徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

不安ニステルローイ

不安は敵だ。この感情があるせいでどれだけの生活の質が損なわれることか。どれだけの無駄な血と涙が流れることか。心配もそうだ。人を思う心配、我が身への心配。心を配りすぎて結果なにも心が残らない状態に陥ることも大いに考えられる。

比較的心配性で生きてきた。不安に思う物事もままある。いや、多い。それでも生活に決定的な不具合を起こすほどのものではなくて、ふと頭をよぎってしばらくおよよあわあわする程度のものだ。小さい頃は本当にこの気が強くて、給食で好きじゃない献立が出てくる3日前くらいにプチ発狂を起こしたこともある。


あるとき気がついたのだな。これは生きにくいぞと。それから割とおおらかな人間を演じて、なんとかなるさマンになろうと努力をした結果、そこそこ取り繕えるようになったけれど、本質はなんら変わっていない。内心の波風の立ち方は変わっていない。


本当に重度の心配性の人ってどうやって生きてんだろうかと思う。性格や気質から生きづらいを抱えるしんどさは想像を絶する。自分がいる限り自分の首を絞め続けることになるから。とんでもないことだ。

嘘でも繕いながら平気を押し通す愚かさも大切なんだろうなと思う。大抵なんとかなるらしい。世の中。そうは思えなくともそうらしい。

給食多少残すくらいで気にするなよって、全小学生に告げたい。なんとかなるよって。