徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

幸せな幕切れ

卒業です。

始まったものには等しく終わりが来るわけで、学生生活も始まってしまったからには終わりが来る。イッツトゥデイ。桜が咲いてうらうららな中で卒業するのが日本の卒業に対する原風景だし、そこには惜別と感謝の涙ないしは笑顔がある。これも原風景。でも微笑ましい卒業だけが卒業じゃない。もっとずっと鬱々とした、虚しい卒業もきっと存在する。

人生のような、あまりに大きくて人間のコントロールに負えないものの始まりと終わりは、自分でどうすることもできない。どんな真っ当な人生を生きていたとしても、不意な事故で亡くなってしまうことも大いにあり得てしまう。けれど、人間が始めようと思って始められる程度の、そこまで壮大ではない物事の終わりは、それに対する態度と思い入れ次第でいくらでも変えられる。最後、鬱々とするかしないかの舵はの大部分は自分が握っている。卒業を前にして思う。

 

昨日は部の後輩から送り出された。

昨日の会はすごく良かった。言葉をこねくり回したりするのが勿体無いほどに良かった。正直、大学の陸上で結果を残すことは何一つ出来なかった。いろいろ思うところはあるけれど、もうここは言い切ってしまおう。出来なかった。無念の塊だ。

だけれど、無念を無念だと感じらるだけの努力は間違いなくやった。あの日サボらなかったら…みたいな怠惰な後悔は何一つない。だから悔しがる資格は持っているはずだし、ダメでしたって胸を張って言える。

そんな姿は誰かが見てくれている。見せたくなくても見られている。それが人望に繋がるし、信頼を生む。

結果を残していない先輩に対してあんなにも後輩が賑やかに送り出してくれたのは、ちゃんと真面目にやっていた前提で、色々と話したり声かけたりしたからなんだろうなと思う。

どうやら結果と信頼ってのは直結しているようで少しだけずれているみたいだ。結果はでなくとも、結果も信頼の隙間にほんの少しだけでも入ることができたなら、それを終わりまで全うできたなら、幸せな卒業が待っているに違いない。

こんな幸せな気持ちはなかなかない。四年後相当幸せな気分で送り出されてるよあなたって四年前の自分に教えてやりたい。信じないだろうなきっと。

 

いよいよ学業の方で送り出されてくるわけですが、今日のおしまいあたりにどんな気持ちになっているかできっと学業全般としてどうだったかがわかると思う。

2夜連続の幸せナイトを祈念する。


書きためです。幸せナイトになってます。