徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

かもわからんね

北海道。日本地図の北の端に燦然と輝く島であり、区分けが面倒だったのかわからないが、島を丸ごと自治体とされてしまっているどんぶり勘定な土地。旅行先にはうってつけであり、ルスツとか札幌近郊のスキー場辺りでは中国マネーが流入したり、オーストラリアからの観光客でごった返したり。ひとたび根室、稚内に目を向けるとロシア語が散見されたり。国際色豊かな土壌ともいえる昨今ではあるが、その歴史は大変浅く、江戸の後期に松前藩が函館辺りに置かれてから近代の歴史が始まり、主だった資本流入・人口流入は明治に入ってから。つまり、ここ120年くらいが北海道の歴史だ。

函館・札幌方面は東北から、太平洋側・オホーツク海側は四国近畿から入植した人が多いと、どこかで聞いた。わが家計も類に漏れず関西の血だ。原住民アイヌを横目に、大和民族内で混血を繰り返した後の北海道民たち。文化的にも様々な地域の文化を食いつまんでいて、確固たる、土着の、誇り高き文化は特に存在しない。文化ノンポリな北海道である。

 

とはいえ、北海道弁は存在する。

以前当ブログでも、「北海道弁独特の緩さは異文化交流の中で敵意を示さない様間延びしていった結果である」と考察したが、本帰省でも独特の緩さは如実に感じられた。

「そうした方がいいかもわからんね」

「だめさ~、そやったらこっち当たっちゃうしょや。もっと手首使って打たんと。」

「なしてそっち飛んでいくかね」

「水飲むかい。いらんかい。水のまんと脱水なるよ。」

全て、ゴルフの練習ならびにラウンド中の一幕である。できればボイスメモで貼り付けたい。

 

特に「かもわからんね」「かもしらんね」は多用するのだが、無責任さったらない。

東京で行ったら、「〜だと思う」と言うところ、自分が思うとも言わず、「わからん」で濁している。頭には「かも」がついており、すでに濁していると言うのに。もちろんイントネーションはゆるい。なんしたって緩い。

 

北海道を離れ10年近くになる。北海道弁を北海道弁として認識できたのは上京してきてからだった。北海道に訛りはないよ、ほぼ標準語だよ、とは良く言うが、全くそんなことはない。一語一語のイントネーションが立派に北海道弁で柔らかいし、どこか間抜けだ。

カリカリと生きていかねばならない都会の暮らしに、北海道のイントネーションは瑞々しく映る。オアシスのようである。

うまく北海道のイントネーション使って行った方がいいかもわからんね。

北海道に何を求めているのか

端的に申し上げて暑い。羽田空港を発った時点と、女満別空港に降り立った時点とで、外気から受ける感覚はほぼ変化がなかった。周りを海洋に囲まれた空港か、玉ねぎ畑に囲まれた空港かの差しか感じ得なかった。

実際、ここ3日北見で暮らしているが、寝づらさで言ったら東京と大差なく、なんなら暑さに対して過剰なまでの忌避がある東京の方が、エアコンガン点けの室外機から温風垂れ流しを各宅が取っているため、室内だけであれば過ごし易い感じはある。寝やすさとかは特に。

 

一種北見らしくない気候の中に降り立ち、「故郷に帰ってきた感じしないでしょ。」「東京とあまり変わらない気候だよね。」と言われれば、本当にそうですねと答えるしかないのだが、果たして、僕は故郷に気候を求めているのだろうか。否。恐らく、そうではない。「今日はいい天気ですね」レベルの表面的なコミュニケーションツールとしては優秀な、「北見暑いトーク」ではあるが、帰省の本質はそこにない。

本帰省でも、故郷の知人恩人とよく話している。帰省の度に会いに行く人たちだ。互いの近況報告をし、半年一年の出来事を浚う。自分の話も何度もする。いろんな人の話を聞く。どんな仕事をしているのか、彼女はいるのか、どうなんだ。

