徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

引っ越しの準備と思い出から得た教訓

引っ越しの準備をある程度してから北海道帰省に繰り出した。例のごとく服をまとめ、捨て、本を売り、家具を捨て。がらんどうだった部屋を一生懸命彩ってくれた家具たちは、四年過ごすうちに時の流れにボッコボコにされ、食器棚なんなはガムテープで抱きしめられてないと形を保てなくなった。誰がなにをしたわけじゃない。全ては時の流れ。誰のせいでもない。

部屋の諸々を幾つかのダンボールにぶち込みながら、四年の部屋の垢の溜まり方に戦慄を覚えた。なんでここまでなにも処分しようと思わなかったかなぁと。あまりに辛くて「断捨離 画像」で検索して、洗練された部屋に夢を見た。持たざる美しさを知った。ほんと、全然引っ越す気ない人も、年1は自分の部屋や家を見直した方がいい。今年使わなかったものは来年も使いません。間違いない。ちゃちゃっと捨てて後で必要になったら買えばいいのよ。働こうじゃないの。


一昨日昨日今日と、札幌で過ごした。それは家系ラーメンのごとく、パルテノのごとく濃厚な二泊三日だった。たった二泊三日。それだけのことでも、自分の中で垢というか、整理しなきゃいけないことが山積している。

時系列をなぞるだけなら簡単なんだ。ほぼ親戚の親戚がマスターのレストランで飯を食い、ほぼ親戚宅に場所を移して飲み、翌日余市のウイスキー工場行ってマッサンして、帰ってきてウイスキーを飲み、夜には知人2人と会い、夜遅く朝早い時間にこそこそ帰って寝て、今日、友人2人とご飯食べ、実家へのバスに今いると。

結構長かった。

それぞれの中で何かしら考えたこととか感じたこととかあるのに、ほっとくと確実にゴミになる。引越し準備でどれだけのゴミが生まれたか。彼らも元は立派なお役立ち品だったはずなのに。

物としてのゴミはゴミとして残るけど、思い出とか勉強の果てに生まれたゴミは知らないうちに脳みそが処分してくれちゃう。ありがたいようで、迷惑なようで。どうにかして留めたいのだけれども、面倒くさくなる。

せっかく書くの好きでブログなんか始めてるから盛大に利用してやりたいのは山々なんだ。ただ、ものぐさスピリットが邪魔をする。


1人旅行中は移動時間で黙々と直前まで起こった出来事を整理できていたからよかった。自分の興味のみで動いていたのもあって、すごくまとめやすかったし。しかしグアムしかり、この度しかり、ファニーの中にインタレストが見え隠れする系の楽しみを逐一まとめることは難しい。時間的にも、同行者的にも。


ゴミはゴミになった直後に、思い出は思い出になった直後に、鉄は熱くなった直後にアクションを起こさないとどうにもならなくなるぜ。

教訓をなんとなく噛みしめるバスの中。余市で学んだウイスキーの知識やマスコミに従事し続けている2人から感じた時事へのアンテナの張り方・考え方、なんやかんや馬鹿になれる友人や頼れる人の存在が大きな財産なんですねって平たい感想をなるたけ忘れないようにしようと思う。書き綴る熱意はない。