徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

好みってあるよねしゃあないよね

200日くらい毎日ブログを書いていた日々からややしばらく離れて。当時のブログに対する危機感と真面目さは相当なものだったなぁと思う。泥酔して、記憶も飛んで、次の日なかなかの不快感の中目覚めても、知らない間にブログだけは更新されていたりした。無意識で更新しているのである。恐ろしい。
1度連投記録が途絶えた後、2週間くらいは続くけど、また記録を狙おうなんてことは思わなくなった。もうできないだろう。
それでも週5から6では書いている。ゆとり世代なんのそのだ。ブログだけは高度成長期のそれを忘れずに書き続けている。

1年前まではブログどころじゃない頻度で走っていた。まぁ週5なんて当たり前だ。毎日ってことはなかったが、週休2日から1日でヘビーローテーションしていた。当たり前のごとく走っていた。
やや1年前に、引退と言う形で10年にも及ぶ連走記録を自ら止めたわけだが。
その後の体たらくはひどい。
小さな小さな走りたい波はあるものの、基本的に運動は駅構内と社内の階段昇降がメインだ。時間を作ってまで走ろうと思うことは凄く少ない。階段だけはキレのある動きを意識しているが。

ギターは毎日弾いている。家にいて弾かない日はない。なんの義務でもなく、勝手に手が伸びては勝手にペコペコ弾く。技術の向上を目指すでもなく、一曲通してしっかり練習するわけでもなく。好きな曲の好きな部分を弾けば、なんの曲でもない曲をワイワイ弾くこともある。

ブログとギターが好きで、走ることがそこまで好きじゃなかったってことなのかなぁって思う。残念ながら人にはどうしようもなく避けられない興味関心がある。無性に好きな食べ物があれば、生理的に無理な食べ物もあるように。
10年もやって走るの辞めちゃうのもったいないねぇって言われることが多々ある。そうですねぇ、何かチャンスあれば走りたいんですけどねぇって応えるけど、もしチャンスがあったところで掴む気はおそらくない。

走れ!って言われたら、走るだろう。甘んじて走る。
しかし今はあくまで趣味趣向の問題だ。空いた時間を、いやむしろ空きもしない時間を何に割くかって問題なのだ。時間を作ってしたいと思うことは、本当に好きなことに違いない。一度立ち止まったってまだ続けていることは、本当に好きなことだ。

もう、仕事のような、どうしようもない圧力とニーズに差し迫られない限り、好きなこと以外できないんじゃねーか。一念発起して英会話とか、司法試験とか、あれは食うか食われるかのヒリヒリする戦いの末の習得か、もしくは勉強が好きだったか、どちらかだろう。
文章書きながら音楽をして、そことは全く関係ない部分で稼げる。ただそれだけの生活をしたい。夢です。

好きでもない公共料金の支払いが溜まっているけど、これはやらなきゃならなさそうなので、早急に済ませます。