北国・雪国にとって避けられない年中行事、大雪。
昨日までの二日間で、我が地元北見市はオホーツク海側から押し寄せてきた爆弾低気圧により素敵な贈り物を授かった。今年最初の受難である。
行事は行事だが、毎年一回定期的に訪れるクリスマスのような素敵行事ではない。毎年不定期に数回訪れる落とし穴的行事だ。
小中学生の頃は雪が比較的楽しみだった。平日に大雪の予報が出た時は臨時休校の知らせが早朝に届く。うちの電話が鳴るのではないかと思いながらそわそわした朝を過ごしたものである。懐かしい。
しかし立派な大人からしたらたまったもんじゃない。
雪かきという、人としての生活を送るためには不可欠な作業がもれなくセットでついてくる。雪で仕事を休もうものなら雪が掃除されたころには仕事が大豪雪地帯になっている。
だからなんとしても、雪を退治しつつ、道を切り開いていかなければならないのだ。
本日は北国の雪かきメソッドを紹介するとともに、本州の人に北国の現実を知っていただきたく候。
大雪の日の朝
奴らは唐突に訪れると先述したが、天気予報の発達した現在の世界だと、本当に唐突に訪れる大雪は少ない。
「今晩から明日早朝にかけてオホーツク海側では大荒れの天気になるでしょう。不必要の外出は控えた方がよいでしょう。」
この言葉である。この言葉。これを聴くとオホーツクに生きる戦士たちは覚悟を決める。オホーツク海側が日本海側・太平洋側になってもその地方の戦士たちが適宜覚悟をする。
予備知識だが、北海道をひとまとめにする風潮が本州にあるが、北海道は広い。本当に広い。北見を東京に置くと、札幌は名古屋だし、函館は和歌山だ。大体そんなのを一つにまとめようとするのが間違いだし、その結果知らんぷりな雪害も多い。
しかしどの地域にも等しく、必ず足並みを合わせてくるのが低気圧である。冬に北海道にやってくる低気圧は、北からくる台風だと思ってくれていい。すさまじい風と雪で、上から降っているのか地面のが舞い上がってるのかわからなくなる。
そうした風雪が夜のうちにやってきて、朝起きたら仰天積雪になっているのがお決まりのパターンだ。天を仰いだところから、勝負が始まる。
当日の朝、まず覚悟していた積雪量と比べてどうかを人は無意識に比べる。社会に出てらっしゃる殺さずの仕事人たちは、予想をできる限り悪く見積もり、覚悟を決めて早起きをする。
仕事は定時だが雪は定位置ではないのだ。雪かきの余裕をもって朝を過ごさねばならない。
しかし、試される大地は見積もりなぞ何処吹く風だ。風はそこを吹いているというのに。予想の斜め上を行くことが少なくない。酷い時は真上を行く。
例として、オホーツク海側を2004年に襲った大豪雪では、一夜にしてやや2メートルの雪が積もった。朝起きたら一階の窓が光を取り入れることを辞めていた。そんなこともままある。
その日の動き
家から出られないレベルの雪だったとしよう。
まず、雪がやむまで籠城する必要がある。
こればかりは待つしかない。散らかし盛りの子供が暴れ回っている部屋を同時進行で片づけるようなものだ。片付かない。
餃子ばりに天さんにべたべたに泣きついたのち、猛威を振るっていた大雪は次第に鳴りを潜める。低気圧の虫の居所が直ってくる。
さぁこれから除雪だ。だが人の力ではどうにもならにことがある。170㎝が平均身長の日本人に200㎝の雪原を退治することは不可能なのである。
ここで再び待つことになる。除雪車の登場を待つのである。
北国には必ず行政が所有している除雪車がある。大雪の日のために除雪車やダンプカーを動かす予算というものも組まれている。数億単位で。
大雪の日には、除雪車が街中を駆け巡る。まずは大動脈の道路を整備、そして徐々に細かい道へ、毛細血管へと除雪の手が伸びてくる。
彼らも仕事なので一生懸命除雪車をぶん回してくれるのだが、除雪車も車である。テクニックが関わってくる。
想像してくれるとわかると思うのだが、雪をスコップで寄せていくと、スコップからはみ出した雪が壁を作る。2センチの雪とスコップだと可愛い凸凹ができるだけだが、これが2メートルの雪と除雪車だと何の可愛げもない普通の雪の壁が出来上がる。
実家ではお土産と呼んでいた。
このお土産退治に大きな時間を割くこととなる。
雪降る季節も重要だ。春先や冬の始まりだと重い。べったべたの雪である。辛い。まだ真冬だとパウダーだから楽なのだがね。
壁を破壊し、突破した先に、やっと社会とのつながりを得られる。それまでは陸の孤島・陸の一軒家が軒を連ねるというよくわからない状況が続くのである。
雪かきの方法論
しかし、問題はここである。いかにしてお土産にまみれたウォールストリートを開拓していくか。
まず雪かきに不可欠なものが大きく二つある。
