徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ごくごく個人的にうまくかけたと思う歌詞をつらつら紹介する。 一応パート1

最近ラジオばかり聞いている。テレビがない我が家の都合上、一人のだんまりを打破してくれるのはラジオしかない。家に帰ったらまずラジオをつける。日課になっている。 

DJのトーク、リスナーからのメールへのレスポンス、ラジオドラマ、そしてDJがかける曲でラジオは構成される。大体がそうだ。中でも曲紹介の意味合いはなかなか大きい。テレビやネットがこんな大事になる前はラジオが音楽の発信地だったし、今でも新曲がいち早く流れる場所はラジオだったりする。

そこで思うことがある。

ラジオから流れる曲を聴いていて、耳ざわりいい曲だなぁとか、好きなメロディーだなぁとか思う。けれどね、けれど、歌詞の内容はまぁ入ってこないのだ。

つい最近、幼稚園からの友達に曲を聴いてもらった。どんなくだらないことでも真剣にレビューしてくれる彼の批評家精神に感服しっきりなのだが、その感想のなかに、「音質が悪くて何言ってるのかわからない。」と言うのがあった。

ラジオですらわからないのだ。相当わからないのだろう。ましてラジオのように公共の電波に乗っているものならまだしも、Youtubeという大海の芥でしかない我がチャンネルである。わざわざ足を運んでもらえる人も少なければ、説明欄に申し訳程度に乗っけている歌詞にまで目を通してくれる人は少ないだろう。

また、音質やレコーディングのテクニックは宅録の限界がある。しかし歌詞は言ってしまえばスーパーポピュラーな人となんら変わらない土俵で戦えるのである。文字だから。

個人的にも歌詞ないし言葉遊びは大好きだ。いいメロディーがかけた時より、歌詞がはまった時の方がドーパミンが出る。

いい機会と思い、歌詞を書いた時系列で、これはうまくかけたなぁと思える歌詞や表現を紹介していきたいと思う。どういった点がうまくかけたと思うのか、共感してもらいたい点はどこか。懇切丁寧押しつけがましく紹介していく。こんなこと考えて歌詞書いてんのかこいつはって思ってもらえると嬉しい。

 

akasuk2

 

高校3年の時に作った曲だ。非常に爽やかなメロディーがかけた。メロディーとしても満足のいく作品である。

高校時代の友人が、同じ高校の後輩と非常に近距離で遠距離恋愛みたいなことをやっていた。毎晩電話してるけど直接は話したことないし、なんか恥ずかしいわコノヤローみたいな。その心情を代弁した曲になる。

なんでもない風景の描写と普通に会って話せたらやってみたいことを羅列した歌詞が続くが、最後のフレーズで

いつまでも僕の中の君は電話の中

と言う歌詞が出てくる。これが言いたかった。

 「中」をうまく使い分けることができたことと、出来れば一緒にいたいがしかし、勇気がでなくて叶わない彼の心のうちをうまく表せたと思う。

 

サヨナラたまご

 

大学一年。アパートの駐輪場でスーパーの袋を落っことして、たまごとヨーグルトが飛び散った曲。悲劇を一生懸命に喜劇にしようとした。

サヨナラたまご 君の命を 無駄にするつもりなんてさらさらなかった

サヨナラヨーグルト 君のお乳を 無駄にするつもりなんてさらさらなかった

ポイントは、君の命と君のお乳で韻が踏めたことだ。たまごとヨーグルトの関係性を言葉レベルでも見せられた。また、たまごという命と、命を育てるお乳。新しい命にまつわるエトセトラを一度に無駄にしてしまった罪悪感をうまく表現できた一節だと思う。

 

G

 

ゴキブリが嫌いな、ただそれだけな曲。

それはG おぞましい

サビである。サビはこれだけである。サビで言いたいことを言う。基本を徹底できたことがよかった。また、Gというこの上ない嫌悪を抱かせてくれる対象と、おぞましいという身の毛もよだつような単語で韻を踏めたのが気持ちよかった。気持ち悪いのに。

 

お洗濯

 

洗濯物と社会の荒波にもまれる戦士たちを重ねあわせた曲。戦士たちに限らず、誰もが共感できるのではないかなことを洗濯物に託せたのはよかった。卑近なものから哲学をしたい気持ちが満たされた。

夢を追ったパステルカラーも 理想を掲げていた純白も 

色あせてくすんでそのうちに みっともないから忘れられていくけど

着崩れた果ての情熱 色移りして浮かぶ言の葉

格好のつかない格好よさとかわかりかけてきたような気がする

しわしわになる洋服、くたびれる洋服。買った時はあんなにぴしぴしだったのに、知らないうちにくたくたになって、色も落ちてきた洋服。

我々の夢とかもそんな感じで、現実知って行くうちにくたびれて、公言するのも恥ずかしくなっちゃうものであるわけで。でも色あせの良さもある。着崩れるほどに働いたという逆説。そんなすべてを認めていこうよと。

そんなことを言いたい。

 

autumn song

祖父の命日に作った曲。若いころは鬼軍曹のような男だったようで、母兄弟を震え上がらせていたらしい。しかしまぁ孫ができ始めてからは丸くなったようで、自分は優しさの塊のような祖父しか知らない。

好きだった嫌いだった全部が美化されて

あの頃に戻りたいだなんてつぶやくでしょう

嘘が本当になる魔法をかけてささやかな今日を笑おう

亡くなった人の話をするとき、亡くなったその地点から離れれば離れるほどその人の思い出は美化される気がある。そうなったらリアルな気持ちはもうわからない。本当に嫌だったのか、実は好きだったのか。現時点で抱く感情が当時から見て嘘みたいなそれでも、時間が洗い流してくれた諸々も含めて本当なんですよと。

あかん自分で書いていてわかんなくなってきた。

 

朝倉さんへ

 

現役時代に非常にお世話になった整骨院の院長先生、朝倉さん。見た目はギャルっぽいが、鋭い親指で筋肉をえぐってくる実力は本物だった。懐かしい。

その彼女の誕生日に日頃の感謝を込めて作った曲。

あなたの親指がつむぐ僕たちの未来

この一言が言いたかった。

筋肉に全体重をかけて押していく朝倉さんの姿は、絹織の作業をしているようにも見えなくもなかった。ちょっと無理があるか。でもなんだ、彼女がいなければ我々の競技も自己ベストもなしえなかった。朝倉さんこそが未来だった。

 

 

これは分量多くなるので、本当にパート2をそのうち書きたいと思う。誰得シリーズの幕開けである。作詞ってどうやるの!どうすれば曲かけるの!なんて質問は随時ドシドシ受け付けております。

センキューフォーリスニング。また来週のこの時間にお会いしましょう。seeユーネクストタイム。