徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ご飯食べなくても生きていけるのか

最近、

食べるのは暇だからです。暇じゃなければ食べることもないし、消化に使うエネルギーを他の行動に仕えるから元気っきー!

みたいな記事を読んだ。本も立ち読みした。

 


【2014年最高の奇書】不食のすすめ。ー 「食べない人たち」どうすれば人は食べないで生きることができるのか。 - いばや通信

 

「食べない」健康法 (PHP文庫)

「食べない」健康法 (PHP文庫)

 

 

 

どうやら流行っているらしい。断食。ダイエットでもなんでもない、セルフ断食。


ははぁ、なるほど。消化にはこんな膨大なエネルギーを使っているのか。もったいないな。そのぶん動き回った方が有用な時間の使い方なのか。なに、むしろ体の調子が良くなると。断食とは悪くないものなのか。

 

基本的に食べることが好きな人間なので、あまり迎合しない考えではある。ただ、一人暮らしで、ご飯なんて裁量次第でどうだってできる環境にあるわけで。なんとなく空腹を楽しむことを覚えたりもしている。

いつでも食べられると思う空腹は気持ちのいいものだったりするのだ。たしかに空腹の方が頭もさえる気がするし、得している感はまずまずある。

 

 

断食ないしは小食のススメの絶妙なところは、健康法としているところだと思う。運動は健康にいい。だからする。早寝早起きは健康にいい。だからする。そんな軽ーいノリで誘ってくる。なかなかに納得のいく理屈もセットで。

健康志向の日本人は食い尽く。そりゃね。ただ、運動とかとは違って、食は人間の根幹にかかわることだ。中学保健の教科書に載るほどには、大事なことだ。

それを他のもろもろとごった煮にして「健康法です!」ドドン と打ち出してしまうことに、危うさを感じてしまう。

 

確かに、自分を中心において食事ってものを考えた時、食べないほうが健康にもコスパ的にもいいんじゃないのって答えに行きつくことはなんとなく察しが付くのだ。特に昨今の食べることに興味ない系若者たちの通患として感じられる。ぺヤング難民たちの通患だ。

 

ただ食事っつうのは自分のためだけに行う行為なんすかね。どうなんだよ。

三大欲求を考えてみる。睡眠欲と性欲と食欲だ。

この欲望や欲求たちって、基本的には個人だけでは完全に満たされないようになってんじゃないかと思う節がある。

母親や父親に添い寝をされて眠ったあの夜ほど安心した、落ち着いた睡眠をできた夜があるか。性欲なんて1人なんかじゃ満たされるわけないんだ。馬鹿野郎。だったら食欲だけが例外と考える方が不自然なんじゃないのかい。

誰かと食べるごはん、誰かが作るごはん、誰かに作るごはん。そうして満たされるものが食欲。オナカスイタをごまかすだけが食欲じゃないだろう。誰か第三者の存在がいてこそ欲求が満たされる面もあるはずだ。

自分の食欲だけじゃなく、相手の食欲まで奪ってしまう断食なら、健康的に危うい云々ではなく、良くないものだと思う。

 

さて、今日の晩御飯どうするか。面倒くさい時間でも、考える時間は幸せな時間だ。

たとえ牛丼に落ち着いたとしても、その間に頭をよぎったいくつものメニューはきっと人間を幸せにさせる。そして、結局おふくろの味、懐かしい味には勝てない。あの味が食べたいなって思えることは、何にも代えることはできないだろう。

人並みな幸せが不健康につながってるなんてそんな世の中間違ってると思うんだぜ。