徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

オンリーロンリーグローリーに見る、応援のエッセンス

今朝通勤途中の電車内でいつものようにシャッフルリピートをしていたら、オンリーロンリーグローリーが流れてきた。幾度となく聞いてきたが、やはり良い。ものすごく頑張ろうという気にさせてくれる。BUMPとともに青春を歩いてきたからこその感情だろうか。どうなのだろうか。

とにかくBUMP OF CHICKENが好きだった。いや、好きだ。彼らのための記事をいくつか書いた。あれほど熱心に記事を書いたことはない。夢中になって書いた。それくらいに好きだ。

そんな彼らのアルバムの中で、個人的マスターピースである、ユグドラシル。その二曲目(一曲目はイントロのようなものなので、実質一曲目)がオンリーロンリーグローリー。

 
BUMPOFCHICKEN オンリーロンリーグローリー - YouTube

 

聴いてみてくれてもいい。

どんな曲か。以前書いた記事を引用すると、

世界に一つだけの花的な思想を泥臭いテイストで綴っている。惨めな思いをしたとき、そこから這い上がるときに聴くと震える。

と言う曲らしい。正直何のことやらさっぱりわからないだろう。改めて自分の記事をみて、やっぱりさっぱりわからない。

そこで改めて、オンリーロンリーグローリーを考えると共に、そこから応援されたい側は何を望んでいるのかを考えたい。

 

歌詞を考える

ざざーっと歌詞を引用する。

そしてその身をどうするんだ 本当の孤独に気づいたんだろう

溢れる人の渦の中で 自らに問いかけた言葉

放射状に伸びる足跡 自分だけが歩き出せずにいる

 

死んだ心をどうするんだ 忘れたふりして覚えてんだろう

突き放しても捨ててみても どこまでもついてくるってこと

闇に飲み込まれて 震える身に 朝が迫る

 

置いて行かれた迷子 遅すぎた始まり さあ何を憎めばいい

目隠しをしたのも 耳ふさいだのも すべてその両手

最初からサビ前まで。

それこそ猛烈なロンリー批判な歌詞。人からも置いていかれ、死んだ心と称された夢や希望や理想の残骸からも目をそらし。立ち止まっているのもふさぎ込んでるのも全部自分でやってることだというのに。何をロンリーぶってんだよと。

ロンリーグローリー 最果てから声がする

選ばれなかった名前を呼び続けてる光がある

オンリーグローリー 君だけが貰うトロフィー

特別じゃないその手が触ることを許された光

サビ。

ロンリーの下にこそ輝く、ロンリーを求めている光があり、何も特別じゃない君の手こそ触れる光がある。

最果てと光。この何処とも何とも言わない言葉が、誰しもに心当たりを覚えさせる。遠い場所にでも確かに自分を必要としている何かがある。それだけでがんばれちゃう。

 

全部歌詞書こうと思ったけど長すぎるからやめた

 

応援されたい側が望んでいること

このマイベスト応援ソングオブオールである、オンリーロンリーグローリー。なんでここまで琴線に触れるやら。

歌詞の構成を考えてみるとなんとなく理由がわかる気がする。

ざっくりいうと、歌詞はロンリーパートとオンリーパートの二つに分かれている。一人のさみしさとか悲しさを言及する部分と、ただ一つ、唯一の面に言及する部分。ロンリーがオンリーになっていく過程を追っている歌詞とみることもできるが、どちらにせよ、ロンリーとオンリーが対比と表裏の関係にあるといいたいのは間違いない。

つまり、応援されたい人はロンリーの気持ちを汲み取ってもらったうえで、まだ特別な何かが君にはあると言ってもらった時に、頑張ろうと思うのではないか。ロンリーだけでも、オンリーだけでもダメなのだ。どちらの面もあり、どちらもわかってもらえないと頑張れないのだ。

こうやって書いたら、至極あったりまえのことを言ってるようで恥ずかしい。しかし書かなければわからないことだってある。書いてこそ意を新たにできることだってある。

例えば郵便配達のお兄さんに、

暑いところご苦労様です。頑張ってくださいね。

この一言が言えるか否か。別に応援されたい人があふれる世の中じゃないかもしれない。それはわかってる。だが応援されて嫌な気分になる人が少ないのもこれまた真だろう。

どうせ毎日誰かしらと話すなら、その誰かしらにはいい気分になってもらいたい。頑張ろうって思ってもらいたい。そんな素敵な考えを持つあなた。ぜひBUMP先生に倣ってほしい。

私も明日から気遣おうと思う次第です。