ある意味、帰省のルーティンワークをこなしているのだが、帰省の価値は、こういうところにある。

日々にうずまっていると、気づかないことがたくさんある。虚勢も張れば、虚勢を張っている自分にも気づく。日常を説明して、果たして自分は何をしてお金をもらっているのか、自分の私生活はどうなのかを客観的にみると、もっとちゃんとしなきゃなとか、ここは変えたくないなとか、色々なことに気が付くものである。

日々を走らせながら気が付ける人はいいが、当方器用ではない。たくさん話して、やっと顧みられる。どうせ東京に戻って日常を目の前にしたらどうしようもなくなるのだけれど、一瞬でも俯瞰できるのは本当にいい。

また、自分が問いかけて、自分が投げかければ、いつも会う面々から色々な考えがずるずると出てくる。これも面白い。視座が高く、改めて人間として素晴らしい人なんだな、能力が高い人なんだなと感じることもたくさんある。僕も自分のことをもっと考えねばならんなぁと思う。

 

やはり、僕は人に会いに北海道へ帰ってきている。ご飯でも涼みにでもなく、話しに来ているし、これだけ話してみて、もっと日々話をしなきゃなとも思う。

気づかされることが多い帰省ではありますが、今からおいしいおいしい焼肉を食べてまいります。やっぱ飯食いに帰ってきている部分も多いよね、焼き肉食べよう。ただ、焼き肉を食べて行こう。

何もかも忘れて眠ってしまいたい

ハンバートハンバートに、「今晩はお月さん」という曲がある。心の傷からまだ血が滴り落ちているような、別れの生々しい心情をうまく歌った曲だ。


帰りたくない 今夜だけは

何もかも忘れて 眠ってしまいたい


そう、何もかも忘れて眠ってしまいたい。

僕らは、どんなに力を振り絞ったって、何かに捉われている。忘れられない何かがあるから、それを忘れようと旅に出るし、映画を見る。祭りの後の寂しさは、逃れきれない日常が覆いかぶさってくるから感じるもの。

つまり、何もかも忘れて眠るなんてことはできっこないからこそ、何もかも忘れて眠ってしまいたいのだ。


さて、北海道に帰ります。

ポロポロと手のひらからこぼれ落ちた仕事があちこちでネズミ花火のようにヒュンヒュン引火して暴れまわっている状況ではありますが、世間から逃げ出します。

何もかも忘れるなんてことはできない。忘れられないでしんどい思いをしているわりに、世の中は自分を忘れてそれらしく回る。そんなもんだと言い聞かせて、何もかも忘れるふりをする。


ちなみに、羽田空港第2ターミナルにあるヘルシー東京というお店のマフィンは爆発的美味ですが、量が半端ないので皆さん食べるときは要注意です。

では。何もかも忘れて眠ります。

大船渡高校と佐々木朗希について思うこと

たった一つの高校と1人の岩手の高校生がこうまで話題になるんだから、やっぱり日本も平和な島国だなぁと思う。

 

超高校級の投手、佐々木朗希率いる大船渡高校が、甲子園まであと一勝のところで敗れた。決勝では大敗を喫したのだが、その一番の原因としてあげられているのが、エース佐々木を決勝で温存したことである。故障で登板できない状況だったわけではなかったようで、疲労や違和感、将来に膝が摩耗しないようになど、佐々木の状況を総合的に加味して、監督が判断したとのことだ。

佐々木が出ていたら大船渡は決勝に行ったんじゃないか。出さないで負けるなんてことがあるか。

高校には佐々木をなぜ出場させなかったか問い合わせる電話が無数にかかっているという。そんなことあるかと思うけど、国技にも似た野球、それも、地元愛と青春が絡まりあった高校野球のこととなると、いてもたってもいられなくなるのだろう。

 

種目は違えど、僕も一生懸命高校時代に部活をやった。この、佐々木を出すべきだったか問題について、同様の熱い思いを18歳あたりに置いてきた人とひとしきり話したい気持ちでいる。

 

なぜ佐々木を温存したか

投手の肩と肘は消耗品だからだ。投げれば投げるだけ肩はすり減る。どんな優秀な投手でもそれは変わらない。完投をさせないとか、球数制限をするとか、日本球界でもだいぶ浸透してきている一連の考え方も、 投手の消耗を抑えることが目的だ。