- 雪を捨てる場所
- 雪を崩す・運ぶ器具
どちらが欠けても雪は退治できない。ただでさえゴールデンウィークまで残っているというのに。
雪を捨てる場所
有力なのは空地である。農家であれば畑という冬期間のみ出現する広大な空き地がある。しかし住宅街に住む北国ピーポーは大変だ。宅地開発でどんどんと空き地が減っている。近所の公園に捨てようにもその移動すら険しい。さてどうする。
そういうわけもあって、北国の家は敷地が広い。東京では確実に2軒は建つであろう土地に悠々と一軒屋が建つ。土地が安いからいいよねーって呑気な話もあるけど、雪捨て場としての庭という切迫した事情もあるのだ。
ほぼ確実に備わっている庭に、思い思いの方法で雪を投げ捨てていく。
雪を崩す・運ぶ器具
料理で言うフライパンが雪かきで言うスコップである。
スコップは一種類でいいわけではない。何種もあって機能してくる。
まずそこそこに柄の長いタイプのスコップ。
主に屋根などの雪下ろしやスノーウォールの上部を崩すのに使用する。
ちょっとした雪の時などはこいつで何とか除雪していけるため、本州の方もこのタイプのスコップは備えておいてもいいかと思う。
しかし、豪雪になったり、雪が踏み固められてきたりとなると、このようなプラスティックのスコップでは歯が立たない事例が多々発生してくる。具体的にはスコップが割れたり、柄が折れたり。
そのため、このタイプのスコップは消耗品と割り切るか、過度に信用することをやめたほうがいい。不意にポキッと信頼を裏切る。
料理で言う鍋が雪かきで言うママさんダンプ。
雪をスコップで崩したものをこのママさんダンプ(以下ママダン)に乗せて運び続けるのが北国のオーソドックスな雪かきスタイル。
各家庭に一台は必要だ。
多少の雪の壁なら下からこのママダンを差し込み、てこの原理で持ち上げることによって根こそぎ破壊することができる。上級者が使うと猛烈な速さで雪かきが進む。
料理で言う圧力鍋が雪かきで言う除雪機である。
ハイクラスな家庭にはおいてあることの多いこの除雪機。時短どころではないサクサク除雪を可能にする。
むしろちょっと駐車場が広い家庭や、玄関先が広い家庭になるとこれがないことには除雪する前に心が折れること必死である。ある意味マストアイテムだ。
前についているローラーのようなもので雪を巻き込み、噴出口から雪を吹き出す。吹き出し先がこっさりと雪の山になるのは仕方ない。目をつぶろう。
料理で言う電子レンジが雪かきで言うロードヒーティングだ。
コンクリートの下にこの温水が流れる管を埋め込むともうその地面に関しては全く雪が積もらない。積もった先から溶かしていく。雪からしたら地面に触れた瞬間に即死決定のむごい装置だ。
急な坂道等にこれが入っている。終生除雪がいらないものの、一般家庭でこれを入れようとすると、終生お金に追われる。ハイカラさん限定器具。
このように、スコップ・ママダン・除雪機・ロードヒーティングを駆使して人類は雪と戦う。
文明の利器に助けられるところは大きいが、基本はどの家庭も人力だ。スコップとママダンがメインウエポンとなる。
雪との戦いのはずが、気が付けば肉体とのせめぎ合いになっているのは雪かきあるあるである。果たしてどのように雪を持ち上げ、崩せば体に負担をかけずに済むのか。
雪かきのテクニック
雪かきは腕でやっているものと思っている人が至極多い。ちょっとした雪であれば確かにそれでもいいだろう。構わない。
だが今回の前提である大雪の日にそんなことやろうものなら二の腕がいくつあっても足りない。
重要なのは下半身である。
ママダンを押すにも、雪をぶん投げるにも、下半身主導が基本だ。
腕は雪にスコップを差し込むときのみ使用するのがいい。そこだけは腕主導でないとにっちもさっちもいかない。ひとたび差し込んでからは、あとは下半身の仕事だ。
激しい屈伸運動と思ってくれればよい。しっかり膝を曲げて屈んだ状態から、一気に立ち上がる要領で雪を持ち上げ、投げる。
これのいいところは、小手先の筋肉だけで雪と対峙しないところだ。
大きな筋肉を使用することで雪を遠くまで投げられるとともに、体を温める効果まで得られる。一雪二得である。
ママダンは言わずもがなだろう。押す。That's all.
まとめ
だらだら書いたが、大雪の日には
- 雪がやむまで待つ
- やんだら除雪車来るまで待つ
- 壁を壊すことに情熱を傾ける
この三点がポイントになる。何でもかんでも自力ではできない。
そう、人という字は人と人とがもたれかかってだな…
本州の方々にも、北国の冬の戦がどのように行われているのかを少しで知って盛られると嬉しい。
おまけに人は自然に歯が立たないことも、知ってほしい。