徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

スマホサーファー

昨日、会社に携帯電話を忘れて行った。自宅のコンセントに繋がれたまま、気づかれないバイブレーションを繰り返す羽目になった携帯にごめんなさいを言いたい。

置き去り電話をよそに、なんでもない日常を過ごしたわけだ。現代社会の社会人として携帯を忘れるというのはなかなかの失態だろうが、いち人間としては、これほど充実することはなかった。

特に休憩中である。

昼飯を含めた休憩時間、まるでお仕事かのようにスマホをいじくりまわすのが最近の傾向だったのだが、どうやったっていじくりまわしようない環境に追い込むと、普段溜まっていた課題やら書類やらを片付ける気がふつふつと湧いて来る。実際昨日の休憩時間だけで、日頃の垢とも言える先延ばしの諸々をクリーンアップした。スッキリ。


携帯電話というだけに携帯しないとその役割を果たせないわりに、電話としての機能を遥かに越える力をもってしまったが故の混乱を与えている携帯電話。電話でしかなかったらこんなに悩ませることはなかったろう。もはやゲームボーイと週刊誌に電話がふっついた代物になっている。

日々どれだけの時間をこいつに割かれているか。持たずして感じた勿体無い感。けれども、ちょっと空いた時間のファーストチョイスから押し出されることはまずないであろう。代打の神様かと。

こうして駄文執筆するにもスマホだ。逃れられない。G線状にはアリアがあるようにわアクティブの延長線上に必ずこいつは現れる。多分乗りこなせる日は来ない。破滅も歓喜も共にするであろうな。

こないだラジオでサーファーのお兄さんが、飲まれ気味の波の方がビッグトリックができるって言ってた。その言葉を信じて、スマホに飲まれ気味ならではの美しさを求めて行きたい。

溺れはしない。