徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

やっぱなんやかんや書く

期待がない楽さを感じたかった時期がある。高校時代だ。

そこそこ陸上で強くなって、周りから来年どこまで行くんだと気にされていた時期。自分に対する期待感とおんなじくらい、その期待に対する煩わしさというか、プレッシャーも感じていた。

当時としては、辛かった。もうこれ以上自分に期待しないで欲しいと思っていた。反面、プレッシャーが心地よくも思っていた。いやらしいことに。酔ってた。

 

今考えたら嫌なやつだなと思うわけだ。周囲の期待に答えながらも葛藤しているようなそぶりで走るやつ。

周りが果たしてどう思っていたかは別として。 

怪我をして、調子落として、初めて期待される幸せさを知った。結果を出し続ける難しさも知った。

 

 

ブログもなりにわずらしいわけだ。究極に眠い時に歯磨きってわずらしいだろう。それと同じである。

毎日書くことを考えるし、世に落とすのであれば、どこか面白い文をこしらえなきゃいけないなと勝手に思う。

そもそも自分の考えとか主張を整理するために書き出したものに逆に食べられてしまっているわけである。ミイラ取りがミイラになるテンプレート。

誰が評価してるわけでもなく、なんとなくプレッシャーに追われる。

 

ただ、いざちょっと今日はやめようと思うと、少し憚られる。これも歯磨きと一緒。

結局は義務と習慣の議論に集約されるところがある。

 

 

嘘でもいいから、今日からやめよって思うと楽になるところはある。嘘でも、思い込むことが大事なんだろうけど。明日っからなんも縛られることはないんだ、もう自由なんだ。解き放たれます、私。

それだけで、少なくともそう思い込むだけで、その一瞬は自由になれる。うまく行けばしばらくは自由さに浸って機嫌よくなれる。

 

卒論が終われど、内定先との課題と、諸々の雑務に追われる毎日である。辛いのが、こつこつこつこつやって行けば終わることじゃないことだ。ひらめきとか、アイディアとかに左右される。考えても何も浮かばないけど、考えないともっと何も浮かばない。ジレンマを抱えながらいたずらに時間が過ぎる。

そういうことも一回全部やめたふりしてしまえばいいんだろうな。そしたら楽になれて、そこから何かが生まれるかもしれない。わからないけど。

 

なんやかんや書いてしまっているところを見ると、相当に、相当に習慣化しているらしい。テレビ好きな人が頭休めるのにテレビを見るように、文章を作るのにキーボードと格闘をすることが癒しになっているところがあるらしい。

いい趣味を持ったものである。

これからも続けるんだからね。