徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

これからピアノを始める人へ

本日いろいろありまして。本当にいろいろあった末にピアノのことしか頭に残ってないのでピアノについて書く。


これからピアノを始めようとするあなたへ。無趣味人間が氾濫しているこの頃だ。ピアノの一つでも弾けたらなと思う人は多いだろう。ぜひそんな人に読んでもらいたい。


ピアノを弾くには努力が必要だ。当たり前だけれどこれを忘れてはいけない。

その昔、クラシックだったがピアノを習っていた頃、先生に決して弾こうとしている曲のCDを聴くなと言われていた。完成系に何も弾けない頃から寄せようとすると、ヘロヘロの弾き方になってしまう。弾けもしないテンポで弾こうとして挫折をしてしまう。だからこそきちんと楽譜を読んで、一歩一歩段階踏んで弾くべきだと。そういう意味だったのだろうと思う。

これからピアノを始める人は、きっと弾きたい曲があるのだろう。ぼんやりでも、一曲はあるだろう。クラシックなり、ポップスなり、ジャズなり。

その曲を聴くなとはいわないし、楽譜を律儀に追えともいわない。我が師匠の教えは子どもに対する教え方だったわけで、大人がいちいちまどろっこしいことする必要はないと思う。

ただ、自分は自分の予想を遥かに上回るレベルで何も弾けないことを、心に留めておいて欲しい。低く見積もれるだけ見積もって問題ない。その上で、無謀な弾き方をしないで欲しい。ゆっくり、片手ずつ、しっかり音を追って欲しい。

ピアノ、ないしは楽器の、駆け出しの頃の練習は地味極まりない。世の中で聞けるピアノの演奏なんてあれは上澄みのさらに濾過したもので、その演奏のしたにはとてつもない地味な努力がある。クラシックやジャズのような、ほんまもんのテクニックが必要なプレイヤーはもちろん、ピアノじゃんじゃん弾きながら歌う系シンガーでさえ、必ず地味な努力の時期を経て来ている。そこを耐えられるかどうか。全てはそこに懸かっていると言って過言じゃない。

ボートだって漕ぎ出しのオールは重い。そこで加速しっかりできれば乗っていける。だから最初で折れないで欲しい。輝かしいピアノライフはたった最初の数漕ぎ耐えるだけで待っているのだ。耐えない手はない。


そしてつぎ込む努力は、一曲に集中させるべきだと思う。とにかく一曲弾ける曲を作る。いつ何時ピアノ弾いてとねだられても弾ける曲を作るのだ。何よりの自信につながる。

色々な曲に目移りするのもわかるが、半端が寄り集まっても一曲にはならない。形をなさない。

経験からして、たくさん中途半端に弾けるより、一曲の完璧の方が満足は大きい。個人的にもそういう曲が増やせれば良かったが、如何せん練習が嫌いで増やせなかった。偉そうな口を何も叩けない人間だ。だからこそわかる。完璧を増やした方が受けがいい。間違いない。

最初の一歩をうまく踏み出せたなら、ぜひ一曲に努力をつぎ込んでいただきたい。人に披露できると出来ないとでは張り合いが段違いだから。


何曲か弾けるようになってきたら、一度楽典をかじることをお勧めしたい。楽典とは、曲の成り立ちについての法律のことで、全ての楽曲がその法律の上で存在している。それは太古も現代も西も東も変わらない。

これを学ぶとどうなるかというと、作曲がしやすくなる。

いやそれは興味ないわと。そう思うかもしれない。

でも、もしずっとピアノないしは楽器を通して幾つもの曲に触れるのなら、いつかは曲の法則に気がつくことになるはずだ。

このコード進行多いなとか。この音階の時この左手のメロディー多いなとか。

気づきへの伏線を初期に張っておくのは、無駄なことではないと思う。あまり面白くはないけれど、万が一興味もてたらそれこそ作曲できるようにもなるし。

楽典がどうこうのレベルまで行ったら、きっともう挫折はない。音楽をそこそこ楽しめるレベルで、きっとずっと推移する。

更にうまくなる気があればより励めばいいし、留まって楽しむもいい。そうなれば立派な趣味だ。



大体以上ですかね。

もっと内容を考えてカテゴリーとかに分けたら、データーベースとして機能したかもしれないなぁ。書いてみて思う。

また改めて時間ある時にまとめ直してもいいかもしれない。需要なくとも供給を怠らない献身的なスタイルで、文章を書いていたい。偉そうなことを言っていきたい。


ひとまず、ピアノビギナーたちにエールを送ります。

どうか頑張ってください。音楽は楽しいです。