そんな記事を上げたがしかし、感情を言葉にするってことのおこがましさにも思い当った。旅行のおかげです。
長旅の末温泉につかった時の「あぁぁあぁー」
空腹の末ご馳走を食べた一口目の「ぅんーm」
この衝撃にも似た嵐のような感情を言葉にしようったって無理だ。世の中にあるありったけの語彙をろ過しようとて、表現できる気がしない。感情に身を任せることしか伝えられない物事もあるのだろう。むしろそういったことを言葉にしようとすると、安っぽくなる。食レポでまいうーって言ってさえいればいい風潮は、安っぽさの極致のような語彙を使うことで、説明の安っぽさを回避するという高等テクニックの下に成り立っているように思う。石ちゃんそこまで深く考えてないか。
それでも感情はコントロールされるべき対象だとは思う。感情にコントロールされてしまうと、愉快な感情こそ正直に出せるも、負の感情も液漏れしていく。わかりやす諸刃の剣なわけだ。ひとたび感情を掌握してしまえば、調整が効く。今は垂れ流していい、今は占めていなきゃだめだって、TPOにあった感情を出せるようになる。
世の中言葉にならないことが割と多いらしい。けど、それを無理やり言葉にして自分の中に落とし込むことで、世界が広がっていくように思う。把握できないものを人間は認知しないみたいな話もある。インディアンはコロンブスの乗ってきた船を理解できなかったために、目に入っていても見えなかったなんて逸話も残っているほどだ。世の中を理解把握していくツールとして言葉が有効活用できるのなら使うべきだと思う。
穏やかなままで世界を切り取っていきたいものよ。