徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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真っ只中だとわからない

喉元過ぎれば熱さ忘れる。終わりよければすべてよし。どんなに大変なことでも終わってみたら何だ割といい思い出じゃないかって感じるものだったりする。本当にしんどい時は外野からどんなに励まされたって、いい未来が訪れる期待なんてまったく持つことなんてできない。

自分たちの人生なんて高々一回きりだし、誰の人生を生きることはできないわけで、自分が今楽しかったり面倒くさかったりつらかったりっていうのを誰に分け与えることもできなければ、誰のをリアリティをもって感じることもできない。過ぎたことに対する「なーんだ」って気持ちは、時間という隔たりをもって主観を客観的に見ることができるから生まれる。主観が主観であるうちに客観視しようったって限界があって、客観視しているつもりでも、感情ってノイズに歪められてバイアスが生じる。

どんなに自分自身をまとめようったって、今の自分を冷静に知ることはできないんだからそんなことは無理なんだな。

 

どうやら、この世界は四次元らしい。ドラえもんに頼らずして四次元世界に生きてしまっているようだ。0次元が点、1次元が点と線、2次元が平面、3次元が空間、4次元が時間だそうで。てっきり3次元に生きているもんだと思っていたけど、時間って概念が存在している以上、4次元空間だといえるのだそうだ。

何が言いたいかって、4次元に一生懸命生きているわれわれは、3次元分しか知覚できない。4次元の真っ最中だから4次元目の時間を知覚することができない。4次元目を知覚するには5次元に生きるしかないらしい。流れからすると。

5次元空間ではきっと時間の次に何らかの要素が入って、時間がその下位概念として知覚できるようになる。椅子とか机とかはさみとかを使うように時間を使うことができるようになる。使えるようになって初めて、それらより高い次元に存在しうると言えるようになるのだろう。

 

何をしようったって真っ只中ではわからない。一生懸命の真っ只中では本質がわからないし、4次元の真っ只中では4次元はわからない。

真っ只中の大変さを味わっている就活軍団にまぎれて書いている。真っ只中の悲しみを今日、もう一度味わっている人たちがたくさんいる。真っ只中だとわからないけど、真っ只中をしないと何も生まれない。

誰に代わることも、誰に変えることもできない。