徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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朝の時間に悟る

朝の時間を如何に上手く使うか。社会に生きる者たちにとって永劫のテーマだろう。
必要最低限の準備だけなら猛烈に早く支度ができる。男性の特権かもしれないが。
起きる→着替える→出発
人からどう見られようと、お腹がすこうと、寝癖口臭目ヤニのフルコンボだろうと、寝床が荒れ果てたままだろうと、始業に間に合わせる一点に集中すればこれだけのフローで事足りる。
ギリギリまで寝ていたい方々はきっと、単純明快フローに各々最低限の何かを足して出発しているのだろう。

しかしこちとら違うのだ。朝はゆっくりしたいのだ。
朝ごはんも食べたいしギターも弾きたいし食器片付けたいし布団たたみたい。場合によっちゃ昨晩の洗濯物を畳みたいし、埃が気になったら掃除すらしたい。朝出かけるために必要なもの以外の諸々こそ、朝のマスト。そしてお約束のようにギリギリの時間になって家を飛び出す。
これやったら走って駅まで行かないといけないなぁって思いながら、家事やギターを弾いてるときの幸せは、朝余裕ある人にしかわからない感覚だろう。背徳感のような罪悪感のような感覚を得られる。

なぜここまで朝は急かされるのだろうか。夜との時間の進みがこうまで違うのだろうか。
なんてさ、期限の時間が決まってるからに決まってるんだよね。日常の中でどうしようもなく締め切りが決まっている時間が朝なわけで。だからこそ、急かされ急かされで大変なことになるわけで。
週間連載もってる漫画家とか、毎週毎週あれの何倍もの似たような思いをしているのだから、そりゃ長期休載もするわな、なぁ冨樫。

今日ももれなく優雅に朝の時間を使った結果、猛ダッシュで駅まで駆けた。後悔はない。何しろ、優雅な瞬間が確かにそこにあったのだ。ほら、鴨もそうだ。優雅な水上と裏腹にバタバタな水面下がある。誰も見ていない場所で優雅に、誰もの目に留まる場所でバタバタする。本末と上下が転倒しているようだけれど、それでいい。それでいいのだ。