徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ポリゴンショック ~あの時ぼくは~

日本の放送史に残る事故といえよう、ポリゴンショック。

 

今、妖怪ウォッチって流行ってるらしいよーとかなんとかいいながら、原宿あたりをダッフルコート着て風を切っている若者たちが、少年少女のころ夢中になったポケモン。むしろ今も夢中で遊んでいるかもしれない、ポケモン

赤・緑が1996年に出たはずだから、1990年前後2年くらいに生まれた人たちはポケモンネイティブプレーヤーである。初めてやったゲームがポケモンという人も多いだろう。

 

ポケモン人気はゲームはもちろんだが、アニメ放送に乗じてうなぎのごとく上っていき、今やポケモンのサトシといえば誰でも顔が思い浮かぶほどの人気を得ている。

 

10歳の誕生日、ポケモンマスターになるために旅に出たサトシが、相棒のピカチュウとともに火の中水の中草の中森の中スカートの中を大冒険する物語だ。人気でないはずがない。

子供コミュニティで、かつてのドラゴンボールのような絶対的な支持を得て、見てないと話に入れないほど熱狂的なブームを生んだ。

 

そんな時代の中でだ。世のハムスターたちに一律ピカチュウという名前がつけられるような狂った時代の中で、ある一体のポケモンが大問題を起こす。

 

 

ポリゴン。

ゲームでは、タマムシシティの激レア景品にされているポケモンポケモン図鑑をコンプリートしようと言う気概にあふれた少年じゃないと出会うことのなかったであろうポケモンだ。

作中では限りなくサブキャラで、存在感が薄い彼だが、アニメの舞台で世間を騒がせることとなる。

 

ポリゴンにピカチュウの電撃が当たるシーン。

人に電気が当たったら骨になる定番を、ポリゴンは点滅するという方法で表そうとした。

この極彩色での点滅。それは飼ってるハムスター「ピカチュウ」を放っておいてアニメに夢中になっている子供たちの目に突き刺さった。

ゲーム内では不遇なポケモン、ポリゴンの、最大にして最低の自己主張だった。

 

その結果、点滅酔いのような症状を訴えた子供が全国で続出する。救急車とかも結構出たのかな。

テレ東のポケモン製作サイドはてんやわんやである。ポリゴンの色がもっとゴリラみたいな色だったら。点滅じゃなくて、とりあえず便宜上の骨とかで電撃ビリビリ感をあらわしていたら。どれだけの悔恨の念が渦巻いたことだろう。

 

 

あの時、僕は。

日本中がポリゴンに注目したとき、僕は。

 

 

北海道北見市にある僕の実家は、テレ東とテレ朝が移らない地域だった。

幼いころからテレ東のアニメやテレ朝のMステないしは朝のアニメを見られずに生きてきた。

ねだっても見られないテレ東。背伸びしても見られないテレ朝。

父に屋根に上ってもらってアンテナをいじってもらったこともあった。息子のポケモンのため、息子の何たらレンジャーのため、父は一生懸命にアンテナをいじった。

だめだった。映らない。

大雪山が電波を邪魔しているのだった。それは仕方ない。168センチの父が、2500メートル級の大雪の山々に勝てるはずがない。

 

しかし、大雪山が、ポリゴンから僕を守った。映っていたら、きっと食い入るように見ていたに違いない。世の子供たちと同じように。

 

そう、大雪山の大切さを、学んだのだ。