徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

労働みそかにお花見を

桜は綺麗だ。示し合わせたように咲いてくれるからそれは綺麗だ。快晴の空に薄ピンクの花。なんていうコントラスト。春ですか。春ですね。

桜並木にはイチョウ並木にはない何かがある。スピリチュアルでインビジブルなパワーだ。じゃなきゃ人がこんなに集まりはしないだろう。並ぶレジャーシートに座る人。空が青とピンクで統一されているというのに地面は銀だ青だ赤だ緑だエキセントリックな色使い。ツバメたちはこんなぐちゃぐちゃな色の中に地上の星を見つけるんだろうか。みゆきに問いたい。


さぁ、そうです、花見です。

穏やかな先勝の日。午前中から場所取りしまくる我々パーリーピーポーに暦は微笑むに違いない。場所さえとってしまえばあとはこっちのもんなんだ。のんびりしていい。のんびりできる。

引っ越しから、いや、その前の旅行ラッシュからから、考えてみれば心より休まることは無かった気がする。家と役所を往復したり、家とショッピングモールを往復したり、日本とグアムを往復したり。よくやったもんだ。褒めてやりたい。きっとこの陽気とこの満開の桜は神様からのプレゼントなんでしょうね。僕だけじゃなく、きっとたくさんの東京都民の行いが良かったんだろう。じゃなきゃこんな素敵な日が訪れるはずもないもんね。


暖かいからか、どんどん桜が散って行く。それも綺麗。花吹雪ですよ。ええ。綺麗は綺麗でいいんだけれど、散った桜はもう息絶えてしまっているわけで。死んでしまった瞬間の桜が美しいとはなんとも。果たして私は社会の強風にどこまでしがみつき、どこまで飛ばされないでいられるのでしょうか。散ったときにも、誰かを楽しませられるような、そんな散り方をしたいものです。

しかし、ひとまずは散らない枯れない松みたいな人間を目指して行こうと思う。過度な期待も過度な不安もそういうのは止して、与えられたものから芽生える感情をそのまま受け入れて行きたい。


穏やかに漕ぎ出せそうでよかった。