徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

気がつけば故郷

上京したての頃、初めての一人暮らしと東京におののいている頃、新しく住む街をなんとかして第二のふるさとにしようと思っていた。学校にも部活にも友達がなく、震災の影響で世の中の周りが忙しないわりに物が無いという人間的陸の孤島を味わいながら。
なかなかに無理があるミッションだと思っていた。実家にいる夢をみて、朝起きたら一人の部屋だったときの虚無感とさみしさはきっと一生忘れないだろう。
仙川という町に住んでいた。京王線沿い、調布と世田谷の瀬戸際。大学生活の四年間は京王線をメインに生きていた。井の頭線も含めたら渋谷にも新宿にも吉祥寺にも下北沢にも出られる沿線。便利だなぁって、上京当時から思っていた。

不意に今、京王線に接続する都営新宿線に乗っている。橋本行き。
仙川を離れるとき、仙川についての熱い思いを綴るくらいだから、とっくのとうにふるさとにはなっていた。しかし改めて、仙川を離れてしばらく経ってみて、思いのほか故郷の範囲が広かったことを知った。
もはや京王線が故郷だった。
広告からして懐かしい。高尾山へ行こう。ここしばらく高尾山なんて文字を見ていなかった。天狗が出るらしい。京王線豆知識みたいな広告も、手持ち無沙汰のときによく読んでいたことを思い出す。深夜バスの路線図も懐かしかった。

錦糸町の方に居を移して、会社に入って、江戸っ子たちとより色濃く触れ合うなかで、今まで住んでいた場所が東京の端の方だったことを知って、郷愁がまた募った。超便利だと思っていた路線は、数多ある路線のなかでは端っこの方を繋ぐ路線で、そこそこの便利さでしかなく、抜群だと思っていたアクセスも新宿渋谷にのみ偏ったもので。より都会に越して大海を知ったし、故の逆説的な懐かしさが溢れ出してきた。

仙川を出る時に建て直していたスーパーは果たして完成しただろうか。美味しかった気がするエスニック料理屋のマスターは無事念願の2号店を出せただろうか。
知らない間に町は動く。北見もそうだった。住んでいない五年間でなかなかの変貌を遂げた。市庁舎が変わった。病院が大きくなった。数を数えられない程のマイナーチェンジがあった。
若干ずつ外様になって行く。そして故郷になっていく。渦中にいたらなしえない変化を土地が遂げる。

これからいくつ故郷ができるだろうか。思い出と街がどれだけ重なっていくだろうか。増えたらいい。終の住処がどこであれ、それまでたくさんふるさとを作りたい。
懐かしさに突き動かされて、生きていきます。