徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

キレイキレイに物申す

手洗いうがいは大事。外から帰ってきたら、夏でも冬でも朝でも夜でも、手洗いうがいを心掛ける。幼少期から刷り込まれてきた風邪予防の鉄則である。泥んこまみれになっていたあの夏、家に帰ってごしごし手を洗った。引越に付き段ボールをジャック・ザ・リッパーしていたこの冬、真っ黒になった手をごしごし洗った。

普段はどうだろう。何気なく家に帰ってきて、何気なく手洗いうがいを済ませる。ごしごし洗っているだろうか。否。そこまで強い当事者意識を持って手をごしごしすることは少ない。よほど汚い状況じゃなければささっと手を洗っている。

なんとなく綺麗になった気になるのだ。石鹸をつけて洗うと。キレイキレイなんて名前の石鹸があるくらいだ。汚いはずがない。キレイキレイしてんだもん。だが、実際のところ、5秒やそこらの手洗いと、30秒ガッツリ手洗いだと落ちている雑菌は相当違う。いくらキレイキレイしているって言っても5秒じゃキレくらいで見切れてしまう。

 

これ、絶対に匂いのせいだと思うわけだ。石鹸のあの爽やかな香りが、自分の手が綺麗になったと錯覚させる。本当に雑菌が落ちているか落ちていないかは遥か頭上の棚に上げて、いい匂いという動物の本能に訴えかけるレベルの原始的訴求力できれいになった気にさせる。

もう少し素直に匂いを発するべきじゃないかと思う。雑菌は。まだ落ちていないのなら落ちていないなりに主張をすべきだ。このままご飯食べたら汚いよ!食あたりとかになっても知らないよ!それ相応の匂いで知らせるべきなのだ。だが、石鹸の横四方固めに雑菌の主張は物の見事に抑え込まれる。その結果が体調不調である。

別に臭さを求めているわけではない。人工的に匂いをつけすぎじゃないかと言いたい。今の技術力でどうかはわからないが、ある程度の摩擦と共に香りだす石鹸なんてどうだろう。擦って擦って、洗って洗って、やっと雑菌が消えた頃にふわっとせっけんの香りがする。画期的じゃないか。風邪、減るんじゃないか。石鹸の雑菌殺傷能力はそのままに、遅効性香り。最強かと。

 

とにかくですね、きちっと手洗いはしようと。訴えたい。思ったより吊革汚いよ!感じているより手は汚いよ!