徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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プロフェッショナル

社会人はみんなプロだ。それらしきことを考えたりすることは誰でもあるだろうし、給料発生している責任を負っている限りはプロフェッショナルでなければならない。プロ意識は高ければ高いほどいいのだろうし、そこまで高く持ち続けるのが難しいのは社会人数か月目で悟った。

けど、理想としては、ストイックにプロとして生きていくのがそれだ。

プロ野球選手、サッカー選手、プロ棋士、ピアニスト、画家。ゲームや芸術に基づいたプロには、当たり前のように努力を求められる。そこに疑問を呈する人は少ない。絶対数の少なさからして、特別な存在として認知されているのか。また、上にあげた職業は憧れが強い分、あきらめも早いように思う。早くに志して、早くに諦める。中学卒業の文集にプロなんちゃら選手と書くには、相当の勇気か実力がないと厳しい。

なんで諦めるのか。実力が、才能が、なんとなく無いなぁって思うからだ。野球好きだけど野球でお金もらえるほどではないなぁ。野球少年たちはいつしかそう思って脱落していく。

話を戻して。誰しもが何らかのプロなのである。現在の社会は。プロというくくりの中では、ゲーム起点のものも芸術起点のものも、土木起点のものも販売も金融も何もかも変わりはしない。社会人がプロであるならば、就職活動が何らかのプロになる活動だ。じゃあなんで途端にそこで興味の赴くままに就活をするかね。今になって思う。

少なくとも、就活初期は、誰もが万能感を持っている。一流企業は無理でも、楽しそうなことはできるかな。やりたいことをやりたいな。そんなことを思う。

んなわけあるかいな。日ハムの一軍は無理でもオリックスの育成枠なら入れるかなって考えるのと一緒だ。相応の実力がなきゃ無理だろう。気が付かないまま就活をしてしまうのは、ものを知らないからだ。というかプロと社会人の繋がりを考えないからだ。社会人の絶対数があまりに多すぎて見失っているのだ。

だからこそ自分の能力を見極めて、アピールしないといけない。野球のスカウトは向こうから来てくれることも多いけれど、社会人のスカウトは向こうからは滅多に来ない。そういう会なのだ。就活は。全大学4年生を対象にした合同トライアウトなのだ。もう、好き嫌いやりたいやりたくないで決められる話じゃない。プロなんちゃら営業やら、プロなんちゃら総務やらの枠が用意される中、自分の戦える舞台を探して戦うのだ。

我々社会人も、決して忘れてはならない。自分が何某かのプロだということ、それに見合った努力をしなければいけないこと。娯楽を生業とするか、娯楽になりえないものを生業とするかの違いでしかないんだ。

 

なにって、プロ意識壊滅的な帰路。電車乗って浅ーく腰かけた自分を向こうの窓に反射してみてしまったがため、気を引き締めるべくのプロ意識。

意識高く、今夜は諸々投げ出して早く寝ます。