徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

サンデーSUNDAY日曜日

日曜日です。ユダヤの方の神様がちょちょいと世界をお作りなすったときに、あー疲れた今日は休むわっつってのんびりした日。日曜日。

神が休んだんだったらしゃあないよね!休むしかないよね!一律普通の学生企業人共々お休みを決め込む。学んでばかり、働いてばかりはいられないのだ。機械だってなんだって使い続ければ壊れる。ほどほど休ませることこそ重要なのだ。


さて日曜日。

子供の頃、土曜日曜は近所の公園で友達としこたま遊んで夕暮れを迎え、家族でご飯という幸せを具現化したような一日を過ごせばそれでよかった。幸せを幸せと感じないほどに幸せの真っ只中にいられた。

ある程度大人になって、近所の公園に1人で行っても不審者にしかなれない年頃になって、日曜日の過ごし方を考えるようになる。きっとみんなそうだ。

昼過ぎまで睡眠を貪るも一興、金曜の夜からガチンコフルパワーで遊びに出かけてワイワイがやがやするのも一興。ある程度のお金があれば幾つかのバリエーションが生まれる。どう過ごせど日曜日は24時間しかなく、その日曜日は2度と帰ってこない。一回限りのサンデーだ。


日曜日を日曜日足らしめるものは、なにを差し置いても明日からまた平日がやってくる切迫感だろう。5日間は机にしがみつかねば、サービスを提供し続けなければ、物を作り続けなければならない。プレッシャーが凄い。サザエさん症候群なんて物騒なシンドロームが出てくる程度には、日曜日の夜は物憂げなものらしい。

つまりだ、日曜日の次が月曜日である以上、どう日曜日を過ごそうと後悔が残るシステムになっているのではないだろうか。動けば動いたで明日からも動かなきゃならない。休めば休んだで面白いことすればよかった。日曜日はバッドエンドにしか辿り着けない仕組みになっているひどいシュミレーションゲームなのだ。

そのためか知らないが週休二日制なんてことになって、土曜も休んじまえって思い切ったことをしているが、前段を忘れてはならない。ユダヤの神が休んだのが日曜日である。神が休む前に最後に行なったのが、人間の創造だ。神は土からアダムを作り、アダムだけじゃ寂しいべさってアダムの肋骨をぶち抜いてそっからイブを作った。とんでもヒストリーだ。

日取りから考えよう。日曜の前日に人間を作ったのなら土曜日に人間を作ったこととなる。我々がのうのうといま休んでいる土曜日に我々が作られたことになっているのだ。なんて罰当たりなんだ。人間よ。神は激おこだぞきっと。


はて、日曜日である。

どう過ごそうかなとか、休めばよかったとか、遊べばよかったとか、悩むでしょうが、悩まないで済む唯一の方法は働くことです。さあ働け諸君。後悔は先に立たないぞ。後悔は後悔にしかならんぞ。働くのだぁ。