徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ゆっくりすることの大切さ

特にせわしない日々を送っていたここ最近。極めて事務的な作業とはいえ、事務的だからこそ機械的に動いてしまう節もあり、終わってみてこれだけの作業を終わらせたって達成感わ得られてもそれ以上の成長は見込めない日々を過ごしていた。成長を求めてなんかはいないのだがしかし、物事を考えることをしないでも、段取りのところだけしっかり決めてしまえば、あとは体力と時計に任せて回し車の上を駆けずり回れば済んでしまうのがどうも面白くない。

難しいこと言ってるけど、結局は、バタバタしていた。さらにひとりの時間が極端に少ない。人生史上一人時間最短月間と週間だったんじゃないかと思う。ここまで誰かと一緒にずっといると一人でいるのがやたらめったら寂しくなってしゃあない。まぁそれはいい。

一人でいるときの時間の中で、何かを考えることが多い。それはもう人生に何一つかかわってこないことを考える。

ドラえもんの道具で有名なもので、ビッグライトがある。ライトを当てたらあてたものが大きくなる。犬に当てて乗れるようにしちゃうよ!みたいな使い方をする代物なのだが。ライトは光だ。放射状に散っていく。ビッグライトの光がモノを大きくする作用のある光なんだったら、あたったものすべてのサイズが大きくならないとおかしい。犬を大きくしようとして当てて、犬が大きくなるのはいいのだが、その背景にあるはずの床とか、壁とか、地面とかが大きくならない理屈はないと思うのだな。仮に床にもライトの光が当たったとしよう。その床は大きくなるとどうなるのか。せりあがってくるのか。膨れ上がるのか。どっちにしろ周りの床にかかる負荷が大きくなるには違いない。床が破断してしまう。まずいだろう。不良品か。

んなことをずっと考える。特別くだらない例だけど、まぁ五十歩五十一歩なことを考えてる。

 

しかしこれがものすごく精神衛生上いいのですね。バタバタして半分サイボーグみたいなことして改めて気が付いたわけで。いつだったか周辺視野がどうしても美しく見えて仕方ないということを書いたことがあった。それと一緒なんだろな。周辺もなにも、無関係なことを知る楽しさ。考える無駄さ。贅沢に時間を使っている感じがたまらない。

 

二日酔いと当日の記憶の外の嘔吐という人身事故で乱れた胃袋も正常ダイヤに戻り、空腹を普通に感じてくれるようになった。胃袋がちゃんとしてくれたらそれだけっでいいと思っていた昨日が嘘のように、今猛烈に暇な時間ががっぽり欲しいとか思ってしまっている。愚かなものよ人間。欲深きものよ人間。

久々の一人の夜に戸惑う就職半歩手前でした。