徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

義務じゃなく髪を切る楽しさについて

中学高校の校則。髪の毛の規定。大体どこの学校にもあるであろう程度のものだったけれども。眉毛に前髪がかからないように。制服の襟に襟足がかからないように。当時、思春期真っ只中でなんとなく反発したい精神と、ちょっと髪長いほうが格好いいんじゃないかなんて思っていたから、校則がうっとうしかった。イケイケの男子ぃ~~!!みたいな人間では全くなかったけど、うっとうしさは感じていた。

あとそうだ、ワックスも付けちゃダメよと言われていた。つまりはナチュラル短髪のみの奨励だ。

ワックスなんかなくとも、短髪であろうとも格好いいことを、今は知っている。よくよく知っている。だが当時の狭い狭い世界と貧しい情報の中では、ワックスつけたそこそこの長さの髪の毛こそが正義だと思い込んでいた。

だからこそ、髪を切るのが嫌だった。

定期的に身だしなみ検査があって、不断の整えが必要だったわけで、たいていは検査前日くらいに、引っかからないギリギリくらいの髪の毛の長さにしていた。こうやって義務と検査に追われ続ける散髪は、恐ろしく面白くない。宿題と一緒だ。作業になってしまう。

何故もっとはやくがっつり髪の毛を切る選択を選ばなかったろうか。短髪の格好良さに何故もっとはやく気がつかなかったろうか。身だしなみ検査とせめぎあったわずか1年後、美容室で清々しく「本田みたいな髪にしてください!」って頼むというのに、何故あそこまで髪の長さでせめぎあったろうか。

壁を押したら同じ強さで壁から押し返されるように、圧力は必ず反発を生む。もし、どんな髪型でもしちゃってくれてかまわないよーって言われていたら、あれほどまでに中途半端な髪の長さに執着する事もなかっただろう。もっと早く単発の楽さと格好良さ気がついていただろう。

当時の写真を振り返ると、そんな思いに駆られる。何しろ硬い髪質に長さが加わると、ひどく格好悪い。一生懸命ワックスで動かそうとしている様子は見受けられども、動いていない。体のいいオタクのような髪の毛になっている。

気がつかせて、眼を覚ましてやりたかった。

明日、髪を切ってくる。わくわくする。何にも縛られない散髪だ。社会に認められうる髪形と言う縛りはあるが、幸いそこに抵抗しようという気にはならない。大人になったか、腑抜けになったか。

少なくとも、「かみをきる」で変換して、真っ先に「神をキル」と出てくるパソコンよりは、根性座っていない。負けた。