一方、特に投手を酷使するのが、高校球界だ。

地区大会、県大会、甲子園。何試合も短期間で消化しなければいけない過密日程の一方、選手層は薄い。勝ち上がっていくには1人のスーパースターに頼らなければいけないことも多々ある。そして大概、スーパースターは投手だ。打者は多くて5回しか打席が来ないが、投手は毎回出番がある。投手が打たれなければ、負けない。結果、スターたちが一夏に猛烈に酷使されていく。

高校野球で大活躍した選手は、プロやメジャーで活躍する可能性がある。高校球界の至宝が、野球界の至宝、世界の至宝になっていく。はずなのに、高校時代の格差が原因で息の短い選手になってしまうなど、元も子もない。

佐々木もそうだ。18歳で163キロを出すなんて世界でも稀に見る逸材。ここで摩耗させるわけにはいかない。そう、監督は判断した。

 

なぜ佐々木を温存してはいけなかったか

この問題のミソは、「佐々木が投げたら勝てたかもしれない試合」に「理由はどうあれ出さない判断を下した」ため「敗れ」、「チームが甲子園に行けなかった」ことにある。

仮に佐々木が投げなくても勝てる試合だったらここまで問題は大きくならなかったろう。佐々木が投げたって勝てっこない試合だって同様のはずだ。今回は、投げてたらもしかして…と思わせるほど、佐々木の力が圧倒的だった。

出さない判断を下したことは先述のとおりだし、もし勝っていたら何一つ問題にもなり得なかった。

最後の部分。チームが甲子園に行けなかった。ここが重い。あらゆる判断を狂わせる。

佐々木の肩に18名のメンバー、それ以上の数の部員、保護者、生徒、学校関係者が乗ってしまっていた。1人の話じゃない。さらに、甲子園の神格化。インターハイではなく、甲子園。土にすら意味が生まれてしまうグラウンドだ。全高校球児が夢を見る舞台に爪先がかかっていたのに…なぜ…という感情が渦巻いている。

 

僕の結論

投げさせるべきだったとは思わないが、僕が監督だったら投げさせてしまっていただろう。

一歩引いて、野次馬として見ているだけであれば、佐々木の将来を考え、引いては高校球界のあり方(過密日程とかの是正)に一石を投じているとも見える大船渡高校野球部監督の判断は英断だったとも思う。しかし、3年間一緒にやってきた仲間たちと甲子園に行きたいとの思いは監督にだって当たり前にある。いざ自分がその立場になった時、それを抑えることができるか。難しいと思う。

佐々木のチームかもしれないけど、佐々木だけのチームではないのだ。あまりにたくさんの人の思いがそこにある。

部員の思いはどうなのか。甲子園に行きたかったろう。少なくとも、甲子園をかけた舞台で、やれるだけの戦いをしたかったろう。感情は流れていく。今どれだけ虚しさを覚えていても、いつかはどことなくいい思い出に変わっていくはずだが、たとえ、多少美化されても、消えることはきっとない。

そこまで考えた時、至宝の肘にプライオリティを置けるか。サンデル先生の授業かよと思う。僕は、きっと佐々木に投げさせてしまう。

 

とはいえ、今回あまりに特別な投手がいたからここまでの騒ぎになっているが、もっとミニマムな同様の事象は野球に限らず起きている。陸上だってある。400を一日4本走って肉離れギリギリだけどマイルの準決はお前がいなきゃ通らない。走りますか?どうしますか?みたいな話だ。顧問はまじで悩むだろう。

開き直ってしまえば、基本、どのチームも負けるのだ。負けてなんぼが高校スポーツ。負けたら「たられば」が必ず出てくる。「たられば」に苦しむけれど、しばらくしたらそれすらも酸っぱくてなんとなく美味しい味になっていくのもまた、高校スポーツだ。

今回、佐々木が投げたら、「たられば」が少ない結末となったと思う。けれど、そうしたら佐々木が壊れたかもしれないのも事実。「もっと序盤で温存できたら。」「佐々木に頼らないでも勝てるチームを育成できていれば。」

