徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

昨晩から今晩は

道後温泉はオアシス足り得たのか。これが判断分かれるところである。

かの有名な道後温泉草津伊香保を代表する赤城山の恩恵にあずかった群馬連中、火山大国九州に拠点を置く下呂温泉、故郷北海道の登別。そうした温泉たちと日本温泉界のクリーンナップを固めうるポテンシャルを秘めているはずだったがしかし。一番安い温泉だったからだろうかな。銭湯でした。

源泉かけ流しの銭湯。それを温泉と呼ぶならば立派な温泉なのだろうが、貧乏トラベラーにも少しだけその本気を見せてほしかった。湯船や洗い場は確実に銭湯のそれだった。

けれどもあのロングデスドライブの疲れを癒すのには十分で、リンスもシャンプーもボディソープも全部固形石鹸で洗ったことなんて全く気にならない。お湯に浸かれただけ本当に良かった。そう思う。ことにする。

 

道後から少し行ったところにある愛媛の友人の家に泊。

将棋にいそしむ。夜中まで。旅感皆無の夜を過ごす。

 

翌朝、10時ごろからぼちぼち起きだして松山城へ。

こいつはよかった。白虎隊には悪いがしかし、鶴ヶ城とは比ぶべくもないほどの松山城だった。

松山城は勝山という山の上に築城されている。山が城である。そういえば僕が高校生の時、部活の先輩で山城という長距離のスターがいた。ダークマターのごとき黒さのイメージそのままに黒人ばりの快走を見せていた。どうでもいいや。そう、山が城なのだ。天守閣は山頂にある。登山せねばならない。朝飯も食わずに登山。なかなかしびれる体験だった。

三の丸は山の麓、二の丸は山の中腹にあったのだが、ひとまず天守だろうと天守を目指したのがよかったか悪かったか。天守に果敢に攻め入る武士たちの気持ちがほんの少し、ほんの少しだけわかった気がした。

山道の険しさに比例して、景観はよくなる。高尾山を髣髴とさせる自然豊かな山道を上がった末に見下ろす松山の町並みは壮観だった。

天守の中では例によって松山城の歴史を学べた。その場ではものすごく賢くなった気がするも、今要点を伝えろって言われたってなんも出てきませんごめんなさい。加藤喜明さんが築城したお城で、最終的に松平家が納めて大政奉還で朝廷に返納したよ。ってストーリーだったはず。怪しい。

 

昼。愛媛友人にそそのかされてB級グルメ、焼き豚たまご丼を食べることとなる。

焼き豚たまご丼

焼き豚たまご丼

これほどまでに商品の形を想像できるネーミングがあろうか。小林製薬でももうちょっとひねるに違いない。つーかそんな焼き豚たまご丼とか吉野家でも食えるわ。

とか思って向かったお店、「白楽天

焼き豚たまご丼は、豚丼のたまご落としでもなく、牛丼のたまご落としでもなく、まぎれもなく焼き豚たまご丼だった。帯広豚丼の上に目玉焼きが乗っている状態のどんぶりだ。味も唯一であり、無二だった。これは愛媛に行った際はぜひ食べたほうがいい代物だろう。焼き豚たまご丼。気になってきただろう。グルメに関しては言葉は意味をなさないことを最近学んできたので、みなさん食べてください。

 

夕方から夜。デスドライブ再び。目指すは香川。

うどんを求めて、うどんをひたすらに求めて。ひた走るハイウェイ。友人には多大な負担を強いてしまっている。どう還元したらいいのかわからない程だ。せめておいしいうどんを食べてほしい。必死で探したうどん屋に向かう。20時開店のうどん屋。デスドライブの末、5分前位にうどん屋に到着。一番目の客として並ぶことができた。

香川のうどんはうまかった。開店と同時にピカピカの店内で食べるうどん。少しは満足していただけたのだろうか。

 

明日で、友人とのドライブは終わりを告げ、また一人旅に戻る。

明日、淡路島にわたる。淡路島の南に米粒のように浮かぶ島、沼島。祖母の生家がある島だ。祖母一家はどうやらそこから何らかの理由で北海道に移住したらしい。

何があったのか。何を思ったのか。

沼島に残る親戚を訪ねて、その謎を追いたい。そして95歳の今もなお、口うるさくも賑やかに生きている祖母に、なんらかの報告をしてやれたらいい。雪深くて寒くてやんなっちゃうって思ってるかもしれない祖母に贈るレポートだ。どうかかっこいい理由であることを願う。二股かけたら居心地悪くなって逃げましたとかじゃないといいなぁ。