徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

宇宙について

今週のお題「いま学んでみたいこと」

英語やらなきゃ。経済について勉強しなきゃ。政治って何。戦争するの。オリンピックのロゴって何。

知らなきゃいけないことはたくさんあるけど、知りたいことと一致するとは限らない。往々にしてそんなもんだ。中学高校の頃のテストがBUMPの歌詞暗記とかで成り立っていたのなら、きっと東大に入っていただろう。少年の頃から知りたいことと知らなきゃいけないことの不一致に誰もが悩まされているはずだ。

心から学びたいことを学べた人はどれだけいるだろうか。大学に行ける人は今でこそ多くなってきただろうけど、誰彼行けるわけでもない。まして学力も足りて、自分の思ったような勉強をするべくして大学に行く人間なんて、それこそ一握りだろう。学びたいことを真剣にできるって難しいのだ。

ところで何を学びたいだろう。何を知りたいだろう。社会の喧騒に肩まで頭まで浸していると、知的好奇心とかがどっち向いてたかがわからなくなってしまう。ぶっ壊れた方位磁石よろしく。

わかりやすい好奇心の方向検索として、小学低学年のころの夢が何だったかを考える。

利も害も知らない当時。好き嫌いだけで世の中が割と何とかなってしまう当時に何になりたがっていたか、何を知りたがっていたかが、好奇心の真理だろう。スポーツ選手然り、保育士さん然り。

天文学者になりたかった。考古学者にもなりたかった。宇宙について、大昔の人間の営みについて、無意識の好奇心がある。ちっちゃなころ、21世紀こども未来図鑑みたいな本を読みふけった。四大文明についての本を何度となく読み返した。エジプトについてやたら詳しくなった。太陽系についての含蓄が深い少年だった。

今、何の使命感に駆られることなく純粋に学びたいと思うのは、やはり宇宙の事であり大昔のことだ。エジプト文明のあらましが第二言語だったら、やっぱりバイリンガルになっていただろう。

社会人となって生きる道を選んだ。商人の端くれとして世の経済を回す道を選んだわけだが、純粋な興味として、学者はに憧れる。学者として生きられたとして、商人と学者の道がどちらも前途洋々と開けていたとして、心から迷ったろう。

 

こんなこと書いていたら本当に勉強がしたくなってくる不思議。明日あたりエジプトについての新書でも買って帰るかな。