そんな、「どっちも正解の苦渋の決断」をさせないよう、建てつけを考えるのが高野連然り、全体を統括している連中の仕事である。が、球数制限をしたら選手層が厚い私立ばっかり勝っちゃうだろうし、過密日程を緩和したら教育委員会との折り合いたつかないとか、色々あるだろうが、うまくやっていってほしいですね。

 

しかし、正解はない判断だったなぁ。やっぱり。

東京で一人、悩んでいます。

昼下がりのカフェの「意識高い系」系について

夜、予定ができたので、早めに待ち合わせ近くにきている。ちょっとした作業をしようと、スタバに入った。新宿の南口である。日曜日の新宿は相変わらず人がゴミのようにいる。無論、僕もゴミである。みんなゴミなので、慄くことなく生きていこうぜ、人間。スタバも相当の人入りで、緑のエプロンが忙しなく踊る。

僕がやろうとしたちょっとした作業は、そこそこ切羽詰まった作業でもあり、さっさと手をつけなければいけない作業でもある。やるぞ、やりきるぞ。強い意志を持ってスタバに入ったのに、混雑の中見つけた席で、隣に座っている男女の会話が面白くて、何もしていない。聞き耳太郎になっている。

あ、立ち上がってしまった。

まぁいい。

かたや、3人目のザ・タッチみたいな風貌の男性。おそらく大学生。学生団体か何かを運営しているらしい。『「意識高い系」系』って感じだ。女性の方は、彼の後輩だろう。ふわっとした雰囲気だけれども、地に足についている印象がある。2人の距離感的に、付き合ってはいない。先輩後輩の間で、悩み相談に乗っている様子であった。

僕が隣に着座した段階で、2人はしばらく話し込んでいるようだった。女性の悩みを受けて、男性がアンサーをひとしきり返し、プラスアルファで思想のタネを披露している段であろうと察した。

男性は雄弁だ。自分の思想を語る人間ほど、雄弁なものはない。価値観・知識の弾丸を矢継ぎ早に発射する。目にも留まらぬ速さで出てくる言葉の礫ではあるが、知識は恐ろしいまで誰かの借り物だ。しかも、「誰か」の固有名詞は登場しない。「福祉関係でめっちゃ有名な人。」とかである。誰やねん。「俺この言葉大好きなんだよねー、福祉関係でめっちゃ有名な人の言葉。」って、君、そんな好きじゃないだろう。大谷翔平のことを大好きな人が、「俺この選手大好きなんだよねー、野球関係でめっちゃ有名な選手。」って言うかね。言わん。でも、女性は、しとしとと彼の話にうなづく。なんとなくわかる気がする…とか、わからないでもない…とか答える。優しい。彼の中に根付いている福祉関係で有名な人の言葉を懸命に汲んでいる。彼は問いかける。「自律って、なんだと思う?」福祉関係でめっちゃ有名な人の言葉の呼び水になる質問だ。得意げな彼と、唐突な質問に戸惑う彼女。彼の質問のスイートスポットを探しながら恐る恐る答える彼女と、「そうだよね、俺も最初はそう思ってたんだけど、違うんだよ。」とスイートスポットをくすぐられ、さらに得意げな彼。女性の手のひらの上で、緑のエプロンよりも華麗なダンスを踊っている。女性の気分が上がってるか下がってるかはわからないが、よくもまぁ、こうも気持ちよく踊らせるものである。あっぱれ。


わずか10分の間だったが、とても面白い会話を聞けた。

僕は今回、着座してすぐ彼に孕んだ一種の虚構感というか、意識高い系感を察知した。あれは何に起因するのだろうか。半笑いの話し方か、ザ・タッチのような風貌か、借り物であろう知識か。

考察をしたい気持ちで一杯だが、作業が喉元に差し迫っているので今は控える。もう一度学生をやるなら、意識高い系の研究をしていきたいなぁ。社会のなんの役にも立たない研究にうつつを抜かしたいなぁ。

