徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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BGMとBGM

聖徳太子は7人だか10人だかの主張を一度に聞いて丁寧に返答なさったとされる。幼い頃はこの凄さがわかっていなかった。リフティング100回とか、120キロの球を投げるとか、そっちの方が余程到達できない領域のような気がしていた。

実際やってみると聖徳太子の底なし天才加減がわかる。むしろ天才とか才能云々の問題ではない。そもそも耳からの情報を処理する脳みそが数倍の容量があったとしか思えない。生物学的隔たりを感じる。


電車の中で最近本を読むことにしている。地下が多いため、携帯は自然の摂理に逆らい封印し、読書に勤しむ。今は司馬遼太郎のエッセイを読んでいる。日本史の予備知識が受験以来錆び付いている中でどこまで理解できるか勝負を毎朝毎晩挑んでいる。

その読書中、度々音楽を聴く。曲目は日によるがしかし、聴くことは比較的多い。今日も聴いていた。我が青春のBUMP先生を聴いていた。がしかしこれね、どちらも並行して把握するのなんて無理なわけですよ。

10対0か0対10でどちらかしか把握できない。あーいい歌って思ってるときは字が上滑りするし、日本史的観点からみる足利尊氏のなんたるかをふむふむと読んでいると気がついたら曲が終わっている。最悪なのが行ったり来たりパターンだ。一つの章、一曲、どちらかの区切りが来ることもなく、二つの狭間で意識が行ったり来たりすると、まとまった情報がなに一つ入らないまま目的の駅に着いてしまう。

しかもだ、もっと酷くなると読みながら聴きながら頭の中では全然違うことを考えてる場合もある。逆聖徳太子である。なにひとつ受け止められない。

結局不器用な人間は、一個一個片を付けるしかないようで。欲張ることは何も得ないのと同義だと、電車の中で気付かせてもらいました。


そういえばアニメ大好きな友人が毎クールアニメを可能な限りチェックしたいからってiPadiPhoneで同時に二つのアニメを視聴するってプチ聖徳太子をやっていたなぁ。彼は今どうしているだろうか。あの能力を遺憾無く発揮できているだろうか。




ちなみにタイトルのBGMはバックグラウンドミュージックとバックグラウンドムービングの意でした。言葉遊び。

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