今、居間のテレビの中でユーミンが熱唱している。
齢60を今年数えた彼女は熟れに熟れた、バナナだったら既に真っ黒になっているであろう肉体を惜しげもなく露にしながら、顔芸レベルに顔面の筋肉を動かして歌っている。
別に他意はないよ。
ユーミンと言えばどんな曲があったろう。ルージュの伝言、やさしさに包まれたなら、守ってあげたい、卒業写真、ひこうき雲、ブリザードブリザード、春よ来い、真夏の夜の夢、、、ユーミンのファンではない俺が一般常識として知っている曲を全力であげて、これぐらい出てきた。いやはや、押しも押されぬ名曲ぞろいである。間違いない。
テレビの中のユーミンは今、上にあげたような曲をやっていない。きっと新しいアルバム引っさげてのツアーだから、そのアルバムからたくさん曲をやっているんではないかな。
テレビからだだ漏れる彼女の最新曲たちは、きっと彼女のデビュー曲に持ってきたら売れていなかったであろうと思わさせるものが多い。なんというかね、いわゆる、スルメ曲なんだろう。噛めば噛むほど味が出てくる。聞き込んでいくとそのよさに気が付く。歌詞とかが深い。好きな人に語らせたら間違いなくそう説かれるはずだ。本ブログ内のBUMP OF CHICKENの存在ように。
けれども売れるきっかけになる曲とか大ヒット曲って、圧倒的にメロディーがいいと思うんだな。どのバンドも、ユーミンも、BUMPも。
もちろんドラマとのタイアップで売れた曲もあるでしょう。テレビ局や広告屋さんなどなどマスコミの力はでかいから。しかしそういった付加された力を差し引いても、大ヒット曲にはそれ特有のメロディーの良さ、ぼんやりした言葉だけど、ピンと来るものがある。
それこそユーミンみたいな天才は、そういったピンと来るメロディーを長期間生み出す事ができる。たぶんその間には星の数ほどのスルメ曲、あたりめ曲、さきいか曲があるのだけれど、それでも定期的に大ヒットの波がめぐってくる。サザンの桑田然り、ミスチルの桜井然り。大御所と呼ばれるソングライターたちは皆そうである。
そんな大ヒットメロディ製造機たちの生産ラインも、いつまでも動き続けるわけではない。少なくとも今聞いている限り、ユーミンの生産ラインは停滞気味だし、最近のポルノグラフィティとかもいわゆるデビューから5年間ほどの絶頂期から比べると、明らかにラインが狂いだしてる。
やっぱり音楽の、作曲の才能って限りがあるんですかね。
曲を作ってる端くれの視点から、曲作りとその才能ってなんなのか考えてみる。
まず、さぁ曲を作ろうとするとき、ゼロから作れる人って言うのは誰もいない。これは言い切れる。世界的な歴史に残る大天才(ベートーヴェンとかモーツァルトとか)以外は、作曲者が今まで聞いて来た音楽の中から、必ず何かしらアイディアを得ることで作曲している。こんな感じの曲にしたいとか、あんなアレンジにしたいとか。全てのベースは作曲者の音楽遍歴である。だから優秀な作曲者は必ず優秀なリスナー。この等式は崩れない。
作曲者の音楽遍歴からしか曲が作れないのなら、作曲の才能とはすなわち、自分の中に蓄えられた音楽をブレンドして新しく聞かせる力のこととなる。決して突然メロディーが降りてきたんだみたいなスピリチュアルな力のことではない。
つまり多種多様なブレンド方法を出来る人が、ヒットソング製造器であり、一発屋といわれる人たちは、その一回のブレンドがものすごく上手くいった人たちである。
じゃあ才能の枯渇ってなんなんだというと、もうその人の中に根付く音楽から生まれるメロディを出し切った状態だと言える。お茶みたいなものって考えたらいいのかもしれない。同じお茶っ葉から何度もお茶を煎れようとすると段々出なくなる。それと一緒。
だからどんなスーパーヒットメーカーの生産ラインにも限界があるのだ。
最近この人同じような曲ばっかり作ってるよねとかって話しはあながち間違っちゃない。むしろ本質を突いているわけだな。
今日大御所と呼ばれるソングライターたちは、きっとある程度才能の出汁を出しつくした状態なんじゃないだろうか。10年も20年もヒットチャートにいる面々と言うのは大体そうだと思う。彼ら彼女らに、今までどおりのヒットソングを期待するのは酷だ。生まれ変わる事ができない限りは。
それはリスナーからするとすごく悲しい事なんだけれど、悲しいばかりではない。
彼らの音楽を聴いて育った人たちが、彼らの音楽を種に曲を作り出す。とんでもない雑食かつ貪欲系リスナーが、新たなヒットソングメーカーとなって出てくる。このことは何よりも確実な事実だと思う。
最近日本のヒットチャートが終わってるとかよく言う。けれど新しく曲が生まれる限りそれが新たな曲の引き金を引いているわけだから、これからも曲は生まれ続けるし、万人受けするメロディーもまだまだ生まれてくる。そう信じてる。
ユーミンの熟れたブラックバナナボディも、未来の名曲のために熟れたなら悪くはない気がしてきた。
気のせいだった