人間らしさと優秀さと

盲腸が短くなったり、体毛が薄くなったり。人間の進化は現代においてもそろりそろりと進んでいるらしい。僕は親よりも身長が高いし、僕の子供がどうなるかはわからないけど、僕の遺伝子をうまく注入できたなら、ある程度身長は高くなるだろう。平均身長はグングンと伸びる。何十万年とかけて、四足歩行から二足歩行に進化してきた人の歴史。新生代の奇跡である。

本質的に考える。クリティカルに考える。なぜを繰り返す。社会の荒波に溺れがちな社会人たちは苦しみながらも、藁をも掴む思いで、よくある自己啓発本に手を出す。優秀極まりない人たちの書いた思考法の船に乗って、トライとエラーを繰り返し、転覆したり遭難したりしながら、思い思いのキャリアを描く。人口減少と生産年齢人口の減少を目の当たりにしている僕たちは、嫌が応にでも資本と労働のエブリデイをワークワークせずにはいられないのだ。

はたと思う。なぜ、今になって本質的に…みたいな話になっているのだろうか。そもそも本質って何よ。

動物に思いを馳せてみよう。奴ら、相当本質的である。種の保存という絶対かつ最大の目的に向かって一目散に飲み食い、つがいを見つけるべく鳴き踊り、目的を果たしたら程なく生命を終えていく。その連綿たる歴史に何の意味があるのか、なぜ種の保存に突き動かされてしまうのか、分からないままDNA。本質に生きている。

一方僕ら人間、あわよくば猿、哺乳類。

感情をもち、泣いたり笑ったり。言葉をもち、話したり聴いたり。進化とともに僕らは複雑性を獲得してきた。この複雑性こそ人間の人間たる所以、真骨頂なのだ。つまり、進化とともに、本質から離れてきた。これが、僕たちなのだ。世に言う優秀と言われる本質マンたちは、本能じゃない部分で本質に迫る。世のあらゆることについて、動物的に考える。進化を振り切って退化しているような人間たちが、資本の波を乗りこなしている。

人間は面白いほど、色々な方向に進化しているものだ。

そうした動物的な感覚に優れている人が社会に評価される一方で、才能があると呼ばれる人たちは、芸術のように複雑性を研ぎ澄ませて、人間のもっとも人間らしい部分に訴えかけることで承認を得たりしている。そうした多様性も人間社会ならではなのだろう。ダイバーシティダイバーシティ。

 

これまで、頭を使って生存競争を勝ち抜いた人間は考えなきゃ人間じゃないと考えていたけど、そればかりが人間でもないな。いろんな人間がいることが人間なんだろうな。

なかなか晴れない梅雨時の夜半。

お疲れ世の中。

勝手にふるえてろ〜孤独とはこういうことか〜

今更ながらも甚だしく、見てみることとしました。 

勝手にふるえてろ

勝手にふるえてろ

 

 

 

イチと二の間で揺れるヨシカの乙女心を描写した恋愛映画としてなど、見られなかった。ヨシカは、僕だ。僕であり、あなただ。人の好意に慣れておらず、不意に寄せられた好意に喜ぶけれど、いつも心の中では彼方に過ぎ去った誰かがしこりのように残る。偏った趣味趣向を抱え、誰に理解されなくても構わないと思っているのに、同じ趣向を持った人に出会ってしまうと自分のことを好かれたかのように心が揺らぐ。グジグジとこじれたコンプレックスを隠しつつ、互いのコンプレックスを突き合う。人助けのふりをして意地悪をして、意地悪をしながらも心底嫌いではない。いつもすれ違う人、いつもの店員さん、いつものあの人を知っているけれど、知らない。それが、社会と私との距離。私が知らないから、あの人も私を知らなくて当然。あの人も、イチも。

人間関係などと容易に言うものの、そもそも関係なんて築けているのだろうか。関係の定義とは。会社の人間と、会社じゃない人間の違いは。

イチとも二とも、会社とも繋がりを絶ったヨシカが、呟く。

孤独とはこういうことか。

こういうこともどういうことも、孤独以外ありえないのだろう。色々な集団に属し、友達には不自由せず、会社でも同僚上司に恵まれ、取り急ぎ寂しさを感じていなかったとしても、ただそれだけ。それぞれの繋がりに、お互いが養分をあげていかないと繋がりは簡単に朽ちてしまう。関係は築かれていて当たり前じゃない。なくて当たり前なのだ。だから、僕らは人間関係を築く。築きたがる。生来孤独で、寂しいから。なぁ、寂しいよなぁ。

