徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

MENU

2010年夏の思い出

今週のお題「私がアツくなる瞬間」

 

お題が、アツくなる瞬間ということで。

最近そう心が震えることはない。そりゃ小さな山や谷はあるにしろ、酸素が薄くなっちゃうほどの山はないかなぁと感じる。

興奮とかの感情には、能動と受動があるように思う。受動の興奮は音楽聴いたりとか映画観たりとかで手ごろに感じられるものの、能動の興奮に比べるとアツくなるレベルが低い気がする。対して能動の興奮は、一定のアクティビティ(努力とか)を求められるものの、その対価は大きい。

そういう意味で、今まで感じたアツい情ランキングをぼやーっと考えてみると、大体は陸上やらバンドやらピアノやら、場合によっては学園祭とか体育祭とかで埋められている。

でも頂点を取っているのはやはり陸上でしかない。

 

2010年の夏はきっと一生特別な記憶として残り続けることになると思う。

自分と言う人間がどこまで頑張れる人間なのかが把握できた夏であり、酷く傲慢な勘違いをさせてくれた夏でもある。美談にもなれば、冗談にもなりえる。

自分語りはあまり美しくないことだと承知しつつ、せっかくの機会だからアツくなった瞬間ということで書いていきたい。程よくその夏から離れたから許されるでしょうと。

 

2009年に、北海道の高校陸上界というものすごく狭い世界で出世をした。一番になった。それだけでもしがない高校生に有能感を抱かせてくれるには十分だった。家族と、顧問と、2010年の展望について語り合った。全国で決勝に残りたい。夢じゃない。本気で思っていたし、やりようによれば何とかなる立場にいたとは思う。

その頃何のめぐりあわせか北海道のラジオ局に高校生アスリートとして取り上げてもらい、高校三年生の夏まで取材を受けることとなった。これほどまでに有能感と承認欲求が満たされることはなかった。そもそもの目立ちたがりが、懐中電灯程度でもスポットライトを当てられたのだ。有頂天だ。

ラジオにも夢を語った。高校生だから許されたであろう大言壮語を吐き散らしまくった。謙虚なフリのオブラートに包みながら野心だらけだった。

小さな故障はありながらも2010年はまずまずの滑り出しだった。春先の記録としては、本当に全国で両手両足の中に入る程度の記録で、冬が長くて調整が遅れる北海道でこの記録ならいけると、鼻息を荒くした。

そんな中、6月6日の練習で、大きなけがをする。ザ・不慮の事故で、両足首の靭帯を痛めた。特に左足の損傷が酷くて、全治三か月と言われた。

北海道大会にも出られない。いともたやすく全国決勝の野望は散った。

ただここで当時抱いていた有能感と自分は特別な人間だ感がうまく作用する。こんなところで終わる選手じゃない、治せる怪我だ。国体の予選が8月の21日にあった。勝てば道の代表として国体に出られる。

そこに合わせる。決意をした。

6月6日の時点で車いすに乗っている人間が2か月ちょっとで走れるのかと。けれど当時の自分は頑なに走れると信じていた。何しろ自分は勝たなきゃいけない選手だから。自分をプロデュースする力が溢れていた。

馬鹿みたいに真面目にリハビリに取り組んだ。幸い手術はいらないと診断されたから、6月の7日から毎日病院に通ってリハビリを受けた。理学療法士のお兄さんとマンツーマンで治療する日々。みるみる良くなって一旦止まって、良くなって止まっての繰り返し。痛くても辛くてもモチベーションが高かったからなんでもやった。7月の半ばにはジョグ程度ができるようになって、8月に入ってスパイクを履いた。

頭の中には復活のヒーロー像をひたすらに描いていた。国体の予選で勝ったら格好いい。本当のヒーローだ。ヒーローになりたい、格好良くなりたい。走りたいも勝ちたいも、すべては功名心によって突き動かされていた。

ただ体はそうは簡単に戻らなかった。体力も落ちていたし、走力も落ちていた。8月も中ごろを過ぎても、全然体調が上がってこなかった。大会に出るからには勝ちたい。勝てなきゃ出場する意味がない。裏腹に上がらない調子。信じるしかなかった。自分と練習と顧問とを信じて祈るしかなかった。

8月19日、大会の前々日。突如として調子が上向く。信じられないほどに体が軽くなり、足の腫れと痛みも引いた。これなら勝てる。国体にでられる。やっぱり俺は並の選手じゃなかったんだ。頭の中で描いた台本の通りにやっと進みだした。それまでの不安やら何やらが全部自信に引っくり返った。

 

8月21日。決勝に行くまでに予選と準決勝があった。予選は難なく、準決勝は難だらけだったが、無事に決勝にコマを進めた。

準決勝の走りからして、勝つのは厳しいだろうと思った。自分でもそう思った。調子がいくら上向いたとはいえ、走っていない数か月がそこには横たわっているわけで。その間びゅんびゅん走っていた連中との差を感じるレースだった。

でも虚勢を張り続けた。絶対勝つ。絶対勝てる。

栄光の架け橋を頭の中でエンドレスリピートさせながら決勝のレースを待った。

 

決勝のレース。2010年8月21日のこのレースは、記憶から離れることはないだろう。年を食ってぼけてちょっと前の事がわからなくなっても、きっとこのレースの事は喋り続けるだろうと思う。

最初っからぶっ飛ばした。後先考えるより、光れるうちに光っておけ、離せるうちに離しておけの先行逃げ切り箒星をかました。種目がらトラックを一周するのだが、通過する先の観客全員が誰もが自分の名前を叫んでいるようで、何も聞こえないような、不思議な感覚だった。 

最終コーナーを回って、自分がいない北海道大会で勝った後輩との一騎打ちになった。それまで二回全道規模の大会で勝っていたのだが、どれも最後まで競り合った末に勝っていた。また今回もこんなレース展開かぁ…って走りながら思った記憶がある。

勝てるとも負けるとも思わなかった。体が動くとも動かないとも思わなかった。次の瞬間には後輩に突き放されていた。

最後の最後まで競って負けた。正真正銘の夏が終わった。

レベルが高かろうと低かろうと、競り合いのレースは面白い。見ている方が何より面白い。会場が沸いていた。通り過ぎた景色の全員が拍手をしてくれている気がした。

 

今でも鮮明に思い出す。走っている間の景色と、走り終わった後の会場の景色。夜中に思い出すと眠れなくなる。安眠妨害メモリーとしては特A級の役割を担ってくれている。

アスリートをやる上で、どこかで自分は特別だと思わなきゃいけない瞬間がある。僕の場合はそれをこじらせすぎた。敗北の成功体験を大切にしすぎた。それがのちの失敗につながったと思う。これ以上に熱い瞬間を作れた可能性を潰した点では残念だけれど、この経験が残したことはプラスの面でも大きい。手抜きなしの、本当の努力をしてぶつかって砕ける経験なんて中々できたもんじゃない。

一呼吸置いた今だからこそ、正も負も込みでやっと見つめられる気がしたので書いた。残念なことに、書いている間に今週のお題が先週のお題になってしまったようで、この記事を上げる意味もへったくれもサヨウナラしてしまったのだが、せっかく書いたから上げます。

梅雨入りが目の前です。