徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

思い出のレストラン

ぐるなびお題「思い出のレストラン」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/gnavi201503

 

 

企画に乗らせていただきます。
 
忘れえぬレストランがある。今はもうないが故、忘れられないレストラン。クッカーと言う。
北見市役所の向かい、地方公務員の昼のお腹を満たすためにあるといっても過言ではない立地。うちの家業が本屋で、クッカーにも雑誌を取ってもらっており、その関係で物心つく遥か昔からクッカーにはお世話になっていた。薄暗い店内。ドアを開けたらカランコロン鳴る鈴の音。我が家から買ったであろうジャンプとマガジン。本当によくある、しかし実際そうは出会わないような典型的な趣のレストランだった。
ちょっと伸びたひげが特徴の気のいいマスターと、いつも元気なおばちゃんが夫婦でやっていた。何しろ幼児の頃から通っていたから、成長過程を知り尽くされていて、数ミリの身長の伸びも彼らは見逃さなかった。あなた方のご飯のおかげでこんなに大きくなりましたよ。
 
月一、二ほどで通っていたクッカー。父はシーフードカレーを食べ続けていた。
クッカーのカレーは今でいうココ壱のように辛さを調整できた。普通から2倍3倍と辛くなり、10倍まで自らを追い込むことが可能だった。父は4倍をいつも食べていた。ドーナツ型に盛られたご飯の中心に、シーフードカレーが注がれており、ダムを決壊させるがごとく父はカレーを食べた。
つまり、父の「いつもの」はシーフードカレー4倍だったわけだ。
息子も、自分の「いつもの」がほしくなる。
思考錯誤は続いた。ソウルフードに出会うべく、ハンバーグやらピラフやらを食べ比べる日々が続いた。しかし若干10歳にも満たないような舌にクリティカルヒットする味のメニューと巡り合うことはそうなかった。
ある日、何気なくオムライスを頼む。
この出会いがクッカー人生を大きく変える。
楕円ではなく、まん丸のオムライス。チキンライスの上に薄くてしっかり焼いた薄めの卵をかぶせ、その上からケチャップが網目状にかけられていた。
虜になった。
多分何の特別もないオムライスだったんじゃないかと思う。たっぷりケチャップを使ったら誰にでも近い味は出せるようなオムライス。ただケチャップの味が好きになっただけかもしれない。けど、味云々よりも、いつものたり得る逸品に出会えたことが嬉しかった。

それからクッカーに行くたびオムライスを頼み続けた。おばちゃんもマスターも、我々家族が店に入るなりニヤニヤして、「いつもの」を待っていた。
僕の身長が伸びるのと同じだけ、オムライスは大きくなった。最初はまんまるで可愛げのあったオムライスは、直径が広がり、高さも膨らみ、ちょっとしたエアーズロックのような造形へと変わった。オムライスの膨張がそのまま自分の成長のような気がしていた。

高校一年生の時、突然クッカーが閉店した。父が事情を聞くと、マスターが癌になったということだった。
マスターは、僕ら外野ががんばって治してとか、どうこう言うよりもずっと早く、亡くなった。閉店してからすぐのことだった。

オムライスと歩いた僕の成長は終わった。もうアホみたいにでかいオムライスを食べることはできなくなった。
東京って都会ではオムライス専門店が存在し、ふわとろを銘打ってデミグラスソースやらキノコソースやらに彩られたオムライスが人気を得ている。確かに美味しい。間違いない。それでも勝てない。クッカーのオムライスにはどこのスペシャルオムライスも勝てない。

我が家では、母が晩御飯を作るのが面倒臭い日には今でも必ずクッカー待望論が浮上する。成人した僕に、マスターはどんな大きさのオムライスを作ってくれるんだろうか。たまに考える。