徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

口癖から面白さを創る

不意に口をついて出る言葉。語尾の癖。言葉のリズム。誰にだって必ずある口癖。

自分の口癖を知っている人は多いだろう。口癖を言う度に、なんともいえないバツの悪さを感じる。また言っちまったよ…って、誰も気がついてないにしろ自分で恥ずかしくなる。

じゃあ自分の口癖が何に由来するものなのかわかっている人はどれくらいいるのだろう。100パーだと思うのだけど、自分発信の口癖って無い。必ず誰かに影響されて口癖は口癖になる。


何年か前、陸上を一生懸命やっていた頃に、函館の連中と一緒に合宿に行った。沖縄だった。10日ほどだったろうか。10日たった後の僕の語尾は、完全に函館ナイズされたものにアップロードされていた。

方言は至極簡単に移る。主に標準語に近い方が、異質なものに飲み込まれる傾向にある。


口癖にしろ、方言にしろ、我がものとして使い出してしまう基準は憧れにあると思う。

いいなぁの気持ち。あんな風になりたい。あんなイントネーション面白い。そんな密やかなジェラシーが口調と言葉選びを誰かに似させる。


クラスの中の面白い奴や、芸人だって例外じゃないはずだ。彼らは彼ら単体で面白いわけではない。彼らなりに周りの人たちの面白いエキスを抽出して、自主編集ののちに、自らの面白さとして世に発信している。そうに違いない。面白い奴にも芸人にもなったことないからわからんけど。


そう考えるとだ、面白い奴は作れるんじゃないだろうかと思い当たる。よく憧れ、人の言葉の端々を捉えて、うまく自分に落とし込む。

アンテナを鍛えて編纂の力を磨けば自ずと面白くなって行くのだ。面白い奴にも芸人にもなったことないからなんとも言えないけど。

この作業が無意識に行える人と、そうじゃない人がいる。そうじゃない人がむしろ大半だろう。

そうじゃない我々が指を咥えて、いいなぁ、面白い奴。ってぼけっとしてるだけじゃどんどんと突き放されて行く。面白さの資本主義の完成である。

努力が必要なのだ。意識して情報収集しなければいけないのだ。

面白くなくていいと思う人もいるだろう。でも面白くないより面白い方がいいに決まっている。爪がある鷹は脳さえあれば爪を隠せるが、爪がなかったら隠しようがない。


面白くなるために、面白い自分でいるために、瞬発的に憧れの面白ワードを出せるようになりたいものだ。口癖として、染みつかせていきたいものだ。