徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

台風の目と排気口より、言葉遊び

台風の目はビジュアル的に納得せざるを得ないところがある。台風の目を否定してしまったら目玉焼きは存在しえない。目玉焼きの片割れの目が台風の目なのではないかとすら思える。それほどまでに美しい目玉をしている。強風豪雨が襲いかかる台風であればあるほど美しい目玉であるあたりにも、美学を感じる。

排気口は吐く前提で口を使っているのがちょっと気に食わないが、出入口が存在するがために排気口でもまぁいいかと思える。出も入りも口なのだ。だったら吐き出す場所も口で相違ない。変にリアルに排気肛なんて書かれた日には換気扇絶対回したくなくなる。世の中の風紀を保つためにも、排気口は排気口でなくてはならない。

 

だがよ、パンの耳って何よ。あれただの縁じゃないの。耳でいいのか。耳ってそこまで瀬戸際パーツだったのか。確かに芳一がちぎられてしまうのは耳だ。じゃあ耳なし芳一を二名用意して間にハムとレタスとチーズを挟んだらサンドイッチになるのか。ならないだろう。サンドホウイッチになるだけだ。いや、サンドホウイッチになるかすら怪しい。

どっかの広告会社のグループディスカッションとかで、パンの耳の新しい呼称を考えてくださいってお題を是非出してほしい。広告業界を見定める優秀なアイディア学生たちの必至と英知を結集したパンの耳の新呼称を世に広めてほしい。

眠い頭をどんなに回転させてもいい案は浮かばない。耳は嫌だけど擬人ではあってほしい。爪とかか。角質感出ていいんじゃないか。まぁいいや。ほんとどうでもいいや。

 

早くカリカリのパンの耳がおいしく食べられるようになりたい。