徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

写真の顔が同じなのをなんとかしたい

写真とられるときの顔を変幻自在に変えられ、かつ、どれもそれなりに見える一般人なぞいるのか。卒業シーズンに散々写真撮ったがしかし、いいとこ5パターンくらいの顔しか作れなかった。

撮る写真撮る写真、見る度見る度同じ顔だ。飽きる。自分が何より飽きるから、人にも退屈させてんじゃないかなんてことも考え出す。全然人は自分の顔なんて気にしてないのにね。嫌な性分である。

面白い顔がしたい。だけど毎写真ぶっ崩れた顔をしてたら、みんなにその顔で記憶されてしまいかねないからちょっと気が引ける。キメ顔で撮ってもいいのだろうけど余計そんな性分じゃないのと、キメ顔を模索するプロセスが恥ずかしすぎてよろしくない。


写真撮る度に同じ顔ということはだ、普段の表情も割と同じ顔のコピペを続けていることとなる。これって良くないよね。絶対良くない。

逆に表情が多様ということは大概いいことだ。西田敏行とか、なんか愛らしい雰囲気が漂うのは表情が多様だからだろう。家政婦のミタですは表情バリエーションが恐ろしく少なかったからあの不気味さだった。

もっと色々なニコニコや色々なしょんぼり、キリッを身につけたいものだ。どの顔も自分らしいと言えるような、そんな表情がいい。

顔トレも厭わんぜ。クーピーくらいの表情を持った上で、今後のフォトられライフを彩りたいです。