徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

小沢健二から学ぶ、歌。

小沢健二を度々聴く。ウォークマンに入っているアーティストたちの中にあれば間違いなく聴く方に入る。アルバム2.3枚を聴いている程度の好きさでしかないといえばそうなのだが。
大好きで聴き込んで聴き込んでってしてないのに、あーだこーだ言うのはナンセンスかもしれない。けど言おう。小沢健二はあんま歌がうまくない。声質で損をしている部分もあろう。鼻にかかったような、若干の女性性も感じさせる声。しかし素人目にみても、いや、素人耳に聴いても、ピッチがふらふらしている。
楽曲の良さが全てだといえばそうだ。間違いない。

小沢健二の特徴として、リズムに日本語を乗せるのがものすごくうまい。
ドアをノックするのは誰だ?という曲がある。小沢健二曰く、世界一早口なラブソングらしい。世界一は眉唾にしろ、間違いなく早口。しかし普通に聴ける。なぜかって、言葉の響きとリズムとが合っているから。
サビの最後
マーク外す 僕のアーム
君の心の扉を叩くのは いつも僕さって考えてる
という歌詞がある。
「君の心の扉を叩くのは」 この部分が1小節にぶち込まれてるむちゃくちゃを小沢さんはやっているんだけど、拍子の頭で、「こ」「と」「た」と、息をすげー吐く、スピード感ある語を使うことですんなり収めている。元来ある言葉の響きと音を組み合わせるのがめちゃくちゃうまい。
結果として、リズミカルで心地のいい曲が生まれる。

しかし楽曲の良さが全てを補っているとは言わない。小沢健二独特の歌唱、上手い下手を超えた何かがそこにはある。
よく言われるのが、一世を風靡したMay.Jだろう。表記合ってるかわからん。彼女は人気絶頂のころから、ただ上手いだけでどうのこうの…といちゃもんをつけられていた。上手いんだからいいじゃんって思う反面、そういう声もわかるなぁと思っていた。
あれの逆の現象が小沢健二で起きている。上手くないけどすげー好きって人がたくさんいる。
感覚として、小沢健二は若干音の的を外している。それは半音よりちょっと小さいくらいの外し方で、外したと思ったら修正している。
修正できんだから上手いんだよな。で、また、その揺らぎが心地よさを演出している。知ってか知らずか。
銀杏BOYZの峯田も同じ部類だ。下手だけど聴いてしまう。今は亡きフジファブリックの志村もそう。ヘタウマ。

なんか、その席なら狙えんじゃねーかなーって考える。どうひっくり返ったって歌がド上手いスーパーシンガーにはなれはしない。
しかし曲作りを趣味としている以上は、それなりに自分の作品と歌にこれだ!ってものが欲しい。
もっと客観的に自分の歌ってのを見つめてだな、なにか特徴を知って、それを磨いて、擬似小沢状態に持っていければいいなぁと思う。