徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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なぜブログを書くのか

我思う故に我あり。デカルトがあらゆるものを疑いきった結果たどり着いた、世界唯一の確かなことだ。なぜ生きるのか、なぜいま生きているのか。とびきり頭のいい人はそうしたところにどうしても目が行ってしまうらしい。数学や化学や物理をしながら、哲学に勤しんだ偉大すぎる先人たち。

そんな先人の頭脳が山の頂上としたら、すそ野くらいの位置にいる我々一般庶民。でも哲学とか気になっちゃうよね。なっちゃいます。何かといろいろな意味を探してしまいます。

壮大な何かをぼーっと物事を考えるとき、頭の中で独り言が流れるのはきっと大半の人がわかってくれるのではないかと思う。コナンだってそうだ。そうか…!そうだったのか…!犯人は間違いない!あの人だ…!の顔にたどり着くまでに彼は延々脳内独り言をつぶやきまくる。

大体その場の悶々のみで、考えもまとまらずに流れていく哲学が多い。でもそれって勿体無くはないかと。実は世界の深淵にエッチスケッチワンタッチしてんじゃないかと。もしもの時のために書き留めておこうと。で、ブログってものが使えたりするのだ。

そもそも日記だけだったら勝手につけてりゃいいものを、わざわざ声を大にして言うってのは何らかの思想がそこに絡む。モチベーションを保つためにインターネットにあげるって言い訳もまま聞くが、なんやかんやで主張したいに過ぎない。そういう人も。日々を主張したいのだ。

 

物事を考えるのにブログを使っているユーザーの手法のなかで、日々の何でもないことから頑張って哲学する手口は割と常用手段だと思う。そうでもしないと日々ブログを書き続けられない。哲学っつってもライフハックみたいな、便利さをガンガンに押し出す実学的哲学もあれば、政治や環境、地方についての考えを語るビジネスライクな哲学もある。なんにしろ毎日の雑務雑事から考え方を発信するのがブログだし、発信したいのがブロガーだ。

中には度々書く系肩肘リラックスなスタンスで取り組んでいる人から、毎日執筆するやる気満々マンもいる。縁あって自分も満々マンになってしまっているのだが。

毎日書くのは結構大変だ。何より何かを発信したい。しなきゃいけないって思っているから、余計大変なのだ。必然的に、考える時間が必要になる。物事をまとめる時間が必要になる。しかし暇な日ばかりでもなければ暇な人間ばかりでもない。書けない。そんな日がいつか来る。

 

つまり何が言いたいかって、ブログってのは、日々の充実度に反比例する形で成り立っている気がしてならないのだ。充実すればするほど書くことは増えるようで、考えることは減る。楽しさや忙しさや辛さはたまるものの、過食の結果消化ができない。

前もインターネットについての記事で同じようなこと書いたけど、ブログにしても近い性質を持ったものだ。例に漏れない。

 

こんな文章も毎日書いていく中で一生懸命何かこうかなって探して書いたりしている。皇居ランを休まず行っている人が大雪の日でもお構いなしに走りに行く気持ちがわかる。走り出したら止まれない。連続を止めたくない。

日々の物事を文章にする胃酸を酸っぱくし続けます。まだしばらくは続く。