない。とかく経営の方がお財布を握っているから立場的には上になりがちである。労働者は弱い立場とされるから、法に守られる。


書いててわかった。経営と現場はポジションの差じゃない。

サッカーで勝ちたくてサッカーやってるやつと体育の授業で仕方なしにサッカーやってるやつの違いだ。

この差はポジションの差よりももっとしんどい。勝ちたい奴から見たらイライラするだろうし、単位欲しくて仕方なしの奴からしたら何そんな熱くなってんのって話になる。目的が一致してないと同じサッカーだとしてもこうも厄介だ。

だから労働組合なる組織が互いのモチベーションを調整しながらやりくりするんだけど、組合の活動費も経営が握ってるわけだからそんなんドベドベになるわ。

結局、走れる奴は誰よりも走れ。走りたくない奴は自分のペースで走れ。みたいな話でしかなくなるんだろうなと思う。モチベーションとか動機付けを共通言語にできる仕組みができたらなんと素晴らしいことか。


なんというか、そんな感じです。

羞恥と惨めの記憶

恥ずかしいとか惨めとかの記憶ほど、頭の深く深くまで定着するものはない。英単語や数学の定理が羞恥とセットで常に覚えられたのならどれだけの万能戦士になれていたろう。羞恥に塗れすぎて心が持たなかったかもしれない。

幼稚園の頃ですら、羞恥の記憶がある。

 

襟たってるよ!直しな!襟!

年長さんの頃の担任だった稲垣先生に僕は言われた。雨の日だったと思う。カッパを着ようとした時に中のポロシャツの襟が立っていたんだった。確かそうだ。

僕は襟がわからなかった。襟?襟とは…?多分服のことを言っていることはわかった。けど、襟がどの部位を示しているのかが全くわからず、バッターボックスに向かってサインを送る野球の監督かのように体じゅうをペタペタ触った。わからない。襟がわからない。

見かねた稲垣先生が助け舟を出す。

こうすけ!襟直してあげな!

僕はこうすけに襟を直してもらった。こうすけは迷うことなく襟をひっつかんで折りたたんだ。僕はなるほど襟とはこの部分だったかと学ぶとともに、襟を知らなかった自分を大いに恥じた。襟を探してペタペタしてしまった数秒間。その間、僕は公衆の面前で襟がわからない人になった。そこに襟を知っているこうすけが登場して、直された。僕にとっては猛烈に恥ずかしい体験だったようで、今でもよく覚えている。襟を学んだ日だった。

 

小学生に上がって、いじられる・いじめられるようなことが増えた。剥き出しの子供達のいじりは時に酷い。体は大きかったが気は小さかったので、僕は大人しくいじりの対象になった。

小学三年生の自由研究で、比較的精巧なピラミッドを作成した。紙粘土でできたピラミッド。キャップストーンまで忠実に再現したそれを学校に持って行った際、キャップストーンを盗まれたことを僕は今も鮮明に覚えている。どういうわけか母を学校の玄関に待たせていた。それなのに友達にキャップストーンを取られてしまった。取り返さないといけないけど、母が玄関で待っているから早くそっちにも行かないといけない。僕の手の届かないところで友人たちに投げられ、宙を飛び交うキャップストーン。惨めだった。恐怖はない、ただ、悔しい。惨めだ。今でもたまに思い出して、悲しい気分になる。

 

学びがある記憶ならいい。襟の場所を知ったり、ルールを学んだり、読み方を知ったり。一つでも学びがある羞恥や惨めさにはきっと意味がある。でも。大切にしていた筆箱をぐにゃぐにゃに曲げられたところから何を学ぶのだろうか。ジャージのズボンを下ろされた彼はあの惨めさから何を学んだのだろうか。ある日突然給食の輪から外された彼女は。

それは学びがなく、ただ惨めで悔しくて悲しいだけだ。たまに思い出しては胸や頭を掻きむしりたくなる。いてもたってもいられなくなる。

 

何とは言わないけれど最近とても恥ずかしい思いをした。それは無知を喉元に突きつけられ、良識の銃口をこめかみに向けられたような体験であった。きっとしばらくしたら掻きむしり体験に繋がっていくんだろうなと、なんとなく思っている。

命の炎が尽きる時、脳みそは走馬灯を見せてくれるらしい。この調子でいくと強烈なハイライトは羞恥と惨めだらけになりそうだ。襟ってここなんだよなぁ…って思いながら命果てていくのは幸せだろうか。どうなんだろうか。

スースーVS体調不良 umpire覚せい剤

今、年末ぶりの体調不良が襲ってきている。寒気、喉と目の奥の痛み。典型的な風邪の症状である。手洗いうがいを少し怠っていたかもしれないなと自省しながら、真摯に真摯に体調不良と向き合う所存でいるが、どんな態度を表したって体調は上向かない。風邪菌は厳しい。

最近はお腹にくることが多かった風邪だけれど、幼い頃からのウイークポイントは喉だった。今回も喉だ。液体でも固体でも、なんだって喉を通過するときにはヒリヒリと痛み、黙っていても違和感が続く。リンパが張り、顎を引くとズキズキする。慌ててうがいをたくさんしてみるも後の祭り。予防しとけという話。

さて、そのような不調を前にして僕は喉をどうしたいかというと、できれば喉の管を引っこ抜いて綺麗さっぱり洗浄した後に戻したい。しかし叶わないので代わりの清涼感を求める。

そう、スースーである。

体調不良時にミンティアなどのスースータブレットを食べると、一瞬喉の痛みがわからなくなる。喉内にすーっと風が吹くかのような清涼感。不快にまみれた気管に訪れるまやかしの快。だがそう長くは続かない。蜃気楼のようにさっと消え、再び不快の沼に突き落とされる。

一度対症療法を知ってしまうと、もう普通ではいられない。不快の沼からすぐに這い上がりたい。スースーに飢え、スースーを求め、スースーなことしか考えられなくなる。スースージャンキーの誕生だ。

果たして、僕はスースーを片手から手放せない生活を強いられる。清涼感が五分持つという大っきなタブレットを餓鬼のように噛み砕き、圧倒的スースーを得ると同時に麦茶で流し込む。スースーの名残が残る管を水が通った時のスースー加減は覚せい剤キメながらのセックスのようなものだろう。過度のスースーで頭がおかしくなりそうになりながら、その瞬間だけ喉の不快感を忘れる。さらに次の瞬間、また不快感が襲う。またタブレットを口に入れる。

悪循環だ。悪循環だとわかりながらやめられない。確実にスースーを上回って行く体調不良だからこそ、スースーの快感が忘れられないのだ。

清原だったろうか、覚せい剤の常習者の言葉が思い出される。

「覚せい剤にやめるなんてことはない。『また今日も一日やらないで過ごせた。』その積み重ねがあるだけだ。」

スースーも同じである。やめるなんてことはない。でもそこには体調が上向くという最高の出口が待っている。


出口のないスースー、覚せい剤。

ダメ、ゼッタイ。