徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

薄氷を踏む思い

この言葉。

大体無事だったときに使う。薄氷を踏む思いだったよーって話しているときは大体、薄氷地帯を脱して陸地にいる。落ちてない。

でも、薄氷の上を歩いてたら大体が落ちるんだよ。それだけは理解してこの慣用句を使わないと、本当の切迫感は全く伝わらないままだ。

縁あって流氷が流れ着く場所で産まれたが、流氷なんて超頑丈な分厚い氷の上でさえも、歩くときはひやひやする。マジで怖い。流れていくんじゃないか、そこが抜けるんじゃないかと気が気じゃない。

なお、薄氷おや。

 

就職先の課題で駆けずり回り、あとは発表を残すだけとなった。その資料を作るのに、今はネットの海を駆けずり回っている。

ずっと頑張っちゃいられない。効率が悪い。娯楽に手を出す。

ヒカルの碁って漫画の影響で、小学生の頃囲碁をやっていた。今はヤフーにお世話になる形で、ネット対戦をしている。煮詰まると囲碁に手が伸びる。

違う頭を使えて面白い。頭よくなる気がする。

囲碁も勝負事である。ネットだから、見えない相手との駆け引きがすごい。ヒリヒリする接戦を制した時の気持ちよさと言ったらない。それこそ、薄氷を踏む思いである。

だがな、だが。負けることも多いわけだ。勝ち続けられるほど強かないのよ。薄氷の割れること割れること。もはや水。氷なんてあったのか。

細心の注意を払って最終局面まで勝ち碁だったのに最後の最後でミスって負けた時のこの虚無感。悪魔にささやかれたらいくらでもダークサイドに落ちそうな荒み感。

もう二度と囲碁なんてやんねぇ!

一瞬の息抜きには最高のコンテンツである。勝てば楽しい、負ければ脱線から本線へと舵を切れる。全く文句のつけようがない。

 

気が付くと、またヤフー囲碁を開いている自分がいる。また薄氷を踏みたがっている自分がいる。

ハラハラの後の歓喜と虚無は、中毒性を生むらしい。

人生の教訓である。