徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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「ならでは」という強迫観念

ここでしかできないことをしなきゃもったいない。今しかできないことをしなきゃ勿体無い。もったいない時間を過ごしたくない。強迫観念のような、もったいない。可能な限りのその場の生(なま)を体感したい。しなければならない。
旅をしてみて、とにかくそこでしか食べられないものを食べて、そこでしか見られないものをみようとしてきた。名古屋は名古屋の、神戸は神戸の、所謂、ならではの空気を感じなければ。音のなる耳栓を外して、ウイルスカットのフィルターを外して、その町のライブを体感したい。それぞ旅だと。
だから、決して淡路島ですき家は食べなかったし、コンビニには極力行かず、空腹も我慢に我慢を重ねた上でパーキングエリアで満たした。携帯電話も可能な限りニュースとかは見ないで、オススメの店も人づてで訪ね歩いた。RPGの縛りプレイみたいなものだ。自分ルールに則った。

なんでまたその場の雰囲気ないしは空気を大事にしようとするのだろうか。普段そんなことは意識しない自分も、旅となればちょっとケータイポチポチするのももったいないと思う。自分だけではないだろう。旅に出てまで好きこのんでセブンプレミアムなローソンにミニストップしてあなたとコンビになる人なぞそうそういないはずだ。

つまりだな、均一化されたものが多すぎるんだ世の中。水に絵の具を垂らしたら全体に色が馴染むように、日本が同じ色に染められつつある。チェーン店が発達して、数の力に物を言わせるマーケティングが主流になる前は、日本は水ではなくて、紙だった。垂らされた絵の具は溶けることなく、その場の色となって残る。当地当地の色で彩られた世界だった。
均一化されてなかったからこそ、旅が旅たれたのだ。持ち合わせと行き先が全てであり、行き先は行き先ごとに違う色を見せ、カラフルな絵の具に染まりながら街を歩く。その場しかできないことをしようなんて意識はしない。その場しかできないことしかないから。
今の日本は便利だ。何処でも同じものがある程度揃う。特別値段のデコボコもなく揃えることができる。東京を中心として、水の中に色々な色を落として日本を染めているからこその恩恵だ。便利さを皆が理解して、すがる。
普段はそれで良しとしても、一度旅行となると話は別だ。均一がもったいない気がする。一生懸命特別を求める。誰もがそれなりに便利さの反面の堅苦しさを感じているのだろうか。どうなんだろうか。

日本っていう水槽にいろんな色を溶かして、混ざり混ざった先の色はきっと限りなく黒に近いブス色だ。便利なブス色をたいらげ続けて、かき混ぜ続けたら、そのうち旅行も特別もなにもあったもんじゃなくなるんじゃないのかね。差し色も見えなくなっちゃうよね。
愚かしきコンビニエンス。美しきアンコンビニエンス。