徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

キャッチコピーに思うこと

この間、どっかのメガネメーカーの広告で

太陽は、敵だ。

ってキャッチコピーを見かけた。

イチローがサングラスかけてキリッてしてる上に文字が踊っていた。


その昔、なんとなくコピーライターってものに興味を持った時期があり、広告のことばがどうのという本を何冊か読んだ覚えがある。宣伝会議のうんたらとかいう雑誌をちょろっと眺めたこともある。

傾向として、コピーライターたちはどうも句読点が好きだ。

コピーライター養成講座なんてものもあるくらいだから、そこでなんらかの教育がなされているのかもしれない。句読点をふんだんに活用しろなんてマニュアルがあるのかもしれない。

しかし、句読点が目に付く。

この度見かけた「太陽は、敵だ。」だって、別にそこに句点入れなくてもええんやないか。「太陽は敵だ」じゃダメなのか。一度気になりだすと、もう電車の中吊りから駅構内の広告からOOHから、句読点にしか目がいかない。点と丸こそが全てと言わんばかりだ。


自己啓発の本のタイトルも目に付く。ブログのタイトルにもよくあるあれだ。

「あなたが○○するために必要な、たった○○のこと」

とか

「デキるなんちゃらかんちゃらが行っている、たった○○の習慣」

とか。

右習えかと。そんなタイトルが最早できてないんじゃないかと。なんなら一日に10個くらいのやることを作れば、3つ4つの○○になれるだろう。10個ってすごいけども。


中学の頃、保健委員みたいな役職に就いたことがある。風邪防止のポスターを書かなきゃならなかったのだけど、画力に限界を感じて、A3判の画用紙いっぱいに作文を書いて構内に張り出したことを思い出す。

かわいい風邪菌たちが踊るポスターが並ぶ中、あのポスターは確かに右習えをしていなかった。画力の不足という致し方ない理由があったとしても。

ド田舎の片隅の中学校で右習えをしないのと、大都会のど真ん中の広告で右習えをしないのとを同列に考えるのはまずあり得ない。埃と産業廃棄物を同じゴミとして括ってしまうみたいなものだ。レベルが違いすぎる。

ただ、全然違う文面のコピーが出てきてもいいんでないのかなとは思う。コピーがどんなものか全然知らない人間だからこそ言えることだろう。


頑張れコピーライター達よ。

もとい

頑張れ、コピーライター達よ。