徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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一人でいるときの痛みとの付き合い方

誰もいない時に限って痛い思いをする。誰も知らない場所でこそ、誰もが痛んでいる。あの青ざめた海のかなたで、今まさに誰かが痛んでいる。みゆきもそう言っている。


かつて、世田谷に住んでいた頃のアパートにはロフトがあった。アパートの2階。天井は高く、そのスペースを有意義に使っていた。

わかるだろうが、ロフトのない場所は天井が高いが、ロフトの真下は天井が低い。185センチの身長をピシッとしたら頭がかすめる。

別に普段は当たらないからなにも気にしていなかった。

ある日の朝、ジーパンを履こうと思った。大学に行こうとしたのだろうか、出かけようとしたのか。普通に履けばいいものの、太もものあたりまで上げたジーパンを、一気に引き上げようと、少しだけ跳んだ。さっさとジーパンを履いてしまおうという横着である。

真上にはロフトがあった。

僕の頭はロフトに力強くアタックし、僕の体はまるで狭い隙間に強く投げられたスーパーボールのように、ロフトと床の間をバウンドした。

痛いなんてもんじゃなかった。頭の先が確実に取れたと確信した。血が滲んでいるだけだった。


その時誰もいないのに、しばらくうずくまった。動こうと思えば動けた。クールに振舞おうとと思えば、できたろう。でもしなかった。盛大に誰も見ていない場所で痛いアピールをやってのけた。


今日もそうだ。

裸足でドアを引いた時に、薬指がドアと床の隙間に挟まった。薬指の爪が取れたと確信した。無傷だった。

いつかのロフトと同じように、しばらくうずくまった。


誰に示しているのだろう。誰に痛がっているのだろう。

それは間違いなく、自分だ。

痛がると、痛くなくなる気がする。痛がるという、痛みのデモンストレーションが本当の痛みを超えてくれると、痛みが軽くなる気がする。痛がるメカニズムはきっとそういうことだ。

だから一人でもきちっと痛がり、自分自身にアピールする。痛いんだ、確かに痛いんだと、頭に身体に刻み付ける。そのポーズがどんなに滑稽だろうと、背に腹は変えられぬ。

猫のように丸くなり、犬のように呻く。1人で。



絶対薬指取れてたはずだったんだけどなぁ