徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

七草粥

季節感を食で感じる。なんと贅沢で、人間らしい行為なんだろうかな。年中笹を食べているパンダにはこんな高尚な芸当はできやしないだろう。もちろんシカにだって無理だ。奴らはドングリと木の皮にしか興味がない。

正月におせち、二月には節分で豆と恵方巻き、三月にはあられを食べてみたりと、日本にはやたらと多くの季節感フードがある。冬至にかぼちゃと小豆を食べたのは記憶に新しいし、年越しそばなんて昨日食べたみたいだ。

 

割とそういう季節行事に忠実な家庭で育った。だから実家にいた18年間は確実に季節感フードを消化してきたことになる。

それもおいしいものばかりだった。なにしろ旬なものが使われていることが多い。おいしいに決まっている。

 

だけどね、だけど。七草粥だけは苦手だった。なんなんだろ、なにがだめなんだろ。

そもそも、柔らかいご飯が好きじゃないのがある。鍋の後の締めも圧倒的に麺派だ。おじや派とは相いれない所がある。

 

どうやら僕の脳は食べる行為の中でも、噛むことを重要視しているらしい。噛むことというか、噛みごたえか。

ご飯も硬めがいい。つけ麺も硬くあってほしい。うどんももちろんだ。パンは耳が好き。ピザだって耳が好き。一人暮らし始めてからベーグルばっか食べてた時期もある。

噛みごたえが満たされたら、あらかた食に対する満足が得られる。

しかし、七草粥はそれを満たさない。挙句、味が薄い。

塩を振って食べるのがポピュラーなのだろうか。柔らかいご飯が好きならそれでいいのかもしれない。硬め派からしてもホカホカ硬めご飯に塩だったら全然いける。でもそうじゃない。柔らかいのがあんまり好きじゃない上に塩オンリー。これはね、きついよ。

だからいつも苦肉の策で梅干を乗せていた。七草一実粥だ。

苦肉の策で果肉を食べるってね。やかましいわ。

 

東京に戻り、最初の夜。

暮れから正月にかけて散々飲み散らかして迎えた七草粥の日。

なるほど、やっと粥の意味が分かった気がした。

こんなにやさしい食べ物があったのかと。唐揚げと枝豆とアルコールに一週間つけられた胃袋は、ものの見事に粥を求めいていた。天然の胃薬、整腸剤。荒れ果てた食生活転がってきたオアシス。

 

古くからの知恵に初めて助けられた。噛みごたえよりも大切なものがあったなんて。

痒いところにまで手が届く粥ってね。やかましいわ。