札幌にいました。我がふるさと北見まであと300キロ。近い近いと思い込ませるけれども、道庁所在地はほぼ他県のような場所なわけで。
今回の札幌立ち寄り目的として、この春に遥々北海道へと企業戦士として飛ばされた友人に会いに行く大義があった。
さぞ心細い思いをしているだろう。北海道の夏は遅いだろう。積もる話をしようと思った。
しかし、あえなく、自分の帰郷日連絡ミス(間違えて1日早い日にちで帰ると伝えてしまう)により再開は果たせず。積もる話が全部吹き飛ぶことと相成った。
さて、宿と目的を同時に失ったわけで、どうやって時間と心の空白を埋めようかと思案しながら、方々に連絡を取った結果、高校陸上部の一個上のキャプテンが捕まった。ご飯を食べてきた。
彼は今医大の6年生だ。国家試験と就活に追われているらしい。
国家試験は8割くらい通るし就活も売り手市場だから割となんとかなるんだよねー
ってけろっと言っていたけれど、それでも聞いてみれば1日5,6時間は当たり前に勉強するらしいから、ごくごく一般の感覚とは違う。
いろいろ話して、あぁ、この人は本当によく自分を知っているんだなぁと感じた。
そもそも頭がいい人には違いない。打てば響く能力の持ち主であることも間違いない。ただ、その能力を過不足なく自分で理解して、出来不出来を冷静に受け取れているように感じた。
出来ることにも、出来ないことにも、冷静に向き合うのは難しい。出来ることは誇張したいし、出来ないことからは目を背けたい。誰もが自分を格好良くみせていたいし、誰に見られるわけでなくても自分自身に格好良くしていたい。達観して等身大を見つめるなんて、なかなかできたもんじゃない。
大学選びも、自分の能力にみあっていて、使える制度は使ってきちんと届く所に入ったと言っていた。高校当時から大学6年になるまで続けている陸上でも、今だにベストを更新し続けている。
どちらも自分を知らないと出来ないことだ。自分の足りないところと足りているところを精査しないと出来ない。
極端な話、これから社会で向き合う様々な出来事は、出来るか出来ないかの2択と言ってしまえる。だいたい毎日出来ないことにぶつかる。難しい判断もあるだろうけど、基本的な出来るの数が増えれば知識と経験で対処できたりするらしい。上司が言ってた。
つまり、出来ないことを出来るに変える不断の努力が、働くことだし、人生なのかもしれない。
と考えると、出来ないに向き合って、処方箋を自分に出せる技術は生きる上でものすごく重要なテクニックだ。本質だといっても過言じゃない。
自分が果たしてどうだったか考えてみる。ええかっこしいの性が邪魔してはいなかったろうか。真摯に向き合っていたろうか。
物静かな先輩に、大切なことを教わった気がした。ゆっくり会話のキャッチボールをしながら、教わった気がした。
その夜ドルオタの家に泊まって、うたた寝しながら生産性のあるんだかないんだかわからん会話をしているうちに何を考えてたんだか忘れちゃったけど、一生懸命かき集めて書きました。