 

狂いたくても狂えず、狂ってみてもうまく行かない。死ぬ気でやっても簡単には報われない。思い出は変わらないから美しいし、現実は変わっていくから残酷だ。ヨシカには否応がなしに迫ってくる現実として、二がいた。

まぁ、どんなに苦しくても、意外と死なない。人生そんなもんなのでしょう。

いい勉強になりました。

人生初の富士急へ

梅雨寒だなぁ、暖房もつけちゃうなぁ、布団の中でぬくぬくしていたいなぁ。そんな後ろ重心で尻込みまくっている諸君、いいんですか、本当に。貴重な、慈しむべき一日を、YouTubeとインスタに費やしていいんですか。私は是としませんね、全く是としない。寒いミストサウナのような外気に包まれた朝5時、東京。元気よく家を飛び出し、向かう先はどこかといえば日本が誇る霊峰富士の足元。富士急ハイランドである。端的に言おう、過酷そのものだ。駅で電車を待っているわけだが、ゴルフバッグを抱えた兄ちゃんとどっこいどっこいの過酷なフォーチュンを背負っている。

富士急の正しい楽しみ方といえば、絶叫と裏腹の絶景のはずだ。富士山に見下ろされながら、鳥のようにドドンパ、日々のストレスなんてええじゃないか。だが、京急に揺られながら外を眺めるに、見通しは猛烈に悪い。三寸先は雲に閉ざされている。富士急なんて濃霧なんじゃないか。

現実的にも比喩的にも見通しが立っていない。だが、過去を振り返ってみて、鮮明な記憶として残っているのは、その時その瞬間を一生懸命に生きた時のものだ。打算的なものではなく、懸命に楽しみ、懸命に走り、懸命に学んだ時の記憶が、僕のメモリーズを構成している。

寒さと雨と恐怖との戦いになるだろう。大変な思いもするかもしれない。それもこれも、いつか、全部がいい思い出になる。間違いない。

品川から新宿へ向かう電車には夜を続けている人が多い。アルコールに内臓を持っていかれた人々を横目に、僕は生命を賭して思い出を勝ち取る。

いざ。

人の話をちゃんと聞くということ

今になってめっちゃこれが難しい。

相手の意図していることを理解し、自分に求めていることを把握し、答えを出してあげる。自分が思っていることを伝えて、理解してもらい、その通りに動いてもらう。具体的なビジョンを赤の他人同士が確認するのだ。こそあど言葉なぞご法度。

飲み込みが早いのと早合点は似て非なるものだ。飲み込んだものは必ず吐き出す作業が生ずる。その際確実に飲み込んだものを吐き出せるか。理解し、把握したものを、そのままアウトプットできるか。合点しても吐き出せなきゃ意味がない。伝わらないし、伝えられなければ理解していないも同義である。言質を取って、その場限りのなるほどを超えて、自分の動きを想定して、第三者に動いてもらう。

伝言ゲームだなぁと思う。

核は変えずに、自分の意思のオブラートに包んで伝えていくゲームだ、仕事は。さらに、察するとか、ここまでは普通に聞かずにやれよ。みたいな日本独特の非言語コミュニケーションが組み合わさり、ベリーハードな伝言ゲームである。


また、伝言ゲームが極まってくると、みんな言ってることが変わってくる。それぞれの解釈が生まれだす。だから、会議をする。せーので集まって、共通認識を作る。え、お前そんな方向に考えてたの!?って、そこで初めてズレを知る。このズレを早め早めに捌いていかないと、結構取り返しのつかないことになって、偉い人同士が全然違う方向に考えちゃってたり、それを他の組織の人に叱責されたり。それが昨晩の僕であった。勉強になりました。


