徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

納スタルジー

何事も納められれば良しでしょう。商品を納め、代金を納め、税金を納め、涼を納め。本日は年の納め。

 

ミスターチルドレンが365日の言葉のないラブレターを綴って、水前寺清子が365日のマーチを高らかに歌い上げている間に、大きくも小さくも世の中は変わった。

ペットが死んだ家庭もあれば、首脳が変わった国もある。

いくつものプライベートなプロブレムが生まれ、また、死んでいった。

誰かが書いた予言の書では一昨年辺りに世界が終わっているはずなのに続いちゃってるし、終わる気でいた僕のような人間は見事に余生を過ごさせて貰っている。幸せ。

 

区切りがあるからこそ生きていけるようなところがある。締め切りのない宿題なんて宿題じゃない。きっとやらない。

「呼吸は吐いてから吸うから呼吸だ」って言ったのは、現代の思想化・外山滋比古だが、年の瀬になってみて、終わってから始められるという感覚がリアルに感じられる。

暦が強制的に自分を再起動してくれている気になれる。実際微動だもしないのだけれど、ちょっとメモリが空いて、すっきりするんじゃないかとか思う。

 

夕暮れと明け方の間には夜があるくせに、暮れと年明けの間には夜がない。

明けた瞬間からおめでとうだ。整理する時間もなにもあったもんじゃない。

だからやっぱメモリは空かない。睡眠のような脳みそ整理効果は、暮れには期待できない。

 

「でもなんかやれそうな気がする。なんかやらなきゃって思う。」って言ったのは現代のカートコバーンになりかけた小山田壮平だが、おおむね同意する。

愛しているの響きだけで強くはなれない。強くなれる気がするだけ。

 

そんな雰囲気強気を握り締めて、2015年にダイブする。


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