友達の家族内で、どうやら僕の曲がちょっとしたムーブメントを起こしているらしいと聞いたのは、数週間前の事だ。
えー、まじで!それは嬉しい!何が好きとか言ってる?
ずらずらと好きな曲を上げてくださったわけだけど、それはもう聴き込んでいらっしゃるようで。嬉しいとか月並みな言葉じゃ尽くしがたいきゅんきゅんを得た。きゅんきゅんとかチープすぎか。
ちょっとしたムーブメントは田舎者をその気にさせるには十分で、たまたま上京なさっていたその友達のお母さんにCDを作って渡した。結納である。どうぞもらってやってください。好きって言ってくれてありがとうest。most ありがとう。
自ら生み出したものを褒められることは、ある種、あなたの事が好きですと言われるよりもくすぐったい。最近でこそライブをするが、あの緊張感と俺の曲どうですかねぇ的押し売り感から生まれる自己陶酔は何に変えられるものでもない。作品が残る趣味をチョイスできたが故の幸せをいただいているなぁと思う。
うちの旦那が子煩悩で…妻が教育ママで…
いくらでも湧いて出てくるうちの一曲が褒められただけでこの幸せだ。いくらでも湧いて出てくるうちの一曲をどうしても聞いてもらいたくてYoutubeとかにあげちゃう日々だ。
いくらも湧いて出てこない、人生史上最大の目的である子供に対しての事だったらなおさらだ。褒められたら天井に上る幸せだろうし、子供のためならどんな投資もいとわないだろう。
子煩悩にものすごく共感できる。今ならスネ夫のままあたりとティータイムを共にしても全然苦じゃない。スネちゃまの未来と我が可愛い曲たちの未来が重なってしまう。
これが親の気持ちなのだろう。
一緒に洗濯すらさせてもらえないようなお父さんや、買い物に全く付き合ってくれないと嘆くお母さんの悲しみは計り知れない。
もし今、ありおりはべりいまそかり辺りに
もう弾かないで。お前に弾かれてもこれっぽっちも嬉しくない
なんて言われようものなら、打ちひしがれるどころの話じゃない。
今回の曲あんまり好きじゃないわ。なんて言われるだけで身が引き裂かれる思いだ。子供がいじめられていると聞いた日には、ジェノサイド覚悟で突っ込んでいきたくなるだろう。いじめっ子許すまじ。
ささやかな親心体験をして、果たして自分が親になった時どうなのか、自分の親に対してどうだったのかと思いを巡らせたのでした。
奥さんができて、子供が出来たら、僕はきっと子煩悩になります。