徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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ゲームは一日一時間

夜七時以降は禁止

 

我が家の掟だった。きっと平成の世に生まれてきた子供たちのいる家庭には近からず遠くもないお約束があったんじゃないだろうか。

目が悪くなりますからね。

ゲームばっかりやってるとゲーム脳になりますよ。

目はわかるがゲーム脳とは何ぞやと。しかしそんな大義名分のもとゲームというのは一日一時間、しかも日中しか触ることのできない貴重品として我が家では扱われた。そのせいでイーブイブラッキーに進化することはなかった。

掟は忠実に守っていた気がする。目は飛び切り悪くなった。それでも守っていた気がする。特に掟解禁宣言もなかったために高校卒業するまで不文律として我が家に掲げられ続けた掟。

 

 

一人暮らしになって、もう何も気にすることはなくなった。好きな時にゲームもするし、面白ければ何時間でもする。それに対するありがたみも特には無くなった。ただ確実に、ゲームに触る時間は子供の時より少なくなった。

 

このありがたみの欠如と熱意の減少には極めて高い相関がみられると思うわけだ。パンチラが裸より興奮するわけは、袋とじを開けたくなるわけは、一日一時間的な縛りが影響しているに違いない。

アフリカの上半身裸が当たり前の部族がおっぱいを見て興奮するだろうか。いや、しない。するはずがない。不自然なくそこにさらされているものだからである。布で覆われてしまうとなんだこのふくらみはと見たくなる。想像する。それしか考えられなくなる。聞く。あたりの人に聞きまくる。あの中はなんなんだ。何が潜んでいるんだ。年長者からヒントを得る。真偽はわからない。絵とかに描いてもらう。余計に気になる。

 

この繰り返しである。幼少期におっぱい→ゲームで起きていた。だから当時やっていたゲームの攻略本はやたら買ったし読んだ。ゲームをやらずにゲームのことを考えている時間が好きだった。想像している時間が好きだった。

 

もうそんなことはしない。わからなかったらネットにいくらでも答えが転がっている。答えがわかったらすぐにそれを実践できる。攻略本を買ったり、明日の学校帰りまで待つ必要がない。

これが幸なのか不幸なのかはわからない。ただ、世の中の真理の一つを幼心と大人生活を重ね合わせることで掴むなんとなく悟ることができた気がする。

 

 

深く知りたいものは、遠ざけるべきである。