徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

いつでもいいは面倒くさいを呼び込んで結局なんもしない

面倒くさいが世界から消えたらどれだけの効率の世の中になるだろうか。世界からだと差が生まれないか。自分から面倒くさいがなくなったら、どれだけスーパーマンになれるのだろうか。
面倒くさいで山積みになることは割とたくさんある。洗濯、掃除、食器洗いを始めとした家事的なものから、いつやってもいいけど絶対にやらなきゃいけない事務的なことまで。よりどりみどりだ。

例えば、いま冷蔵庫の中には賞味期限が確実に過ぎた惣菜が鎮座している。捨てればいい。即刻ポイして然るべき代物だ。がしかし、捨てない。賞味期限過ぎた段階で、そいつに触れるのが面倒くさくなる。結局腐らせる。
ガス料金とかも、いつ振り込んでもいいから後回しになる。面倒くさいから。

そう考えたら、いつやるか、今でしょのあのやりとりは、人の悪習を見事に矯正に導いていると言える。今やらない奴に次はない。今日を生きない奴に明日はない。頭ではわかるんだけどね、なかなか実行に移すのは難しい。
後回しにしてその間にものすごく有益な行動をしているのかと言ったら、全くそんなことはなくて、優先順位の最後尾に位置するような雑事をしているのだから救いがない。

往々にして、カツカツで生きていた方が張りが出るし、気合が入る。今やらなきゃならないことがそこそこに積まれていた方が頑張るのだ。段取りをメモとかに書いてざざーっと終わらせて行く快感を覚えたらそれはそれで楽しい。今日も1日動いたなって満足感を得られる。
切羽詰まることなく、いつでもいいことを律してこなしていくだけの俊敏さが欲しいです。律せる心が欲しいです。