徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

MENU

ねぇ明日の時間割なんだっけ←

あいつまじ無理なんだけど←

今起きた←

 

今の中高生はこんなメールを送っているのでしょうかね。少なくとも自分が高校生の時には、ほぼ句読点のように文末に矢印が突き刺さっていた。これ北海道だけなのかな。全国的にくっついてたものなのかな。

僕もまぁ流れに任せて←を多用していたわけだ←

しかししっかりとした使いどころというのを最後までわからないまま、気が付いたら使わなくなっていた。

一説によると自分自身に突っ込んでいるらしい。テヘヘ、本気じゃないよーっていうのを一生懸命文章で表そうとした女子高生あたりの工夫の粋が詰まっているらしい。そりゃ手頃である。←さえつければどんなにきついこと言っても、恥ずかしいことを言っても、冗談になるわけだから。それもきっと笑ほどにはふざけちゃいないヨってニュアンスまで包含できるのだから。女子高生の発想はすごい。

ただ←は笑とか泣ほどにポピュラーにならずに終わった。ほとんど絶滅したんじゃないかと思うほどに出てこない。見かけない。

なんで定着しなかったかなぁ。少し思いを馳せてみる。

まず、なんかダサいってことに気付きだしたのはあるだろう。ぅちらまぢ最強↑↑的なダサさがある。チョベリバである。なんとなく高校から出て、社会っていうモンスターに近づくことでこれじゃまずいと感じるんだろう。女の子たちの一人称がうちから私に代わるのもそうだ。さらっと、するっと、変わっていく。

そしてもう一つがあれだ、LINEスタンプだ。もう←みたいので感情を表さなくったって、ものすごく雄弁な連中が出てきてしまった。極端な話ほぼ日本語として定着しだしている笑やwwwの類さえもスタンプの前では鳴りを潜める。

やっぱり視覚的に自分の感情を表せるっていうことはすごいことなんだろうなと思う。顔文字もそう。字面だけでは読み取れないはずの心の裏側までがスタンプや顔文字で表せるようになっているわけだから。二次元の世界にいともたやすく感情を組み込むことができるんだから。

こうなったらもはや言葉の持つ力っていうのは、言葉だけじゃほぼ機能しない。言葉は情報を伝える機能だけでしかなくて、感情を伝えるのはその他視覚効果さんの方に委託しきっている。かつては日本語をこねくり回して感謝の意とか嫉妬の意とか無関心の意を表していたはずなのに、その必要が全くなくなった。最低限の言葉プラススタンプである。別にそれがいいとか悪いとかとは思わない。超便利だし。ただ月一くらいで連絡取るときには顔文字なし縛りの日とか作ってみたいなとは思う。自分の感情をどれだけ文章に乗っけることができるか。絶対怒ってるように見えるだろうな。もう誰も文から感情を読み取ろうなんてこと思わないもんね。

なんて文章をパスピエ聞きながらニヤニヤ書いてるなんてこともわからなかったでしょう←

 


パスピエ-秋の 日 / PassePied - Aki no Hi - YouTube