ここ最近あらゆる段差に躓いて、どこから修正したらいいものかわからない状況になりつつあるけど、一個一個だなぁと改めて律して、今日も段差に躓きに行こうと思う。

骨は折れた所の方が太くなるのだ。骨折は痛いし怖いけど、折らないで生きられるほど賢くはないようである。

一つ一つ、一つ一つ。

資料作成の心得

夜中までデスクワークに従事している諸君、お疲れ様です。働き方改革だ、業務効率化だ、小さな力でより大きなアウトプットを出す方向に国が動いているのにも関わらず、大きな力を使っていくばくかのアウトプットを出しているような状況、さぞ苦しいものとお察しする。果たして、残業代に見合うだけの労働をしているのか。割増賃金になってでもやるべきことなのか。そもそも、何をしているのか。

僕は、資料作成をしていた。

資料。資料とは何のために存在し、不要になることはあるのか。どうしても必要なら、作る際にどうすればいいのか。まだ一年に満たない人事屋さん労務屋さんの経験を通して感じた、恐ろしく当たり前のことを綴る。

 

そもそもなぜ資料を作るのか。これは明快である。伝えるためだ。自分の知りうる情報を他者に渡すとき、会話だったり、ノンバーバルなコミュニケーションだったり、いろんな方法が存在するが、その一手段として資料がある。ビジネスの世界に代表される、公のやりとりや入り組んだ情報伝達において多用される手段だ。

究極、言葉のコミュニケーションで全てが解決したり、笑顔ひとつで丸く治れば資料なんて全くいらないのだが、都会の風当たりはとても強い。そんなに甘い話じゃない。だから、資料はなくならない。紙なのかデータなのかの差異はあるが、モノとしては文明がある以上不滅に等しい。

資料から逃げられないとすると、僕らはどう資料と向き合えばいいのか。

 

日限を定める

資料を作るにあたって最も大事なことが、いつまでに仕上げるべきかである。

100メートル走を考えてみてほしい。100メートルだけしか距離がない。そうわかっているから、誰しもが全力疾走を行える。仮に、何メートルかわからない走を行えと言われて、全力疾走できるだろうか。怖くてできないだろう。ペース配分もわからないし、ゴールがあるのかすらわからない。

資料も同じである。どこまで走ればいいのか、いつまで走ればいいのか。めちゃめちゃ大事なことだ。誰かに何かを伝える時、自分の知識だけで可能なことなんでほぼない。調べたり、聞いたり、ある程度作業を行う時間を有する。日限がわからないと、マラソンなのに100メートル走のスピードで走っちゃったり、100メートル走なのに競歩のスピードになっちゃたりする。

だから日限定めるのめっちゃ大事。これで仕事の半分は片付いたも同然である。

 

ゴールを定める

要注意なのがこの部分である。ここでいうゴールは資料としてのゴールではない。資料を提出する先、自分が伝えたいことは、何のために行われ、達成された暁にはどうなるのか。資料作成の奥にある本質的な目的をゴールと定める必要がある。

資料としてこれでいいっすか?はダメである。てめーは資料を作るのが仕事か?って話である。何を伝えたくて資料を作るのかを決して忘れてはならない。

資料に何を書けばいいのかわからなかったとしても、達成したい目的に向かってたくさん線路を引いていけば、説得力がある伝え方ができる。自分だったら目的達成のためにどう考えるか。どんな角度から確認をするか。この辺を真剣に考え、伝えるために情報を集める。

情報集めも、どうしたら集まるか、誰に聞いたらいいかを把握できているかいないかで精度と所要時間が大きく変化する。その辺も加味して日限定めを行う必要がある。

 

嘘はつかない

最重要項目。資料を伝えたいがために数字を弄るのは本末転倒である。大きく強い目的があるのはいいが、引けない線路を引くのはご法度。もしも嘘の線路を引かないと建て付けがぶっ壊れる類の目的は、目的化するのが間違っているから、資料作成を担当している身としては即刻諌めたほうがいい。

とはいえ、無理矢理にでも理屈つけてやらなきゃダメなことは多々ある。でも嘘はダメだ。見せ方だけで何とかするしかない。

 

 

もう眠いからやめるけど、追記するかもしれない。

伝えるのって難しい。